とある獣医の豪州生活Ⅱ

豪州に暮らす獣医師のちょっと非日常を超不定期に綴るブログ

とある獣医の豪州生活Ⅱ

僕と英語と、移住と学校。⑤

 

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Chapter 5.1 - Planning

緊張の解かれた校内は普段通りの騒がしさで包まれていた。

近しい夏に向けて漲る体力を押さえきれない若者達を止める術は教師にはなく、唯一の抑止力であった、「一番大きな子供達」の姿ももうそこにはない。箍の外れた後輩たちの上げる喜声の中でも特に大きいのは次期最高学年達であろうか。

12年生がQCSテストを受けている間にキャンプという名目で地方に隔離されていた生徒達は、普段通りの学校に戻ってきてみればそこにはすでに12年生達の姿はあまり残っていなかった。QCSテストを終えた12年生達は事実上学業を修了したようなもので、あとはまだ若干だけ成績に響く期末試験を終えれば、残りは部活動だけで登校義務は無くなる。校内に見られる少数の12年生は、IB試験を控えて最終追い込みを行なっている人達だけだ。


10月は校内の空気ががらりと変わる時期である。

それまで様々な実権を握っていた12年生の消失は、全学年に響く大きな問題だ。

基本的に学校というものは絶妙なパワーバランスで成り立っている。例えば、休み時間に学年別で集う場所が決まっていたりするのがその典型。12年生が休み時間に使っていた休憩室はもぬけの殻となり、空いたニッチには11年生が入り込む。

11年生が新たなニッチを確認したことによって、それまで守りの堅かった11年生の縄張りを、今度は僕達10年生が獲得できる絶好のチャンスでもあるわけだ。

彼らが縄張りにしていたのは学食エリアの机全般と、校舎の中央廊下。食料、クーラー、アクセスの便利な大通り。色々と揃った良い場所である。学食前は昼食時に席の確保を心配する必要がなくなる場所だし、中央廊下は朝休みなどの短い休み時間には一番移動が楽で融通の効く場所。休憩室を除いた学校内での一等地。

誰が示したわけでもなく、誰が指揮を取る訳でもなく、こうした「縄張り」の変化は一種の通過儀礼として起こるのだ。学年ごとに教室を持たない学校にとって、これは非常に大事な行事だった。

 

大事なのはなにも縄張り争いという生徒同士の暗黙の問題だけではない。

10年生の10月というものはいよいよ「進路」というものを考え始める時期である。それまで散々やりたいことをやらせてきたオーストラリアの教育方針が、いよいよ向きを定め始めるのがこの10年生の10月だ。

12年生の最終試験の指揮を執っていた教師達が、息をつく間もなく2年後の12年生の世話をする。

 

QLD州における10年生と11年生の学業では大きな違いが2つ生じる。

 

一つは選択科目制度が本格的に実施されること。

10年生までは、英・理・数・社・体・道徳と、大半の必須科目に加えて少数の選択科目があったが、11年生からは必須の英語と数学の2教科を除き、他の3~4教科は完全に生徒に委ねられる。芸術系に向かうか、体育系に向かうか、文系に向かうか、理系に向かうか、10年生で選ぶ教科は、そのまま大学進学において必要な入学時必須教科に繋がる。

もう一つの違いは、最終学業成績の形の選択。

僕の通う学校では地域では珍しく、OPとIBの2種類の最終試験を採用していた。どちらかを、またはどちらも選択することで、授業時間や内容、選択科目が変わってくる。

OPというのはOverall Positionの略で、QLD州の学生全体で、総合何位の成績なのかを数値化したもの。僕達がキャンプ地に隔離されていた間に12年生が受けていたQCSテストも、OPの一環だ。この数値の出来のよさを基準に、大学から学部のオファーがもらえる。

一方で、IBというのはInternational Baccalaureate、国際バカロレア資格の略。こちらは世界100ヶ国以上で認められた、学業成績の数値。OPの数値がオーストラリア国内の大学入試に役立つものなのに対して、IBの数値は豪州国内だけではなく、国外の大学入試の際にも成績を提示しやすい。

こうした選択を迫られる際、オーストラリアでは「どんな大学の学科に入りたいか」が大事になる。どこの大学、という日本の考え方とは少し異なるのは、一つに大学の入試試験がないからだ。

大学の学部に応募する際、大学側は応募者の最終学歴、科目、そして成績を確認し、事前に必要とされる科目で優秀な成績を収めた者から順番に入学のオファーを出す。学部には定数が決まっているので、成績の良い順番から一定数に達すればオファーを出さない。

言い方を換えるならば、選択科目によって応募できる学部が決まり、OPやIBの数値によって、その学部に入れる可能性が決まるのである。

よって、10年生ではまだ大学のどんな学部に入れるか、という成績的な面では何も言えないが、11年生の選択科目の内容を決めるにあたって「どんな学部に応募したいか」という、進路方向は決めなければならない。

 

学校側はこの難しい選択を応援するため、各大学の担当者を招き入れセミナーを数回開いた。生徒達は大学の関係者と学部についての話をし、興味を持った学部の情報などを聞き出す。生徒側にとっては進路先を決める手助けになり、大学側にとっても新入生獲得のチャンスになるのだ。

自由奔放な学校生活が一変、少し緊張し始める。

その空気に、精神的には小学生で止まっているであろうオージー達はそれでも陽気に笑っている。皆が「楽しそうな学部」を求めてセミナーのブースをハシゴする中、僕も内心ワクワクしていた。

海洋生物学の講師や大学生はいるだろうか、面白い話は聞けるだろうか!

ブースを3つ4つと周り、質問するうちにそんな考えはすぐに無くなった。何しろマイナーな学部である。そんな学部があるのかどうかも知らない担当がほとんどだった。「生物学」という単語から理系学部のパンフレットを押し付けてくるが、詳細は一切分からない。

分かったのは、理系科目が2つと数学が必要だということだけ。すでに知っていた情報の再確認に終わってしまった。

しかし、このセミナー自体が進路を決めかねている生徒のためのものである。端から理系方面を目指していた僕にとって、選択科目の問題は大したことはなかった。どんな学部に行くにしろ、理系2教科と数学Bが条件なのはほとんど変わらない。皆が悩む中、僕にとって教科の選択は簡単なのである。

 

英語、数学Bに加えて、化学、物理学、数学C、日本語の4教科。

1学期のときに苦手と判断した生物学を取らず、得意の数学の日本語で成績を持ち上げる。完全理数系の形を考えていた。生物学がなくとも、化学と物理学で理系科目は2教科取っているから大学進学も問題ない。簡単な話だ。

 

否、そこまで簡単にはいかなかった。

 

きっかけは学校で日本語を教える教師、クマヤマ先生の行動であった。

日本語の授業中、さすがに授業内容が簡単すぎて暇を持て余した僕を含む日系生徒3人に、クマヤマ先生は数枚のプリントを渡してきたのだ。

開いてみると、なるほどどうやらこれは日本語のテストのようである。今、授業で教えているものとは圧倒的に異なるレベルの出題。日本の中学・・・読解等は高校レベルまであるのだろうか。

日本語の授業は僕や他の日系生徒にとっては休み時間の延長だ。正直、いきなりペーパーテストと言われてもやる気が出ない。が、普段は教室の隅でポケモン談義に花を咲かせまくっていても全く気にしないクマヤマ先生ではあったが、何を思ったかこの日に限っては割と真剣なトーンで答案を要求してくる。

仕方がないので、サラサラと問題を読んで、サササッと回答、提出しておいた。

日本の中学生でも若干難しいかもしれないその問題は、それでも英語が理解できなかった当時、活字を求めて狂ったように読書をしていたのでなんてことはない。

それからも何度か、僕達がアホみたいな談話を教室の隅で始めようとすればクマヤマ先生はやってきた。毎回、似たようなレベルのペーパーテストを持ってくるのだ。同じ日本人でもオーストラリアで生まれ育った友人にはちょっとした拷問ではあったが、僕にとっては自分の日本語力を測る、ちょっと面白くもある教材にすぎなかった。

 

10月になると、そんなクマヤマ先生が僕と母を学校に呼び出した。

「11年生からの勉強ですが、IBを受けてみるのはいかがでしょうか」

開口一番、彼の口から出てきた言葉はこんなものであった。言葉と共に彼の懐から出てきたのは、授業中に簡単に埋めたペーパーテストの数々。

「これらは授業中やらせてみたIB DiplomaのJapanese HLの過去問です」
「彼は予備知識もなくこの試験を受け、高得点を出しています」
「少し勉強すればIBの科目の一つ、Japanese HLで7点は確実に出せますよ」

 

クマヤマ先生はIBの簡単なシステムと共に意味を説明してくれた。

IB Diplomaは先に述べたとおり、この学校が用意した最終試験方法の一つだ。IBでは6つの教科を2年間学び、それらで試験を受け、各科目最高7点で評価される。それに加えて別の小論文が3点評価され、45点満点の数値をもらう訳なのだが、6教科の試験のうち、半分の3つはSL(普通レベル)、残りの3つはHL(ハイレベル)で受ける。HLの試験はSLよりも知識量が多く必要とされ、難しいので、どの教科でSLを、どの教科でHL試験を受けるかがIB試験の大きな鍵の一つになるのだ。

そこでクマヤマ先生は、興味本位でもあったのであろうか、日本語が得意な僕達に試しにIBを受けさせたのだ。結果、何も事情を知らない僕はHLのIB試験を適当に埋め、これがなかなか良かったらしい。

「日本語でHL試験が一つ潰せ、7点評価がかたい。残りのHLは2教科でいいんです」
「これは素晴らしいアドバンテージになると僕は思いますよ」

クマヤマ先生は再度強調した。普段は至極適当でのほほんとした先生が、この時ばかりはしっかりと先生に見えた。

 

考慮に値する情報だったが、話し合いの結果、最終的に僕はIBを切った。

理由の一つ。

IB試験は12年生の終わりに行なわれるものであり、試験範囲は11~12年生までの2年間で学んだ内容全てという、とんでもなく大きな一発勝負であること。

僕は一世一代の一発勝負が嫌いだった。

ポジティブ思考に変わったとはいえ、根はリスクを嫌い堅実に一歩ずつ進みたい人間であることは、未来の見えない7~8年生という闇を我武者羅になって泳いだ張本人であるから分かっていた。

OPが学校の課題、テスト、試験毎につく成績が反映される『一歩ずつ型』なのに対して、IBのそれはあまりにもリスクが大きい『一発勝負型』であるから嫌うのは至極当然であった。

もう一つの理由は、選択科目の制限だ。

OPであれば先に述べたとおり、英、数B、数C、化、物、日の、得意な6教科で固められるが、IBではシステム上、数学を2つ選択することができないのである。

では数学を一つ除いて変わりに何を入れられるかというと、僕にとって一番成績が取れそうなのは地理になるのである。たしかに地理であれば理系の延長だからなんとかなるかも知れないが、確実性の高い数学Cを切ってまで地理で冒険する余裕が僕にはない。

さらに言えば、英語の試験の点数がIBの成績に響くのも嫌いたくなる理由である。OPシステムでは6教科のうちで出来の良い上位5教科が成績に反映されるシステムだが、IBは6教科全ての成績が反映されてしまう。やはり英語が苦手でありA評価など取れない僕にとっては、OPシステムで英語を無視できたほうが相性がいいと思ったのである。

 

その旨をクマヤマ先生に伝え、OP一点を決定したところでようやく僕の選択科目問題は解消された。

明らかに変わった学校や教師の僕達に対する構え。

じわりじわりとにじり寄ってくる本格的な学業戦争を肌で感じ始めるが、僕には未だにその先に待つ敵も戦況も戦術も分からない。

 

ただ分かるのは、戦って、戦って、戦い抜かなければならないということだけ。

 

 

Chapter 5.2 - Kick Start

QLD州では8~12年生までをハイスクールと呼ぶが、実際のところでは8~10年生までは中学生だ。中学生と高校生の線引きは10~11年生の間に存在しているが、結局はどちらも『ハイスクール』。卒業があるわけでもなければ校舎が変わるわけでもない。よって、10年生という『中学生の終わり』はひどくあっけないものだった。

案の定、終業式といった時間を無駄にし貧血の生徒を倒れさせるだけの意味不明な儀式は行なわれない。しかし一方で、2学期最後の日というのは僕にとって非常に大事な日でもある。

学年別の、総合順位が発表される日だからだ。

朝休み、今年最後の学校新聞が配られる。

学校新聞の一面にはいつものように、学年ごとの成績上位15名の名前が並んでいた。
9年生でこの学校に転入してきてから、学校新聞でこの順位を眺めるのももう4回目である。

無論、僕の名前はない。火を見るよりも明らか。

しかしそこに並ぶ名前はどれも見覚えがある。どれも前回、前々回の新聞にも載っていた名前であろう。毎学期ごとの成績上位者にはさほど変化が生じず、変わる部分といえばせいぜいが5~15位までの並び順だ。

1~5位辺りは順位変動すらもほとんど起こらない不動の天才陣で固められている。

これが格差。どうしようもない力の差。崩せない壁は成績上位15名という題名の元、学校新聞に堂々と照らし出されていた。

成績上位15名の発表のワクワク感を損なわないため、学校側は各自の順位発表を新聞発行後に行なう。発表方法は、各自が担当の教師のオフィスに赴き、名前と学年を次げて順位を確認してもらう、というもの。

このシステムの必要性が僕にはイマイチ理解できない。上位15名はいつも通りの面子。彼らはどうせ新聞で確認できるのだから聞きに行く必要もないであろう。

一方、オフィスに赴き順位を確認するのは上位15位に入らないと確信している生徒がほとんどのはずだ。新聞発行前のワクワク感など持ち合わせている生徒はほとんどいないのではないのか。だからわざわざ学校の最終日の、朝休み以降にしか順位を聞けないシステムにする必要はないだろうに。

 

そんな少し卑屈な文句を僕自身の中だけで呟きつつ、担当のオフィスを訪ねる。

名前と学年を申告し、10年生としての僕の成績を確認してもらう。

前の学校からの勉強の遅れに苦しみ、エッセイの書き方で苦しんだ9年生の最終順位は78位だった。120人中の78位。半数にも届いていない結果であった。それを踏まえて夏休みは英語の教科に全てを費やした。勉強も追いついた。未だに苦手科目ではC評価もよく出していたが、得意科目ではA評価も出してきた。

そんな10年生の成績が、11年生という戦争直前の僕の立ち位置が、担当から言い渡される。

 

64位。

 

10年生120名中、64位。

 

中の中の下。

上位50%に、入れていなかった。

9年生に比べれば英語力も勉強面も、かなり進歩したつもりでいた。が、現実は甘くなく、最終的には順位を14伸ばしただけで終わっていた。

留学を始めて3年半の学生が、進学校で真ん中につけていることを良しとする人もいるだろう。しかし僕にこの数字は良しとはいえない。

大学の海洋生物学部に入るには、OP4が最低条件だ。進学校とは言っても、成績60位でOP4が取れるほど甘くはない。OP4を狙うのであれば、最終的に上位30位辺りに滑り込む必要があるだろう。

勉強量が飛躍的に増え内容も難しくなる11年生を前に、64位という数字は厳しく見えるだろうか。

 

否、そうではない。

 

実際、78位から64位にまで着実に伸びているんだ。

何だかんだといっても、今年一年間だけで順位を14伸ばしたことは揺るぎない事実。ならば、残りの二年間であと30人ほどの成績を抜かし、上位30位付近に入ることは現実味を帯びる。

足を引っ張っていたであろう英語や歴史等の科目も、来年からは反映されなくなる。今以上に勉強し、得意科目の成績を伸ばし、次の2年間でなんとかあと34人を抜かすんだ。成績上位者は鉄壁の壁だろうが、別にそれは成績上位に入れないわけではない。

他人の成績は自分の成績を左右しない。あくまでも自分でどこまでやれるかが鍵になるだろう。走り幅跳びで遠くに跳べないのは、地面が手前によってこないからではない。自分自身の踏み込みと助走の問題だけだ。

 

そういうわけでまずは『助走』をつけることにした。


10年生の夏休みが。

開戦前の夏休みが。

学年総合順位64位の夏休みが始まった。

 

留学を始めてからというもの、夏休みは決まって英語力の強化を行なってきた。

が、今回のそれは英語ではなく、『勉強の強化』。

僕が来年選択する科目は、英語、日本語、化学、物理学、数学Bと数学C。

この中でも特に難しいとされるのが、三段階ある数学の一番上、数学Cだった。学校新聞の成績上位者がひしめくであろうこの数学Cは、いくら数学が得意と言っても限度がある。

そこで、数学Cの一年間範囲を夏休みの2ヶ月で早々に終わらせてしまおうと目論んだ。来年学校で使う教科書を独自に取り寄せ、アドバンテージを作っておくことにしたのだ。日本語とあと一教科のアドバンテージがあれば、他の教科にしっかり専念できるというわけである。

ただし教科書を睨んだだけでは無理があった。

なにしろこの数学C、日本の数学で言うところの数ⅡB、数ⅢC、そして大学レベルの数学まで混ざっている。すでに日本の高校数学ⅡBとⅢCは参考書を使い自習でほぼ網羅していた僕でも、日本の高校で教えないようなマニアックな内容はどうしようもなかった。

そこで秘密兵器を呼ぶ。

センパイのつてで、「天才ピーター」なる男を紹介してもらったのだ。

天才ピーター、数年前にセンパイや8年生までの僕が通っていた高校でOP1を取ったOBである。彼の頭脳はまさしく天才のそれであり、数Cの家庭教師を頼むと軽く承諾してくれた。

勉強内容が知りたいという彼に教科書を渡すと、ピーターは分厚い教科書をなんと一日でほぼ網羅し、マンツーマンの家庭教師が始まった。

学校やチェスの世界ですでに天才という存在を見ていた僕は。

実際に目の前で勉強を教える天才を知ってしまい、戦慄すら覚えた。

 

当初、2学期一年間をかけて教わる筈の数Cの内容を、たった2ヶ月という夏休みの期間内でどこまで学べるか分からなかった。

しかしピーターは言った。

 

「正味10日で全部教えられるよ」

 

一日目、彼は20章ある教科書の最初の2章を丸々教えてきたのである。

二日目、前日の復習の後に次の2章を教え、

五日目が終わる頃には教科書は後ろ側から開いた方が早くなった。

 

莫大な量の知識を流し込まれ、脳は細かく震え熱を出し続けた。しかしどうしたものか、これだけハイペースな勉強であっても吸収率は思いのほか良い。

日本数学の参考書という予備知識が若干活きたこともあるが、それだけではなく。

ピーターは確かに天才ではあったが、勉強を教えるのも非常に上手かったのである。数学はただの暗記ではなく、後ろにある法則の原理を理解する必要があるが、不器用な天才とは違い、彼は細かく噛み砕き、わかりやすく原理を説明する才能もあった。

 

二週間を待たずして一年分の数学の知識が授けられた。

 

想像を絶するスピードで数学の知識を得た僕は、残りの夏休みをバイトに費やす。16歳と半年ともなれば、オーストラリアではもう普通にバイトとして雇用され、一時的だが税金まで払う。僕もその流れに習い、今まで不定期的に世話になっていた庭仕事の手伝いを辞めて職を探した。

16歳半の子供を雇ってくれる場所は限られる。ファーストフード店などが主だ。が、英語という面で不安だった僕は、試しに近くの回転寿司屋に履歴書を持ち込んだ。日本人が経営するここであればバイリンガルが武器になるからである。

履歴書を持っていったその時にすぐ面接が行なわれ、採用された。最初は皿洗いから始まり、ウエイターになり、すぐにキッチンに入れられる。母や知人や学校関係者とは違う大人に、怒られ、責められ、誉められ、はやし立てられ。

学校では学べない『社会』の知識を学ぶ最高の刺激になった。

初めての給料は母と知人のおじさんに日頃の感謝をこめて昼食をご馳走し。

残りの給料は夏休み分を丸々溜めて未来に備えた。

 

Chapter 5.3 - Senior High School

11年生になった、という実感が最初に湧いたのは新しい制服を見たときだろうか。

同じハイスクールでも、10年生までが中学生だとすれば11年生は高校生、という境目が存在する。そしてその境界線を超えた11年生は授業体制や勉強量等と共に、制服のデザインが少し変わるのだ。

とは言ったものの、僕達男子生徒の制服は大した変化はない。それまではただの白地に学校のロゴが入ったワイシャツだったものに、ストライプが入るだけだ。ブレザーを着れるという大きな違いもあるが、学校が始まる2月は連日の気温が30度を超える。ズボンも変わらないので、男子にとってこの些細な変化は下級生に対する権力の誇示以外に意味を成さない。

一方、女子生徒の制服は上のシャツこそ同じ白地でほとんど変化がないのだが、スカートのデザインはそれまでのプリーツ・スカートから一変、セミタイトになる。子供っぽいプリーツから一転、大人っぽいセミタイトを身につけた同級生には違和感を感じるはずだが・・・

 

はずだったが、何故か最初に目撃したセミタイト・スカートの同級生は男子生徒であった。

 

一時限目に体育のある女子から借りてきたらしい。高校生であれなんであれ、やはり考えることは小学生と同レベルなのだ。この陽気さは僕に安心感を与えてくれる。しかし女装男子よ・・・投げられたお前のズボンが木のてっぺんに引っかかってるぞ。

 

そんな和やかな雰囲気に包まれる屋外とは違い、教室内の空気は二極化していた。

教室の後ろで久しぶりの仲間達との再会に馬鹿騒ぎを続ける生徒達は、〈12年生から本気出す〉がモットーの、10年生の空気をそのまま引き継いだ集団。カバンを放り、椅子を集めて皆で談笑している。

一方、教室の前のほうは静かに、そして着実に椅子取りゲームが行なわれていた。

教室で前のほうに座る集団というのはどこも国でも決まって、勉強に本気な連中である。この〈11年生も本気出す〉集団達は、初日の席の重要性をよく知っていた。

基本的に自分の席というものが決まっていないのが移動教室制度の学校ではあるが、それでも毎回ほとんどの生徒は同じ席に座る習性があるもので、その際、隣りの生徒がその科目の勉強仲間として最も近しく、頼りになる。

後ろで喚いている連中は楽しい仲間を求めて席を決めていくが、前衛班の場合は学力という面も重視しつつ、お互いを牽制しながら各々が席につく。

数学Bと数学Cの教室では、10年生のキャンプの際に親睦を深めたショーンと組んだ。数学に関してはどちらかと言えば僕がショーンを助ける役割のほうが多くなるだろうが、9年生の頃から数学の特進クラスにいたショーンは数学の問題の理解力と解くスピードはなかなかであり、何よりお互いになかなかどうして意気投合していた良い仲間であった。

物理ではやはりショーンと、もう隣りにはジョッシュを置き、化学ではジョッシュと、OPとIBの両方を受ける友達を置いた。皆、勉強熱心で向上心があり、お互いを助け合える面子ばかりで構成されていた。お互いを助け合い、お互いに成績を伸ばせるであろう面子それぞれが自然と集まっていたのだ。

 

おおまかな席と教室の空気が出来上がる中、11年生の授業が始まる。
その内容が一気に加速すると言われている、11年生の授業が始まる。

 

それでも数学Bの授業は大したことがない。

既に日本の高校数学の参考書を大方終えていたので、関数や三角比は見慣れたものだった。クラスの授業はそれでも真面目に受け、出された問題や宿題はそつなくこなしたが、難しくは感じないので、大して復習をしなくても済んだ。

 

そんな数学Bよりもずっと大変とされる数学Cだったが、これもおよそ安定していた。ピーターとの予習で一年分の大まかな内容を理解していたので、所々忘れていた内容も、授業で再度学んだ際の吸収率は高かった。が、それでも数学Cで出る問題は一問が非常に大きな問題等が多く、また文章問題主体になりやすい。基本の予習はできていたが、出される宿題の多さと文章問題に多少苦しめられることになる。

もしも予習をしていなかったら、もっとずっと大変なことになっていたかもしれない。

 

物理は教師に恵まれ、僕のお気に入りの教科になるのにそう時間はかからなかった。速度やベクトル、円運動、運動量やエネルギーといった内容はどれも数学の一部であり、それらの法則を理解する上で行なわれる実験は、ボール一つで説明可能であった。

視覚的・数学的に理解できる物理は言葉のハンデが非常に少なかったのである。

唯一、数学と違う部分は数学的解釈を行なう前に文章問題を解く必要がある部分だったが、物理法則を問う問題のシチュエーションはどれも似ているので、問題を数こなしていれば良かった。

 

一番難しいと感じたのは化学の授業。

化学の教師は初日から僕達を大学生のように扱い、皆が苦労した。それまでは白板に一字一句書かれる板書をノートに写し、教科書に従い問題を解いていた僕達であったが、この化学の教師は自らが用意したパワーポイントを使用し授業を進めるのだ。

一定時間、板書を取る時間を与えたらすぐに次のスライドに移動してしまう彼の速度に、教室全体が置いていかれて皆が文句を垂れた。

「こんなスピードにもついてこれないようでは大学に行ってから手も足も出ないぞ」

初日から、これが化学の教師の口癖になった。

ただでさえ英語を書き取るスピードが遅かった僕に、彼の授業は非常に厳しかった。が、隣りの仲間達にノートを写させてもらい授業を乗り切る。

化学は数学や物理ほど数字に偏った教科ではなく、少し苦労した。特に一番最初の内容が有機化学であり、暗記内容が多かったからである。それでも内容が濃度や化学分析になるに従い数学的要素は増えていき、暗記力よりも応用力を求められるになれば苦労は減っていった。

 

気合いの入る理数系の教科に比べ、英語の授業は10年生の頃から対処は変わらない。

あくまでもC評価を目指す姿勢を崩さなかった。

11年生からは6科目中の上位5科目の成績が反映される。僕にとって英語が一番苦手科目なのは明らかであったので、留年を避ける以上の点数は必要なかった。

11年生からESLの授業は科目として存在せず、放課後の居残り教室として機能していた。これは留学生にもESL意外の6教科を選択できるように学校側が用意してくれたシステムだ。今までのESLは『英語の勉強』としてネイティブの小学生が使う教材等を使用していたが、11年生からはもっぱら、授業や課題で分からない部分の補助役として機能するようになる。

よって、英語の授業で出る課題等はその多くをESLで仕上げた。ESLの先生はC評価を取れる安定した書き方を教えてくれるので、丁度良かったのだ。

 

1週間が過ぎ、2週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎる頃には。

 

学年内にも、早速授業についていけなくなり始める生徒がちらほらと見え始めた。

聞いていた通り、授業のスピードは一年前のそれに比べてはるかに早く、また内容もより難しくなっていることを授業について行っている連中は分かっていたが、置いていかれた生徒は、教科ごとに出題され始めるテストや課題に直面してようやく気づく。

 

数学Bのテストを、僕は難なく満点近い点数でこなした。これは当たり前だ。一方、数学Cのテストはクラスで2番目の成績と、少し納得のいかない結果になる。夏休みに予習し、出される問題等も散々復習していたが、一人に抜かされた。

僕より一点だけ点数が高かった奴は天才組の一人であった。テスト前、夜までゲームに没頭していたと皆に笑いながら語っていた奴に、結局負けたのだ。

天才の壁は幾度となく実感していたが、これはひどく悔しかった。


物理と化学はテストではなく課題が出た。

物理の課題は運動についてのレポートで、校外授業と称してなんと遊園地に赴いた。課題となる乗り物の長さや角度、速度を測り、物理的な運動の計算などを提出するものだったが、ショーンと共に早々に測定を終えた僕達は一日中、課題とは得に関係ないジェットコースターに乗り続ける。課題自体は計算が多く、最終的にはクラスで2人しかいないA評価を貰った。

化学の課題は有機化合物についてのリサーチ。

計算が入る余地はなく、苦労することになった。また、授業のときから大学のスタイルを貫く教師だったため、レポートの書き方に非常にうるさく、おおよそ初めて書いた科学論文はそれでも踏ん張ってB評価に終わった。

 

一方、こうした物理や化学の課題でESLの弱点が浮き彫りになってしまう。今までは他の科目の課題の文法等をチェックしてくれていたESLの先生だったが、11年生になって僕達の勉強内容が難しくなり始めると、英語以外の教科の課題に根を上げ始めたのだ。

過去にESLを受けていた留学生達は、そこまで勉強をしない生徒ばかりだったらしい。こうした留学生達は美術や音楽といったいわゆる『簡単な教科』を選択していたし、課題の文法を直さずともC評価が取れればそれでいい、というスタンスを持った生徒達であった。

しかし僕の学年はそうではなく、僕と他2人のアジア人、全員が本気でA評価を狙うタイプになった。さらには僕達全員が理数系の科目ばかりを選択していたため、課題の内容も難しい。小学生レベルの英語を教えるESLの先生が、化学式や計算式の混ざる論文の校正を毎回3人分頼まれ、根を上げてしまう気持ちは分かるが、課題を持ち込む度、次第に嫌な顔を見せ始め、ついには「他の学年で忙しい」と拒否する日も出てくる。

ESLの授業費を払っているのに、これでは仕事放棄だ。

ESLは英語以外に頼りにならないと感じた僕はこれに見切りをつけ、化学や物理の課題の校正は理系に強い家庭教師にお願いすることになった。投資が必要にはなるが、11年生という時期は始まってしまっていた。

成績を上げることに必死だった。

とにかくまずは50位辺り、最終的には成績上位30位に食い込まなければならない。

OP4を得て海洋生物学に向かうために、とにかく必死だった。

 

 

Chapter 5.4 - Fair or Unfair

秋深まる11年生の1学期は忙しい。

 

学年順位を持ち上げるため、勉強は毎日しっかりと行なう。

具体的に定めたのは、帰宅後の平日3時間勉強、という方針であった。学校が午後3時半に終わり、帰宅するのは4時になるが、そこでまずは1時間の休憩をとり、学校の疲れを取りつつ軽食を摂る。16歳の男子は毎日5食が必要なのは言うまでもない。

そして5時になるとそこから夜の8時までの『3時間』を勉強時間として予習復習を行い、8時に夕食、その後は課題等に追われていない限りは自由時間とした。

一方、週末は基本的に勉強時間を定めなかった。学校内でしっかりと授業を受け、帰宅後の3時間で復習しておけば授業には十分ついていけた。よって、週末に行なうのは追加の勉強時間が必要になった際。課題が出ていたり、何らかの原因で勉強が遅れた場合に取り戻すための時間だった。

合計すれば、学校を入れても週48時間の勉強時間だ。

残りの120時間は睡眠、食事、自由時間に当てられる。受験等の経験がなく豪州のゆとりある教育の中で暮らしてきた僕にとって、あまり無理のない勉強方法を確立することを勧めたのは母であった。よって、僕には意外と自由時間が多かった。勉強の合間合間には時間がないが、勉強後と週末、かたまった自由時間があるのだ。

そんな自由時間は、バイトや趣味に費やされた。

週末は10~20時間ほど寿司屋でバイトをして小遣いを稼ぎ続けたし、平日の夜は毎日水槽の掃除や熱帯魚の交配・育成に追われた。課題が多くなったりテストが近づくと、バイトのシフトを週1回に抑え、空いた週末の一日を勉強に割り振る。

勉強に追われる中の動物の世話は睡眠時間を削り行なった。

 

しかしバイトを週一ですら入れられない時期は来てしまう。

一学期末、学校では期末試験が行なわれる期間だ。普段は必ず週1日は働いていたが、膨大な勉強量を必要とする期末試験時にはさすがに自重しなければならない。

何しろ11年生の期末試験である。

高校生を終えるまでの2年間で、4回しか行なわれない期末試験の一つ。

11年生の期末試験は、来る12年生の期末試験までに受けることができる、2回だけの模試みたいなものだ。苦手科目が無くなり、変わりに一科目毎の範囲や内容が広く深くなったこの時期、校内順位が多少変動するであろうこの時期はとにかく大事だった。

 

期末試験への準備は4週間前から始めた。

3時間の勉強時間はいつも通りこなすことで並行する新しい勉強を学びつつ、自由時間をある程度犠牲にして、過去に学んだ内容を復習していく。ノートを読み返し、教科書の問題を解き、配られたプリントに再度挑戦した。

期末試験2週間前になると週一で入っていたバイトも一時的に休み、週末は朝から夜までみっちり勉強に費やされる。1週間前になれば、それぞれの科目の過去問を実際の試験環境で行った。

僕の学校では過去2年間分の期末試験の問題がネット上にアップされていて、生徒達はこれをダウンロードして勉強することができた。

11年生が大事な時期と分かっていた母は気転を効かし、去年のうちに知人に頼みこうした過去問をダウンロード、保存していてくれた。つまり、僕は本来では手に入らない、3年前の過去問も手にしていたのである。それぞれの科目で3年分、3枚ずつの期末試験を模試として解き、準備を進める。

 

試験が近づくにつれて、校内の緊張は高まっていく。

皆友好的な仲間達ではあったが、同時に誰もがライバルであった。陰湿ないじめや派閥争い等がないおおらかな学校ではあったが、学力戦争は確かに火蓋を切って落とされようとしていた。

 

一方、11年生になりその効力をほとんど失おうとしていたESLであったが、この期末試験の時期に絶大な効果を発揮することとなる。

未だ英語が不自由な留学生は、通例として試験30分につき5分の延長時間をもらえたのだ。期末試験は合計2時間であったので、これは20分の追加時間という意味になる。試験会場はESLの教室で、問題の英文に関する質問のみ出来るシステムがあったのだ。

英文に関する質問は、どうせ問題の内容が分からず曖昧な答えしか返ってこないであろうが、僕を含めたESL組はこの追加20分に飛びついた。

試験の時間は長ければ長いほど良いに決まっている。

問題の量が多ければ2時間で終わらないし、時間が余ればそれだけ見直しができる。

 

冗談であろうが、友人の一人がこんなことを言ってきた。

「留学生だからって試験で追加時間を貰えるなんてセコくない?」

僕は切り返す。

「ならば今度の物理の試験、日本語で出題するから日本語で答えてみなよ」
「2時間20分で日本語を読み日本語で答えるかい?それとも2時間で英語で答えるかい?」
「僕にとってはそういうことなんだ。20分はあまりに少ないんだよ」

立場を入れ換えた例え話をすると、皆が納得した。

 

いや、皆ではない。毎年あったであろうこの制度に一何故かESLの先生が異を唱えた。数学が得意な連中が、数学で他の生徒よりも多く時間を与えられるのが納得いかない、というものだ。

確かにESL組の僕達は全員がアジア人。英語にハンデを抱えつつも、数学が全員が得意科目であり皆がA評価を連出する面子ではある。

数学は見直しが大事な科目であるため、

「本来英文を読み理解するのに使われるべき20分を数学では見直しに使うだろう」
という意味で、ESLの先生が問いただしてきたのである。

これを考慮した学校側は、数学以外の科目で追加時間を与える、という方針を通達した。正直なところ、もらえる権利があるものが「得意だから」という理由で剥奪されるのはなんとも本国と彷彿とさせるような納得のいかなさがあったのだが、戦を前に、無駄なところで意地を張り敵を増やしたくはなかった。敵に回して今後添削等をさらに無視されては困るし、追加時間そのものを廃止されてはたまらない。

それに、先生の言い分にも一理あることは確かである。

僕はこの方針に納得し、そして11年生初の期末試験に挑む。

 

将来が見え始めるであろう第一歩へ向けて、挑む。

 

Chapter 5.5 - Time is Score

木葉が踊り小鳥の囀りが響き渡る校内で、期末試験は静々と始まる。

 

11年生からは本格的な期末試験だ。

すなわち、試験がある時間にのみ登校し、試験を受け、そして帰ることが許される。それまで平日は校内に幽閉されていた身である学生にとってこれは成長が故に手に入れた自由であり、同時に、普段とは違った時間に門をくぐった際の学校の、見知らぬ空気を初めて感じる時であった。

渋滞のない駐車場。

登下校中の生徒がいない校門。

別教室で授業を受ける下級生を見上げる空っぽのグラウンド。

何年も通い続けていたはずの道が、まるで別の場所に続いている道と錯覚してしまう。
静かで平和な、戦場へと誘う道のように。

 

普段は喧騒であるはずの踊り場を通り抜けると、そこは等間隔に離された机の並ぶ教室だった。これまた何の変哲もない、普段から使用している机であるはずなのに、試験仕様で等間隔に離されるだけで周囲を呑み込まんとする威圧感を放っている。

 

記念すべき一発目の試験は数C。

続々と教室前に集まってくる生徒達は皆、少々の笑顔を携えて互いに健闘を祈りあっていた。ノートを片手に最後の詰め込みを行なうものも、眠い眼を擦っているものもいない。数学において詰め込み暗記はほとんど意味がないし、睡眠不足は一番の大敵になる。数Cを選択するような連中はしっかりと試験の戦い方を承知していた。

携帯などの通信機の他、カバン等の所持品は全て剥がれ、教室に通される。目の前には運命を左右する問題が数枚と、学力を具現化する解答用紙が数枚。名前をしっかりと記入し、腕時計の時間を確認し、計算機の最終確認を行なう。期末試験であろうと計算機は必須だ。統計学的な内容も多いので暗算だけでは勉強が非効率的になる。

教室の時計の針が12を指し、まずは10分間の読解時間が始まった。

この最初の10分は試験問題を読むことはできるが、答案は何も記入してはいけない。
その後の120分で答案を行なうわけだが、この10分という時間をどれだけ有意義に使えるかは大事だ。

数学の期末試験は出題形式が2つに分かれており、計算問題と文章問題の2項目がある。計算問題は基本的な計算能力を問う出題形式であり、正しい値や法式を使って答えを導き出す。一方、文章問題では出題される文章を論理的に処理し、数学を使って状況に対処する。計算問題と違い、こちらは値や法式以外に、論理的思考能力や文章答案が大きく採点対象となる。よって、文章問題はしっかりと読解して論理的な流れを構築する時間が必要であり、僕を含めた全員が、読解時間をこうした文章問題に使った。

数学Cの問題は計算問題が16問と文章問題4問の、計20問。

たった20問ではあるが、文章問題を解くのには一問ごとに15分を費やす必要があった。本来は問17~20であるこれらを時間に追われる前に終わらせてしまったのは正解だったな、4問が終わって1時間が経つ中、そんなことを考えて脳を冷やしつつも間髪を入れず計算問題にかかる。

計算問題のほうは数学Cであってもスラスラと解けるものが多く、5分以下で1問解ける。なんとか試験終了3分前には全ての問題を終え、ざっと見直しができる程度の余裕だけだが、まずまずの出だしとなった。


2時間もの間ひたすら計算に脳を使い、ペンを走らせる手を止めないのは辛い。辛いが根を上げている暇もなく、帰宅し、控える残りの試験へと備える。

 

翌日には一日で、午前と午後の二回分の試験があった。午前中が英語、午後に化学の試験だ。

 

英語の試験は1学期で読んだ本に関するエッセイを600字で書くこと。

過去問の出題傾向から事前にESLで今年出題されるであろう問題が3つほど上がっていたので、3問それぞれのエッセイを事前に書いて予習をしておいた。試験なので勿論、予習で書いたエッセイの持ち込みや書き写しはできないが、それでも一度書いたことがある内容を綴ればいいだけなので、細かい文法のミスを除けばおおよそ同じ内容を書く事ができた。

英語の試験は記憶力だけの勝負であり思考力を必要とはしなかったので、午後の化学の試験も良好なコンディションのまま受けることができる、そんな安堵が僕の中にはあったが、これが2時間後にはこれまでにない不安となって返ってきた。

化学の試験がとにかく分厚く、そして想像以上に長かったのだ。

2時間にESL特例の20分を足した140分間、ひたすらペンを動かし続けたが、とうとう最後の2問は一文字も答える暇もなく時間切れとなり、白紙提出になってしまった。

 

時間が足りなかった。。。

20分も余計に貰っているのに、足りなかった・・・。

今までの試験とは明らかに違う。時間に余裕がない。

 

点数を落とした以上に、追加時間を貰っていたにもかかわらず間に合わなかった事実が精神的に堪える。

どうしてこうなった・・・なんでもっと序盤に早く書けなかった・・・。

慎重になりすぎたか?点数にこだわるあまり手が遅くなったか?


凹んでいる猶予すら与えてくれないのが期末試験のある一週間だった。

翌日にあった日本語の試験に関しては、前日はおろか当日も予習は一切行なわずに挑んだ。聞き取りはゆっくり喋る教材テープを眠らないように注意しながら聴くだけ、読み取りは内容こそ少しマニアックではあったが小学1~2年生でも簡単に読める単語や文字ばかり、書き取りはお題について、後に生まれるとは思いもしないアホなブログのように適当に書き殴るだけ、スピーキングに至っては授業内容と関係なく、クマヤマ先生に近況報告をしたら終わってしまった。

 

よって、この余分にできた勉強時間の全ては物理学の予習に注がれた。

化学の失敗を踏まえ、実際よりも短い1時間50分を目指して過去問を解く。読解と答案のスピードをとにかく上げ、同時に増えてしまう単純ミスを見直しで消す練習。ESL権限で貰える20分を足せば、見直しに合計30分使えることになる。

とにかくまず答案を埋め、その後に見直しで調整していく、そんな試験スタイルを重視した。

物理試験当日、読解時間中に試験をめくった僕は内心ほくそ笑んでいた。試験の中に2ヶ所、一字一句読んだことのある問題があったからだ。

無論それは過去問がそのまま出題されたからなのだが、そうであればクラス全員がほくそ笑む。周りの顔を覗いたらカンニング扱いになってしまうので自重こそすれ、全員がほくそ笑んでいないのは想像に容易かった。

過去問から出題されていたこの2問、共に3年前の試験で出題されたものであったからだ。そう、母の気転で手に入れた、本来であれば入手不可能であるはずの3年前の過去問。たった2問、配点もさほど多くはない2問ではあったが、気転がトリプルアクセルしていた。

2問の最良と思われる答えは手に染み付いていたので、これも影響し答案は加速、目標の試験開始1時間50分には無事に全ての答えを書き終えていた。見直しで細かい計算ミスも複数拾い集め、納得の行く形で試験会場を後にする。


残す試験期間は1日、科目は数学Bだけとなった。

正直なところ、最終日を目前に控えた僕はすでに意気消沈。精魂尽き果てていたので、予習もほどほどにこの最終試験を迎える。そうはいっても数学B、少しでも予習をしておけばすぐに感覚は取り戻せる。文章問題はややこしい問題も多かったが、計算問題は全問正解の自信があったし、数Cや化学や物理といった地獄の後であれば、数学ゆえにESL権限の20分を剥奪されようとも、見直しに費やすには十分な時間的猶予を残しての終了となった。

 

数学の試験の終わりを告げる鐘の音が鳴り。

それをかき消さんばかりの喜びのため息が校内にこだました。


試験期間最終日の午後3時。

 

各教室から続々と這い出る生徒たちの顔には、安堵や不安、希望や後悔が見てとれる。十人十色とはまさにこの状態の顔色を指しているのではなかろうか。

そして僕の顔は一体、今どんな色をしているのだろうか。

試験結果が発表となる1週間後には、どんな色をしているのだろうか。

 

 

 

Chapter 6へ続く>>

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