とある獣医の豪州生活Ⅱ

豪州に暮らす獣医師のちょっと非日常を超不定期に綴るブログ

とある獣医の豪州生活Ⅱ

安楽死の決断方法 ‐ 安楽死のすゝめ

数ヵ月前、自身が渡豪して以来、少年時代、大学時代、社会人初期と非常に濃い人生を共に過ごし続けてくれた愛犬を安楽死しました。大型犬で15.5歳での決断でした。

 

そこで重い腰をあげつつ、現役臨床獣医師として、欧米社会における安楽死の捉え方を日々体験してる身として、「保健所のお仕事」を日々手伝う身として、そして何よりも自身の愛犬の安楽死をプランを練って実行した身として、

 

ここに、ペットの安楽死を少しでも考える必要が出てきた方に向けて、安楽死の決断方法について書いていこうと思います。

 

日本ではまだまだ欧米に比べて一般的とは言い難い安楽死ですが、

安楽死は良いものです。

そういう視点があるということだけでも分かって頂きつつ、安楽死の決断をしようとしている方、迷っている方の罪の意識を少しでも無くしつつ、苦しむ動物が減ることを願っております。

 

基礎知識:安楽死って何をするの?

一言で表すなら安楽死とは「苦痛を与えずに死に至らせる」処置です。似たような状況として行政で行われる殺処分がありますが、愛玩動物における安楽死とシェルターや疫病制御プランにおいて行われる殺処分は同じように扱わないでください。後述します。

 

一般的にペットの安楽死は薬剤の致死量を静脈注射することによって行います。色々な薬剤がありますが、一般として一番理解しやすい説明としては「麻酔の過剰投与」だと認識して貰えれば良いです。麻酔の投与なので、苦痛は伴いません。注射を打たれた動物は直ちに昏睡状態(眠る)に陥り、脳が痛覚や苦痛を感知しなくなった状態のまま心肺が停止します。

留置(カテーテル、血管に薬剤を入れる小さな管)を入れた状態でスタンバイができて、そこから全ての工程が数十秒~数分で終わります。

 

安楽死と殺処分の違い

殺処分現場においても動物は安楽死処置を行われます。すなわち、苦痛の伴わない方法で死に至らせるという点では同じ処置ですので、広義には殺処分と安楽死は同じですが、その行動原理は全く別だと個人的には考えます。

 

殺処分が必要になる状況は基本的に人間の都合が優先される場面です。疫病が出てしまいこれを抑え込む為に助かるかもしれない命を含めて処分しなくてはいけない場合や、増えすぎてしまった動物を減らさざるを得ない場面における処置を自分は殺処分と呼びます。

一方で安楽死ですが、これは動物の尊厳やQoL(後述)が優先される場面です。不可逆的な苦痛を抱える動物に対する、現実的に唯一効果的な救済がそれ以上の苦痛を長引かせない死を与えることである場合が安楽死だと自分は考えます。病気による慢性的な苦痛を抱える場合、経済的に効果的で現実的で肯定的な処置が叶わない場合などです。

 

当記事においては愛玩動物を相手にした安楽死について書きますので、安楽死に上記のような「殺処分」のイメージがあり罪の意識で躊躇している方にはちゃんとこの2つの線引きをまずしていただきたい。貴方が考える処置は、貴方のためですか?それとも動物のためですか?この問いは安楽死を選択する面で非常に重要になってくるので何度も自問自答してください。

 

安楽死と金銭問題

人間の都合が優先されるのは殺処分である、という論法を展開しましたが個人的に例外があり、それは金銭面で深刻な問題を抱えている場合です。ここは正直とても難しい。

例えば大きな怪我や病気をして早急・長期的な治療が必要だが治療費がどうしても賄えない場合。こういう状況において自分は安楽死という「安価な代案」の選択を支持します。状況にもよりますが放置することで深刻なQoLの低下が懸念される場合、早急に現状可能な処置(安楽死)を施してあげることこそが動物のためになると思うからです。

これを保留にして、必要な処置を施さずに時間を引き延ばしQoLを下げたまま苦痛を伸ばす行為は、それこそ人間のエゴであり都合勝手な選択肢だと捉えます

 

自分としましては畜産現場の感覚もありますので命と金は切っても切れない仲だと思っています。ここに偽善は必要ありません、認めちゃいます。保護グループの仔猫が重病で治療費に10万円掛かる状況であれば、その10万で1匹を助けるか、その1匹を切り捨てて代わりに10匹分の避妊去勢を行うか、天秤にかけられるタイプです。

こればかりは慣れと理解なので、命と金の選択を強いられる当事者となる飼主さんには酷なことかもしれません。ただ一つ言えるのは、思考停止による結論の引き延ばしだけは苦痛以外の何も生み出さないということ。それだけは理解してください。

 

安楽死と獣医

日本では獣医師によっては安楽死の相談をすると嫌な顔をされることがあるという話も聞きます。獣医は日頃から理不尽な、例えば「飼えなくなったから安楽死してくれ」といった、一部の心無い飼育者から殺処分の依頼を受けることがあるので安楽死の話になると防衛的になる人がいます。その際はしっかりと話し合う以外にありません。もしかしたらその獣医さんはもっと苦痛を肯定できるレベルまで和らげる処置を知っているのかもしれませんし、単純に「殺処分」をしたくないだけかもしれない。

もしも後者の、ただ「殺処分」をしたくない獣医であった場合は、いかにその決断が動物に必要であるかを諭してください。上記した通り、我々は普段から心無い人と関わってきていますので状況によってはどうしても疑心暗鬼になることもあるんです。信念を貫いていただければ理解できますので、語ってあげてください。

それが動物のためを思う安楽死なら、自分は全力で貴方の決断を支持します。そこから先にまだ残るであろう罪の意識を肩代わりするのも我々獣医師の仕事の一環です。

 

基礎知識:QoL(クオリティ・オブ・ライフ)とは

安楽死を考える上で一番重要な概念がQuality of Life (QoLです。概念の内容は複雑で文章に表し難いのでウィキペディア等にお任せしたいのですが、要はその動物の人生の質(ヒトではなくても人生と表記させてもらいます)や生活の質、総合的な幸福度・満足度を指します。「幸福」という概念は非常に複雑で様々な事柄を考慮しなくてはなりません。

  • 心身の健康状態
  • 自立状態
  • 友人や家族関係
  • 遊びやレジャー
  • 仕事に対するやりがい
  • 快適で自由な住環境

等、項目は多岐多彩です。そしてこれは個人によって大きく変わるものです。

例えば酷い慢性的関節炎があり全力で走れない場合。これがテレビ鑑賞の好きな室内小型犬であれば、抗炎症剤を使って「カーペットの上でのんびりテレビを観れる程度」に症状を軽減してあげればQoLは維持されるかもしれません。しかしこれが牧羊犬で、毎日10kmを走って家畜を追うのが生きがいだったイヌであればQoLは相当低下している状態です。

 

QoLのうち、心身の健康状態(怪我や病気、精神疾患)や自立状態(食事や排泄、自力で動くことができるか)や住環境のアドバイスに関してはある程度まで獣医師ができますが、最終的にそのペットのQoLを一番正しく判断すべきなのは飼主本人だと思っています。

獣医師としての仕事は、飼い主さんのQoL判断のアシストをすべく、疾患にどれ程の苦痛が伴い、治療や対処療法でどこまで改善し、予後がどうなりそうか、客観的に伝えることが第一だと思います。しかし基本的に獣医師はその動物の普段の満足感や幸福感がどこから来るか完全に掌握できません。それが分かるのは24時間一緒に暮らしている家族(飼主)です。最終的にどこまでのQoLの低下を許容できるかの判断は飼主に任せなければなりません。

 

年齢とQoLの大まかな変動

しかしQoLという概念を曖昧にして飼主に判断を丸投げしてしまってはこのブログの意味があまり無いと感じます。こういう判断を下さなければいけない状況下に置かれると、人はまともな判断能力が失われるほど精神的に動揺していることもあるので、もっと理論的で視覚的な、おおよそのQoLの上下を時間系列と共にグラフ化してみましょう。これは臨床獣医として様々な動物の最期に立ち会ってきた際の経験則に基づいているだけで、なんの科学的根拠もありませんので参考程度にしてください。

 

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誕生から最期までのおおまかなQoLの変化(経験則)

左が若く、右に行くにつれて年老いていきます。QoLは上にいくほど幸福度が高く、下に下がるほど問題視すべき事です。以下、それぞれの年齢におけるQoL値の変化について個人的な見解を番号順に説明します。

  1. 誕生から初期の仔犬・仔猫時代。生まれた当初は幸も不幸も基本的には理解しておらず、純粋な生存本能と原始的な苦痛の回避しかありません。成長していく過程で楽しい事や遊び、仕事、家族を認識していきQoLが上がっていきます
  2. 基本的な少年時代。全盛期です。健康的な身体と有り余る体力で人生を楽しむ期間。
  3. 中年・高年になり「歳を取った」と感じる何かが起きます。自分は医学的に「歳」とひとくくりにするのが嫌いです。内臓障害だったり運動能力の低下だったり怪我だったり、身体のどこかに問題が生じてこれが表面化する時期です。早期発見と対応が大事になります。
  4. 対処期間。上記で身体のどこかの機能が低下した際、手術や投薬によりそれの機能を補助したり苦痛を和らげます。ここが寿命を延ばす期間と捉えてます。実際には直線ではなくもっと波打っていて、調子良い日と悪い日があります。
  5. 悪化期間。それまで投薬等で対処していたことの悪化や、副作用・合併症等による別問題で一気にQoLが下がります。高齢の場合これは驚くほどのペースで、いきなり、一気に悪くなるケースをよくみます。安楽死はこのタイミングで決断すべきです。
  6. 一時の回復。これはよく見かけるんですが病気が一気に悪化していく過程で一瞬だけ回復傾向を見せることがよくあります。ただこれは医療的に捨て身の対処療法をしているがためであることが多く(例:副作用とか気にしないでとにかく強い鎮痛剤を使いまくる)、もしくはそれまでの急激な悪化が少し緩くなったがために回復に錯覚してしまうだけで、すぐに今まで以上の速度で悪化(下手すると死)が始まります。
  7. 悪化・QoLの甚大な低下。補助なしでは生命維持がままならない(食事が摂れない、水を飲めない、嘔吐が止まらない等)状態になったり、和らげることができないレベルの大きな痛みを伴ったり、自立状態(排泄、移動等)が保てなくなります。自然死に向かう過程でこの期間がどれ程続くかは分かりません

 

 とにかく大事なのが、早期からQoLの維持に力を注ぎ、それでも力及ばずQoLが一定値(許容範囲)を下回ったら、そこで決断を下す勇気です。

 

 

動物のQoLはどう評価する?

QoLの概念や大まかな流れを理解したところで、最終的にそれを評価し判断しないといけないのは飼主さんで、やはりこれが難しいとは思います。何しろ相手は内情を喋ってくれませんし、全力で苦痛を隠してくる存在です。

よって、自分は以下の2点に注視して対象動物のQoLを判断することを勧めます。

 

自分を同じ立場に置いてみる

例えばグズグズに膿んだ皮膚腫瘍があるネコ。一見すると痛みを表情に出しませんが、もし自分が同じ状況だったらどうでしょう。膝の擦り傷、痛くて痒くて気になりますよね。ニキビの中に膿が溜まってるとき、痛いですよね。

 

例えば毎日吐いてしまうイヌ。自分が二日酔いになったときどんな気分ですか。トイレにうずくまり吐気に襲われるあの感覚が今後ずっと続くと想像したら。

 

例えば関節痛でベッドから立つのもままならなず大好きだった散歩も苦痛なイヌ。自分がベッドから起き上がることすらできない身になったらどうだろう。自分の一番の趣味が痛みで全くできなくなった世界を想像したらどうだろう。

 

まずは苦痛の度合いを想像しやすくするように自分を同じ立場に置いてみましょう動物は痛みを隠します。それは本能です。というか人間があり得ないくらいに弱みを見せる生物なんです。なので表面だけでは苦痛は写りません。しっかりと内情を想像してあげてください。

動物は3歳児だと思え

例えばグズグズに膿んだ皮膚腫瘍があるネコ。「痛い」「舐めても治らない」程度しか理解していないと考えましょう。皮膚腫瘍という癌でどこに転移して余命がどれくらいか、なんて難しいことは彼らは理解しません。

 

例えば毎日吐いてしまうイヌ。「気持ち悪い」「楽しかったごはんも食べたくない」程度の理解です。腎臓病だから好きだったチーズは食べてはいけないし水をたくさん飲んで脱水状態になってはいけないし慢性的で不可逆的な症状なんだ、なんて理解してくれません。

 

例えば関節痛のイヌ。「痛い」「お外行きたいけど行きたくない」「お外でトイレしなくちゃいけないのにごめんなさい怒らないで」程度の理解です。急激に身体を動かしてはいけない、ジャンプしてはいけない、室内での粗相は仕方ない事だ、なんて理解してくれません。

 

次に動物本人達の理解力を想像してあげます。ここも人間と決定的に違う面なので重要だと思います。人は脳に依存したQoLの維持が多く可能で「○○は身体に悪いから食べちゃ駄目だけど代わりに◇◇を食べようね。もう××には行けないけど代わりに室内でできる△△を楽しもう」と、理解と代案によるQoLの維持を志せます

しかし動物はもっと単純な思考なので、自分の置かれた状況はあまり理解しません。好きだった○○が食べられない、という事実だけが、その理由を理解されないままほぼダイレクトにQoLに関わります。××に行けないという事も、行かない事で得られる好影響を理解されないままネガティブな事実としてQoLに関わります。

彼らのQoLは単純思考で考えてあげてください。例えるなら3歳児が同じ状況にあったらなんと言うかです。3歳児だとある程度自分の感情は声に出してくれますが、それは「××に行きたい」「○○食べたい」という単純な不満だけでしょう。そしてこちらの説明や説得は理解されません。この状況からどこまで幸福度が維持できているか、ここからどこまで下がるか、これを考えてあげます。

 

例:我が家のイヌの安楽死までの工程

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我が家のゴールデンレトリバーは幸運なことにガンも重病もすることなく高齢化していきました。まぁ飼主が飼主なんで常日頃から触診されてる身で、良いフードを食べ、毎年の血液検査も欠かさなかった奴なんですが、それでもガン等が出なかったのは運が良かったです。

11歳になった頃、膝の十字靭帯の部分損傷をやってここから関節炎との闘いが始まります。行動力という面ではここから一気に老けていきますので、グラフで表すと③にあたります。

関節炎は時間と共に悪化していく、治らない症状です。なのでここからは体重維持、関節用フード、関節サプリの注射、痛み止め、抗炎症剤を遂次投入していく形でQoLの維持に努めました。まず改善策を1つ、それでもQoLの維持が心許なくなってきたら2番目の改善策を、そして3番目をと足していく形です。副作用の強い抗炎症剤等は後々に投入することでQoLを維持しつつ延命に努めました。グラフで表すと④ですね。

15歳3ヶ月辺りから急激な悪化が始まります。時折タイルの上で自力で立てなくなり、鳴き声を上げて助けを呼ぶようになった。対処療法の上限一杯までの鎮痛剤と抗炎症剤を駆使してQoLの維持に努めました。15歳5ヶ月、対処療法の上限一杯の投薬も虚しく、2日連続で数回自力で立てなくなりました。グラフで表すところの⑤に差し掛かったと察し、ここで医療観点から安楽死の日程を1週間後に決定しました。

 

安楽死の日程決断直後は感情が込み上げてきて泣き続けましたが、決定と共にある種吹っ切れた状態になりました。痛み止めのリミットを完全解除し副作用を気にしないまま基本量の2倍の投与により苦痛を和らげました(これでダメならモルヒネ系統の使用を考えてました)。

 

安楽死決定から2日経ち、関節の痛みはある程度和らいだものの今度は食欲不全と多飲が始まりました。今まで一度も拒食したことがないにも関わらずドライフードを食べ残しました。これは投薬による副作用の慢性腎不全の兆候だと明らかでしたが吐気も脱水も無かったので痛みの軽減を最優先として投薬を続行。栄養価も気にせず、茹でた鶏肉とお粥を主食に替えたところ食欲がバリバリ改善。以後食欲に問題は出ませんでした。グラフで表すと⑥です。

安楽死決定から6日目、尿漏れが始まります。ベッドの上から動きたくない/動けない状況なので自身の排泄で汚れることが起き始めました。グラフで表す⑦に差し掛かってる場面です。

安楽死決定から7日目、予定通り安楽死を決行。1週間の準備期間は心にかなりの余裕と覚悟を与えてくれたので自身でスムーズに処置ができました。

 

 

安楽死の利点・欠点

利点

  • 動物に優しい

特に苦痛を伴っている場合、その苦痛を無理に伸ばさなくて済む点が何よりも安楽死の意義として挙げられます。

  • 時間を決められる

「最期に立ち会う」を自然で行うことは中々難しいものです。家族の旅行や学校や仕事などで運悪く最期に立ち会えない、というのはペットにとっても残された家族にとっても悲しいものです。安楽死QoLの急激且つ危機的な低下で無い限り、ある程度の「予定」を立てられます。今日なのか、明日なのか、それともあと1週間?といった不安が生まれません。

  • やるべき事をやれる

予定を立てる上で、最期までにやっておきたかった事を消化する猶予が与えられます。親しい友人を訪ねるもよし、いつもの散歩コースをゆっくり周るもよし、いっぱい写真を撮るもよしです。治療面としても、「もう安楽死を決めたから副作用とか気にせず上限一杯の対処療法をぶち込もう」ができるのは地味に大事です。

「美味しいものを食べさせたい」という気持ちだけは気を付けてください、高齢のペットに安楽死前にケーキを食べさせて、その脂質量のせいで急性膵炎になり安楽死前に腹痛に苦しみつつ亡くなってしまったケースを診てます…。あくまでも高齢の子には相応のごはんにしてください。

  • 精神的な覚悟を決められる

安楽死の予定を決めた直後は精神的にとてもツラいですが、ここである程度の「悲しみ」を消化できるので実際に別れをいう当日の悲しみが少し軽減されます。

 

欠点

  • もっと長く生きられたのでは、という疑念

 他の方法があったのでは、という疑念を持つかもしれません。これに関しては獣医さんの言葉を全面に信用できるかどうかです。獣医が「これ以上は何もできない」といったら、そこが限界です。できうる限りのすべてを施した上での安楽死には後悔は生じません。

  • お金がかかる

安楽死を考えている段階でここを欠点と見る人はいないかと思いますが。

  • 自らが手を下していると錯覚する

何度でも言いますが、それが動物の為であるなら良い事なんです。欠点ではありませんが、一般の感覚だと「安楽死を選んだ = 殺す判断」と捉える方がどうしてもいます。また、周りからそう見られるのが怖いという方もいます。これも欠点ではありません、知識とQoLという未だあまり浸透していない視点の問題です。

 

 

まとめ:自分が勧める安楽死プラン

  1. ペットのQoLに常に注意を払うQoLを一番正しく判断できるのは飼主本人です。ペットを3歳児だと仮定して、ペットの気持ちを考えてあげましょう。それは単純思考です。お母さんとずっと一緒に居られるなら我慢できるとか考えてませんし、○○だから仕方ないとか、××だから諦めがつくとか、そういう思考も彼等にはありません。苦痛は苦痛でしか無いのです。
  2. 獣医師の言葉を信頼するQoLが許容範囲より下がった際、対処がこれ以上できずQoLを立て直す手段が無いという判断だった場合、これを理解しましょう。「やれることは全てやった」と自分で理解できれば安楽死は肯定的な良い処置になります
  3. 動物は死ぬという事実を受け入れる。時に命の引き延ばしは苦痛でしかありません。動物は死ぬときは死にます。そこを理解しましょう。これを受け入れられないと人はどこまでもエゴになります。動物の為の判断をしましょう。自分の為では駄目です
  4. 安楽死の予定日を立てる。「まだ元気だから」とその日その日で引き延ばし、結果的に大きな苦痛を与えて後悔する人を今まで何百と見ています。QoLが許容できないレベルに達したと判断したその日、そこからQoLは平均的に下がり続けます。家族と覚悟を決めて、最期に向けた準備を始めたら後戻りは駄目です。後戻りをすれば後悔します
  5. 泣く。泣いとけ。ここで泣いとけ。悲しみは時間でしか解決できないので、まず安楽死当日より前に悲しみを先払いしておきます。
  6. 最期に向けて、全力で後悔を無くす。写真でも散歩でも友人を招くでも一緒に寝るでもおなかに優しい御馳走を食べるでも良いです。とにかく「生きてる間にやっておきたかった」事を消化しましょう。「まだ元気だから」でアヤフヤにしてしまうとこれもまたアヤフヤになり、後悔の一つになります。
  7. 安楽死決行できれば最期まで立ち会ってほしいというのが獣医側の意見。自分をペットの立場において想像してほしい。数日間とっても楽しい時間を過ごし、家族の笑顔に囲まれ、苦痛もなく眠るように息を引き取る状況を。真夜中に痛み苦しむ中、パニック状態の一部の家族が泣き叫ぶ中で息を引き取るのとどちらが好ましいかを。想像してほしいんだ。