とある獣医の豪州生活Ⅱ

豪州に暮らす獣医師のちょっと非日常を超不定期に綴るブログ

とある獣医の豪州生活Ⅱ

獣医師と自殺について

先日ツイッターこんな記事が一部界隈で少しばかり話題になってるのを目撃したので、ブログに対する重い腰を上げてオーストラリアの獣医師界隈における自殺問題について書いてみようと思います。 

 

 

 

オーストラリアにおける獣医師の自殺率は、平均自殺率の3.8~4倍という調査結果があり、とび抜けて高い数値を叩き出しております。医者や薬剤師等、似た職種の自殺率が平均の2倍に収まっているので、頭一つ抜き出ているわけです。

日本の教育方針がどうかは知りませんが、オーストラリアの獣医大では1年生の時に真っ先に学ぶのがこの自殺問題についてです。明るい未来を夢見る若人達に初っ端から現実問題を渾身のストレートで投げつけるのが通例となっており、後述する「Help Line」の電話番号を自身の携帯に半強制的に登録させられます。

 

以下、豪州の獣医師における自殺率の高さの原因について考察していきます。

 

獣医のストレス

労働時間における疲弊とストレス

まぁメジャーどころですね。どの職種にも存在する自殺の引き金です。オーストラリアの労働基準法では正社員の労働時間は週38時間ですが、獣医療現場では残業は日常茶飯事なのはご存知。やれ緊急オペだの、やれ入院患畜が調子崩しただの、やれ書き終わってないカルテ積もって来ただの、基本的には定時ピッタリに上がれない仕事です。

更に獣医師という職種ではOn-call、つまり急患対応の当直を日中も働いている獣医が兼任する場合がほとんどです。大きな病院だったり緊急病棟であれば夜担当の獣医さんが夜だけやってくれる場所もありますが、田舎であったり小さな病院であればそこで働く数人の獣医がそれぞれ各夜や週末を担当します。

場合によってはこれがかなりキツくて、朝から夕方まで普通の診察、夜に数件の急患対応、睡眠時間ほぼ無しで翌日またいつも通りの診察、帰り際に緊急オペ、みたいな流れに巻き込まれるとゴリゴリと体力・精神を削られます。

週60時間が当たり前と語る獣医も非常に多く、これは豪州基準としては超ブラックです。酷い環境だと田舎町に獣医一人、週7日労働&当直週7日みたいな世界もあるとか。そりゃ死ぬって。

 

家庭内におけるストレス

上記した部分に繋がるのが家庭内ストレスの上昇。

獣医ってのは結構ころころ帰宅時間が変わりますし、それこそ当直なんてやってたら風呂入っていようが旅行のプランを立てていようが子供とゲームしていようが、電話がかかってきたらプライベートの時間はオシマイ。フレンチでコース料理のディナー?無理です当直ですもの。ダブルベッドで仲良く就寝?夜の2時に急患の電話かかってきますけど?

これで家庭内の軋轢がジワジワ溜まっていくという話、よく聴きます。パートナーが医療系の方は覚悟してあげてくださいマジで。

 

金銭的なストレス

オーストラリアの学生の多くは奨学金制度で大学を出ます。現在のところ豪州国民ならこの制度が使えて、大学費の大部分を在学中は政府が肩代わりしてくれるのです。

が、こいつが罠でして、3年で卒業できるような学科とは違い獣医学部は5~6年制。学費自体も特殊な学部なせいで他に比べて高いので、奨学金制度で獣医学部を卒業した獣医は気付かぬ間に馬鹿にならない額の借金を背負わされているわけです。

この奨学金は仕事を始めて固定給が発生すると天引きされる方式ですが、ここで新卒獣医たちは苦しめられます。何しろ学費としては医学部とたいして変わらないのに、人間の医者やエンジニア、弁護士に比べて初任給は2/3程度。その後も差は開く一方で、おおよそ獣医は平均値にして人間の医者や弁護士の半分くらいの給料しか貰えません。

一向に返せない借金と上がらない給料、溜まらない通帳の額にストレスを抱えることが特に学費が上がってる昨今では問題視されてます。若い獣医の自殺で増えてる要因はこの学費問題であるとまことしやかに囁かれているのです。

 

また、畜産界における獣医師の場合は別の意味の金銭的ストレスも多く、端的に言えば畜産農家が被るストレスが丸々そのまま獣医師のストレスにもなる点は無視できません。畜産業においてキャッシュの流れは時期に大きく影響され、家畜を出荷する時期は金銭的な余裕がありますが家畜を育てている最中は金銭的余裕が無いのが基本です。よって畜産獣医の多くはいわゆる「ツケ」を認めて後払いを許すことが多いのですが、干ばつで牧草が全滅!みたいな災害を農家が被るとこれはそのまま金銭面で獣医側の重圧にもなります。

 

共感性疲労(Compassion fatigue)

獣医師はほぼ例外なく「動物が好き」でこの仕事を目指した人種であり、その根本は「動物を助けたい、救いたい」という気持ちが支柱となってるわけです。が、現実に我々が対面する多くが極度に病気が進行してしまっていたり、心無い人間に痛めつけられ衰弱していたり、痛みに悶え苦しみ声なき悲鳴を上げる動物達。こうした動物達に同情し、共感してしまうことから鬱になったり精神的に病んでしまう獣医は後を絶ちません。

いわゆるシェルターにおける仕事で、多くの動物の安楽死を望まぬ形でやらなければならない獣医師に関してもこれ。動物を殺したくて獣医を目指す人間を自分は一人たりとも見たことがありません。望まぬ仕事でも、誰かがやらなければならなく、多くの場合はこれがストレスを積み上げていってしまう。

 

ちなみに現在の自分も「市役所のお手伝い」を担当する獣医の一人です。自分自身でこの共感性疲労には十二分に注意を払ってますが、もしも精神的にポキッとなるようなことがあれば即休暇、何なら新しい仕事を探すことも視野に入れております。

 

顧客によるイジメ、脅迫

「お金が無いので治療費が払えません」

臨床獣医をやっていてこれに似たフレーズを聞かない日は無いといっても過言ではありません。それくらいメジャーに直面する言葉で、同時にこれは(一部は故意的だが)大部分の顧客としてはあまり意図していない脅迫となります。

既述したように獣医の根本は動物を助けたいという気持ちです。しかし医療行為にはお金がかかります。慈善事業ではなくビジネスですし、人間の病院のように政府の援助や国民医療保険があるわけでもない。お金が無い人にはサービスを提供できないのは動物病院でもホストクラブでも同じなのです。

しかし一部の顧客はこの根本を何故か理解してくれず、人の良心に付け入ろうとします。「金にしか興味の無い守銭奴獣医」と罵り、「動物を愛する気持ちが無い」と自分の金銭的援助能力の無さを棚に上げて獣医師の根本精神を全面否定する。これ、言い換えれば「獣医なら無償でも治療しろ、治療しないならお前は存在価値が無い」という精神的脅迫ですよ?

実際にこの脅迫に折れて治療する獣医師もいますし、逆に存在価値が無いという方向に折れて自殺する獣医もいる。

「めんどくさい客」はどの業界にも存在しますが、獣医師界隈におけるこれは厄介で、獣医師と客の間には無実で無垢な動物が巻き込まれる形で存在し、これが数倍の力で獣医師の精神を傷めつけてくるのです。次に「お金が無いので治療費が払えません」というフレーズを聞けば、あぁ、内心ではまた私の事を守銭奴と罵ってるんだろうか、みたいに病んでいきます。怖いです。

 

勿論ですがもっとダイレクトに虐めてくる顧客も存在します。女性獣医に対する差別的な発言、若い見た目の獣医に対する軽蔑、症状の悪化を医療ミスと煽り炎上させる等々。難癖はいくらでもあります。ネット上の晒しによる苦痛も大きな問題です。

昨今では獣医師が「訴えられる」事案も増えてきてると思います。藪医者への制裁としては良い事だと思いますが、みてきた限りでは結構な割合で「良い獣医」さんが「事実無根の難癖」で訴えられるケースも多いんですよね。オーストラリアの場合、こうした事案はまず各州の獣医委員会の査定が入りますが、例え獣医師が100%勝てる自信があったとしても「訴訟」ってのは非常に大きなストレスとなり、また委員会の査定による事態の収束は場合によっては2年近くかかることもあるため長期間の不安を抱えることになります。

 

完璧主義者(Perfectionist)としてのストレス

獣医師の多くは完璧主義だと言われています。完璧主義とは要は万全を常に目指し厳しい自己評価を課し他人の評価を気にするタイプの人。例え話をすれば「テストで95点では満足できず100点を目指さないとならない人」です。基本的に職人気質の思考の持ち主で、受験戦争を勝ち残ってきた獣医師に多くなりがちなのは当たり前なんですが、これがストレスになる。

 

飼主が診断と治療の一部を拒否すれば、最善の医療が施せなかった面で苦痛を感じる。

何かしらに気付かず症状がちょっと悪化してしまえば、過度の自己批判

確率的に起こりうる合併症を自身の責任と考える。

 

そして完全主義という思考は自殺のリスクファクターと言われているわけで、そもそも医者や獣医は自殺しやすいとも言えなくはないんですが、特に獣医師の場合は対面する相手が言葉を話さない動物なので、どんな些細なことでも「あぁ私が気付いてあげられなかったから…」と、動物の代弁者であるべき獣医師自身を責める事態になりやすい面があると思います。

 

 何故自殺に至るのか

 安楽死という概念

一番冒頭の記事でも触れられていましたが、獣医療では「死」に直面するケースが多いです。これは多くの動物の命のほうが短い事もそうですが、商業目的で死を扱う仕事でもありますし、重症化してから診せに来るケースも多いため死亡率が高まる事も考えられます。そして勿論、安楽死という選択肢も、獣医をより「死」に近しい存在にしてる要因として大きいでしょう。

 

獣医にとって安楽死とは基本的には肯定的な、ポジティブな処置と言えます(例外としては健康な動物の安楽死、これは共感性疲労の原因になる)。安楽死という処置をとる状況は、対象の動物に苦痛があり、医学的・経済的・時間的に他の処置が施せない状況において、動物を苦痛から解放する不可逆的な措置という位置づけです。

言い方を変えれば、「どうしようもない状況からの肯定的な解放」として最善且つ正しい判断が安楽死である、という認識を持っていますし、その信念は揺るぎません(ここが揺るぐとそれはそれで安楽死を行うことでストレスになりますし)。

 

これが多分ですが危険極まりない信条でして、上記したストレスや精神的疲労により生まれる葛藤、つまりどっちにも転べない「どうしようもない状況」に精神が蝕まれた場合、獣医師の行きつく肯定的結論にはどうしても安楽死があるのです。これを正しいと感じ、それまで何百という命をこの判断で扱ってきた獣医は、自分という一つの命に対しても同様の措置を取りがちなのでは、と言われています。

 

実際、オーストラリアの獣医師の自殺で一番ポピュラーな方法が薬物自殺、要は安楽死用の薬を自ら静脈投与して自殺する方法です。血管に入れるカテーテルも、点滴ポンプも、安楽死用の薬も簡単に手に入ってしまいますし、苦痛無く安らかな死を遂げられるという知識も経験もあります。

ちなみに銃器自殺が次点です。これも仕事柄銃器を扱うことがあり、銃器を使った安楽死に近しいからかもしれないですね。

 

 対応策

教育

既述したように獣医という職業におけるストレス・マネジメントや自殺問題については豪州においては学生の頃から何度も学ぶことになります。「休む時は休め」が信条な国ですが、それでもこの信条を再三に渡って強調教育してくるのは学生時代こそウンザリしてましたが、実際に臨床やってみれば納得もします。

 

また、新卒獣医には様々な形でMentor(指導獣医)が割り当てられる仕組みがあり、これは大学内の教師、州の獣医委員会からの割り当て、獣医師ネットコミュニティー内での割り当て、各病院での割り当てと多岐に渡り、一人に対し数人の指導獣医が付くことも少なくないです。それこそ距離にして800km離れたところにいる獣医さんがMentorとして割り当てられて、「やぁ何でも頼ってくれよ!」なんてメールや電話がいきなりくるんですよ。

医療面での助けは就職先の先輩獣医に託されますが、Mentorの場合は精神面のサポートが主になっています。例えば就職先の病院の方針に疑問を感じた場合、その病院内の誰にも頼れない状況が生まれてもMentorには相談できる、といったシステムですね。新卒の面倒をみない院長とか時々いるので、そんな新米を助け導くコミュニティーが形成されています。精神的苦痛を支えてくれる頼れる存在なので連絡先は常に用意しておくのがいいですね(自分も未だに連絡取ればすぐ助けてくれるであろう先輩獣医師のMentorが3人います)。

 

緊急連絡先

急を有するようなうつ病や自殺願望に襲われた場合は即刻、国が支援する自殺防止ホットライン(13 11 14)に電話をすること。

豪州獣医師会(AVA)は独自の電話カウンセリングサービス(1800 337 068)を有しており、会員の獣医師に対して24時間の電話対応を行っています。必要だと判断すれば対面カウンセリングの予定を組んだり、動物病院に直接カウンセラーを送り込む対応もしてくれる。このサービスは獣医師の家族にも対応してくれるという有難さ。

 

 

 

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Photo by Fernando @cferdo on Unsplash

 

 

とにかくヤバいと思ったら誰かに相談して、精神科なりカウンセラーなりにお世話になれ、は耳にコブが出来るほど聞いてきました。精神疾患は病気ですので仕事は病欠扱いになるし、仕事を辞めることになってもある程度の保険が下りる。

自分を追い詰め過ぎないで、一線を越えたらその先にある劇薬に手を伸ばす前に吹っ切れて逃げ出す。これ大事ね。

 

誰が言ったか、逃げることを良しとしない考えがあるのはこの地球上の動物で人間種だけであるということを我々獣医が一番理解していなければならないと思うのです。

 

 

駄目なら逃げよう、動物だもの。

 

 

 

参考文献:

  • H JONES-FAIRNIE, P FERRONI, S SILBURN and D LAWRENCE (2008). Suicide in Australian veterinarians. Australian Veterinary Journal Volume 86, No 4
  • L Fritschi, D Morrison, A Shirangi and L Day (2009). Psychological well-being of Australian veterinarians. Australian Veterinary Journal Volume 87, No 3

反ワクチンの言動を反エアバッグで例えると面白い

最近時折現れるアンチワクチンの人っているじゃないッスか。ワクチン接種は害悪だという理念の下、ワクチン接種を拒否するタイプの方々。Anti-vaccination。

人間のお医者様、特に小児科辺りは苦しめられているであろうアレ。

 

獣医界にも勿論一定数が存在しております。畜産の世界じゃほとんど聞かないかとは思いますが(ちゃんとした思考力を持ってる牧場ならパンデミックの恐ろしさを理解してるんでね)、馬業界と犬猫の界隈にはいるんスよ…。

オーストラリアにおいては馬の場合ですと最近になって増えたHendra vaccineに対する反ワクチン勢が目立つかなぁ。犬猫においては「ワクチンなんていらない」という意味不明な主張持ちが反ワクチン勢ですね。3年毎にしかC3ワクチンいらないよ、という主張は科学的根拠があるから自分も肯定しますが。

 

日本の場合は法律で定められてる狂犬病ワクチンの接種率が芳しくないとか何とか。いやぁ、ヤバいっすよそれ。いつか一発出そうですな。そして一発でも出てしまったら世界目線で観て日本の公衆衛生管理能力が地の底に落ちるんだが…。

 

ところでこの「反ワクチン」の主張には色々とありますが、基本的にはどれもが、少しでもちゃんと免疫学や医学をちゃんと理解していればどれだけ支離滅裂且つ狂気じみているかが分かるモンです。

反ワクチンの主張にアテられるのは大抵が自称知識人から論理の欠片もない上澄みのストーリーを聞いたり読んだりして、なんか分かった気になってる連中ですが、自分の好きなことわざ「井の中の蛙、大海を知らず」のまさしくソレ。言い換えれば「ネットの中のアンチワクチン勢、免疫学の基礎すら知らず」ですもの。困ったことに大抵は空の青さすら知らないことが多い気がする。

 

で。

 

どこで見たか忘れたんですが、反ワクチンの主張をエアバッグとして言い換えると非常に面白く的確なたとえ話が完成する、って話をチラリと見かけまして、いやはや色々と考えれば考えるほどモノスゲェ適切な例えになるのでちょいと書いてみます。

 

注意:科学的根拠でガッツリと反対派への反論をするモンではありません!面白おかしく、それでいて考えてみると割と的を射ている例え話をするだけです。

 

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  •  予防接種は身体に害を及ぼす、副作用がある
  •  エアバッグは身体に害を及ぼす、運転手の鼻の骨を折ることがある。

個体差こそありますが予防接種で過剰反応等が稀に起きることはあります。が、リスク&ベネフィットを天秤にかけた時に出る利点の大きさを秀逸に表した例え。

 

  • 生ワクチン接種で罹患し重症化することがある
  • エアバッグの誤作動でいらぬ怪我をすることがある

これも利と害を比較する際に、そして誤作動率を客観的に感じ取るのに良い例え。

 

  • 昔はこんなに色々な種類の予防注射なんてなかったぞ!
  • 昔の車は後部座席にエアバッグなんてなかったぞ!

結果的に昔のほうが死亡率高かったでしょう系の支離滅裂発言。

 

  • 予防注射は医者が金儲けのためにやってる陰謀
  • エアバッグの設置は車メーカーが金儲けのためにやってる陰謀

どうやって儲けるんだ系。予防接種儲からないんだなぁ。ぶっちゃけ病気になって大量の治療費を必要としてくれたほうが儲かる。車屋エアバッグついてないカスタムのハンドルを着せ替え出来るように売った方が多分儲かるぞ。

 

  • 過去に予防接種が子供に害を与えていたのは事実。今も安全とは言えない。
  • 過去にエアバッグには有害物質が使われていた。今も安全とは言えない。

エアバッグにはアジ化ナトリウム(有害)が使われてた過去が!2000年以降に販売されている車には使われてないけど信じられないコワイ!科学は進歩するという事実を忘れがちなお茶目発言。

 

  • ワクチンには○○という危険物質が入ってる!これは××で使われるモノ!危険!
  • エアバッグには火薬という危険物質が入ってる!これは軍用銃で使われるモノ!

なんか過激なモンと抱き合わせて不安を煽るタイプ。物と鋏は使いよう。

 

  • 自分の子に予防接種しなくても他人に迷惑かからないでしょ!
  • 自分の車にエアバッグなくても助手席の知人に迷惑かからないでしょ!

迷惑かかります…。下手すりゃ間接的に人殺しになるんです、マジで。

 

  • ワクチンに頼ると軟弱になる。自然に獲得する免疫が一番。
  • エアバッグに頼ると軟弱になる。事故って怪我してタフになるのが一番。

筋肉は世界を救うと主張する脳筋系。自然獲得の途中でワンチャン死ぬ。

 

 

 

 

 

どうでしょう。

割と的確な例えになると思いません?どんな主張でもエアバッグに置き換えられるのは凄いと思うの。

 

そんなネタ記事。

 

畜産動物における福祉と金の関係

少し前(少し?)、ツイッターのほうの匿名質問箱にこんな質問が来ました↓

 

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豚が好きで獣医を目指す高校生がいるという面で日本の未来に一筋の光を見つつ、ツイッターで簡単に答えた時点で「詳しくはブログに書く」なんて言っておきながらブログを1ヶ月ほどサボタージュしていたことに罪悪感を抱き始めたので書きます。

 

 

 

 

 

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何故、どうやって、ブタの去勢は行われるのか

簡単にまとめると、雄豚の去勢を行う大きな意味は、オスの豚が性成熟期に達すると肉につく「豚の雄臭(Boar taint)」と呼ばれる、不快感を与える臭い及び味を防ぐ意味があります。消費者が好まない臭いや味を防ぐ意味で、性成熟前に去勢を施してこれを防ぎ、質の良い豚肉を製造するわけです。

去勢方法ですが、基本主流となるのは外科的な睾丸摘出の去勢術。生後1週間以内に、無麻酔で行われるのが日本では主流となっています(はず)。去勢術自体は非常に簡単で、鋭利な刃物でキンタマ袋を切って、タマを引き抜いて終了。慣れてる農家さんだと数秒でやってしまいます。

 

で、そこで未来の獣医師高校生君の非常に最もな疑問が来るわけですね。

 

 

海外では麻酔無しで去勢することを禁止してる?

オージーライフを名乗ってるブログなので、ここではEU各国のお話とかは省いて豪州のお話をしましょう。

実は法律的なお話で言うと、オーストラリアでは無麻酔での豚の去勢は禁止されていません。これは最新2008年版CSIROのCode of Practiceに明記されていますが、

  • 熟練した者、及び熟練した者の指導の下以外では行わないこと
  • 生後21日以上の雄豚の去勢は麻酔を施し獣医師が行うこと

の2点が法律で定められている最低ラインです。この他に推奨される事として、手術的去勢は生後2-7日の間に行われることが望ましい、とあります。

 

で、これはあくまで法律のお話。

 

じゃあ実際にオーストラリアの豚肉はみんな無麻酔で去勢されているのかと言われるとそうではなく、大部分の雄豚は術的去勢を受けません。多くは生後6ヶ月程度の性成熟前に出荷されているか、免疫学的去勢製剤と呼ばれるお薬の注射でキンタマの機能を停止させた雄豚が育てられることが大多数を占めてます。

 

他の国、特に動物福祉概念に強いEUの一部は法律で禁じてるところも多いでしょうが、自分が言いたいことはですね、法律以前の問題なのよ、という話。掘り下げます。

 

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問題は麻酔にかかるお金?麻酔を安くすれば良い?

確かに、局部麻酔を施して去勢をすれば動物福祉的に多くの問題が解消されます。そしてこれまた高校生君の想像通り、お金がかかります。

局部麻酔用の麻酔薬、注射針、シリンジ、局部麻酔を施す技術を持つ人の労働力、麻酔が効くまでの時間的なロスと非効率性から生まれる生産力の低下。これらが主なコストでしょう。

 

じゃあ上記のコストを出来る限り下げれば問題は解決されるのか?という質問が来ましたが、青くて可愛い考え方です(そういうの好きだよ)。そして答えはNoです。

百歩譲って麻酔薬と注射針とシリンジが無料になったとしても、非効率化による生産率の低下は避けられません。つまり、動物福祉を向上させつつ現状の生産効率を維持するという考え方では無理が生じてしまうんです。忘れてはいけない事があって、畜産業は仕事です。家を扱って利益をむ生です。

 

動物福祉、動物愛護をいう概念を押し付けるだけ押し付けて動物を守ったつもりになり、その動物を扱う人間の事を考えないやり方は動物を扱うどんなフィールドでも許されないと声を大きくして言いたい一端の獣医。これ多いんだよね…。

まぁ質問主が動物一辺倒じゃないのはコスト問題等をしっかりと考えている点からも伝わってきてますがねー。

 

動物福祉という付加価値を売る

「動物福祉を向上しつつ現状の生産効率を維持することはできない」ならどうすればいいのか。これはもう物凄く簡単なことでして、生産性の指向を変えれば良いのだ。

 

これに成功しているたとえ話をしてみると。

 

スーパーに行けば一束100円のホウレン草が売っている。これは大きな畑で大量に植えて、機械で農薬を散布して育てられたホウレン草だ。

一方で、同じホウレン草でも一束250円のモノも売られている。こちらは畑の規模は半分程度で、無農薬で多少の食害も受けた農家で育てられたもの。

 

100円のものは生産効率を重視して、大量に安く作られたもの。もう一方は「無農薬」に拘って、100円のものよりも非効率的に作られたからその利益を賄うために2.5倍の値段で売られている。

しかしどうだろう、後者の商品には「無農薬」という唯一無二の付加価値がついているわけで、値段が高くなっていても一定の客層には人気商品だ。値段に見合った付加価値が付いていれば、消費者はそれを受け入れ経済を回す

 

これは動物を扱う畜産にも全く同じ条件で当てはめることが可能なのだよ。

 

つまり極端な話、現状の生産効率で豚肉を100g100円で売るなら、動物福祉を順守した「豚に優しい豚肉」という付加価値のついた豚肉を100g250円で売れば良い。こうすれば麻酔の値段も効率性の低下も、売値で賄える。豚にも経営者にも優しい世界。

 

 

 動物福祉は消費者の意識から

畜産はビジネスです。常に消費者があって、畜産というビジネスが成り立つ。

 

 

安いお肉を求める消費者が多いところで100円の豚肉と250円の豚肉を売ったら、250円で売りに出してる農家はすぐに廃業します。

 

が、消費者が養豚の去勢に関する現状を知り、これを良しと思わず、少々値が張っても豚のためなら構わない、という意識を持てば状況は変わります。250円の動物福祉を順守した豚肉が売れ、100円の豚肉は売れ残り始める。動物福祉を守ってない豚肉を使っている企業に対する不買運動が起きるかもしれない。

消費者が福祉を重視する流れになれば、福祉を軽くみる養豚は利益を上げづらくなり、養豚業界全体が福祉重視にシフトします。法律で禁止なんてしなくても、生産者は消費者の流れに合わせて方向性を変えるんです。

 

こういう流れが実際に起きている・起きたのがオーストラリアやEU各国。

 

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オーストラリアにおいて特に有名なのが英国王立動物虐待防止協会(RSPCA)の定めた方針で育てられた鶏肉や豚肉。RSPCA基準における養豚では手術的去勢は禁止です。RSPCAロゴのついた肉は他より少し高いですが、消費者意識が高く良く売れます。高値で売れば牧場も利益の余裕が出るので動物福祉に焦点を置いた仕事ができる。

 

オーストラリアの大手スーパーは2つ、WoolworthsとColesがありますが、このうちColesは既にRSPCA基準ではない豚肉の全面廃止をしてます。全体的にWoolworthsよりも肉類の値段が高くなりかねないのにも関わらず、消費者の関心に目を付けた英断でした。結果的にはこの決定に関してColesに大した打撃は無く、むしろ動物福祉に焦点をおいた営業方針を称えられる結果に。こういう動きによって、現状の多くの養豚場では出荷先の制限もあり去勢術を行わなくなってるんです。

 

消費者の動物福祉・動物愛護に対する意識の問題で日本は大きく遅れてます。食の「安全」にはウルサイ国ですけどね、生産者の名前とか表記してる割に福祉工程とかに重点置かないんですよね。

 

オーストラリアではどこのスーパーでも鶏卵は3種類あります。

  • 生産効率重視で多頭をカゴに入れて養鶏されたCaged egg(一番安い)
  • カゴには入れず多頭を広い飼育場で飼育し卵を産ませたBarn laid egg
  • より野生的に外での自由行動を許し放牧で産ませたFree range egg(一番高い)

これも数年前までは値段に結構歴然とした差があったんですけどね、最近じゃぁ時によってはFree rangeが一番安い、なんて日もあります。消費者意識がFree rangeに寄った結果、放牧養鶏場が増えて効率的になってきた結果相対的な値段変化が起きてるんでしょう。

こういう視覚的な違いが日常的にあるからこそ動物愛護・動物福祉の一般的な意識ってのが生まれてくるのです。日本に足りない部分といったらまずソコじゃないかな。

 

というわけで、長々と書きましたが答えとしては、

 

消費者が動物福祉を順守した豚肉の為に、現状の豚丼380円が500円になっても良いと考えるようになったら養豚業界が福祉重視に変わるよ

です。

 

お粗末。