とある獣医の豪州生活Ⅱ

豪州に暮らす獣医師のちょっと非日常を超不定期に綴るブログ

とある獣医の豪州生活Ⅱ

僕と英語と、移住と学校。⑧ (完)

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Chapter 8.1 - Naive Preference

高校生最終学年において未だ「進路どうするかな」などと悩んでいる場合ではないことは万国共通である。前期が終わろうとしている5月末には基本的にどの大学も希望進路の提出期限が来るため、青年を含めた12年生達は皆がそれぞれ、思い描く未来に期待と不安を募らせながらまだ見ぬ未知の世界である大学と呼ばれる場所に各々が出願書を提出していた。オーストラリアの大学には基本的に受験や入試が存在しなく、希望した大学の希望した学部に入れるかどうかは高校の成績で決まることは散々書いたが、この「希望する学部」に関しては割と早い段階で出願を出すのである。各大学ごとにそれぞれ5〜6学部ほどの希望を、第一希望から順番に提出するそれは、地味な作業であるが夢が詰まっていた。

 

各大学ごとの提出であるため、希望する学部によっては20校も30校も出願する作業となるが、青年の第一志望は今でこそ現実味を帯び始めた獣医学科であり、獣医学科のある大学はオーストラリア全体で7校しか存在しない。青年はこの7校に出願を絞り、全ての大学において第一志望を獣医学科に、第二志望以下のいわゆる『滑り止め』には歯科医学科や各種工学科などを並べて提出した。

 

獣医学科の出願は特殊なものが多く、一部の大学では一般出願の他に書類選考用のエッセイや職歴、動物との関わりや経験を問う質問への解答集などを別途に求めてきた。大学受験では無いが、場所によっては明らかに勉学における成績以外の人材選考があることが見て取れる。

 

青年は、そこに並ぶ質問の厳しさに歯軋りした。問われている内容が難解なのではなく、求められているレベルの経験値と質が問題であったからだ。馬や牛や羊をどこまで扱ってきたか、牧場での経験や動物に関するボランティア経験、畜産動物との関わりや職業経験など、多岐に渡って問われる内容は、牧場出身者でなければ半分以上が白紙提出になってしまうようなものばかりであった。東京生まれ東京育ち、そこからは英語に苦戦し机に向かうこと以外に余裕のなかった青年には、およそ一般人よりも毛の生えた程度に動物と関わってきた過去しかない。

 

ある大学の求めたエッセイの内容は「飼い猫を室外に出すことを禁止する法案がある。貴方はこれに賛成するか反対するか」といったものであり、これも青年を悩ませた。問われている内容に完全な正答は存在せず、両方の立場にメリットとデメリットが存在する。獣医学科の求めている内容は何か。環境問題や動物福祉の観点から賛成意見に寄せて書くのが正答のように見えるが、それでは上澄みを知っているだけのように映らないだろうか。大部分の出願者が賛成意見で提出することを読み、敢えて反対意見を主張することで有象無象の意見に埋もれない際立たったエッセイを仕上げるべきであろうか。ただでさえ英作文にハンデを背負っており、学業における英語のエッセイはC評価狙いを続けてきた青年にとって、ジレンマの問題に関するエッセイをA評価狙いで書けと言われること自体に厳しいものがあった。

 

学業は追いついた。言語の壁を破り、永遠とも思える遠泳のような時間をもがき、ついには希望の陸を捉え、高嶺の花に手が届く範囲まで歩みを進めてきた。しかしそれは負の数から正の数になった過程であり、正の数から正の数に歩みを進めた連中と比べればあまりにもスタートラインに立つのが遅かったのかもしれない。その間にも、同じ獣医学科を狙うライバル達は牧場に生まれ、馬を飼育し、動物病院でバイトをして、海外のシェルターでボランティアをしてきているのかもしれない。大学の出願は、青年に経験の無さを深く重く想像させた。

 

Chapter 8.2 - Overall Position

期末試験直後は、前期と後期の間に位置する冬休みまで残り 1週間程度であり、生徒達は期末試験が終わった安堵と溜まったストレスのはけ口を求めて緩い空気が流れ、採点に追われる教師達もまたこれを許容し助長する雰囲気に包まれるのが常であった。しかし12年生においては前例の通りにはいかず、期末試験から解放された青年達は学年丸ごと、すぐにQCS試験への対策講座へと駆り出された。

 

QCS試験とは当時のQLD州が独自に行なっていた、いわゆる共通試験のようなものである。英数の4択問題、英数の短文答案、英作文の3種類によって構成されるそれは、QLD州にある高校で9月に同時開催され、全ての学校の全生徒が参加する必要があり、州の委員会によってこれらが採点される。選択科目毎の試験などはなくあくまでも必須である数学と英語(国語に該当)だけの試験で、これによって測られるのは生徒一個人の成績という面よりも各学校の勉学能力の平均値を出すという意味合いの方が強い。つまり、QCS試験で高い平均値を出している高校はレベルが高く、低い平均値を出している学校は勉学に弱い生徒が多い高校と判断される。個人単位で語るのであればこれは、レベルの低い高校でA+評価を取っている生徒と、レベルの高い高校でA-評価を取っている生徒では、OP基準での補正が入りA-の方が評価が高くなることもある、といった評価値の算出システムである。

 

学校としてはこのQCS試験の出来具合によってその年のOP1輩出数などに影響してくるため、生徒の未来のため、学校に箔をつけるため、12年生には出来うる限り高い数値を出して欲しい。よって青年達はまず試験の傾向を教えられ、過去問を解かされた。4択問題と短文答案はかなり常識的な英語の問題と、基礎的な数学の問題で構成されていた。一部の英語の問題は青年にとっては難しかったが、数学に関しては予習無しでも9割以上は余裕で取れるような簡単な内容であった。学校側もこれらに関してはほとんど触れていなかったところを見ると、生徒達の地頭には自信を持っているのだろうと青年は感じた。

 

QCS試験において圧倒的に難解であったのは英作文であった。2時間で約600字という制限自体は緩いが、この作文試験の難しさはその抽象的なトピックの出題傾向にあった。ある年の出題は「Lightについて600字書け」であり、またある年は「Shapeについて600字書け」であった。具体的な出題の説明や補足は一切なく、いかにトピックからずれずに綺麗な文法、文章構成、話の展開ができるかが問われるような試験である。作文そのものの縛りもなく、物語からポエムまでどんな文章でも許される試験であったため、青年は自身が一番書き慣れている論文方式で理詰めする文を書いた。

 

9月、QCS試験まであと数日というその週は学校全体が静寂に包まれていた。この大事な共通試験を万全の体制で行いたい学校側は、12年生以外の学年のほぼ全てを「修学旅行」という名目のもとで蟄居させた。本来たくさんの声が飛び交う昼休みの校庭には、キバタンとゴシキセイガイインコの嬌声しか響いていない。QCS試験3日前には12年生達全員が講堂に集められ、実際の試験日同様の日程と時間制限の下、最後の過去問を行い調子を整えさせた。

 

試験当日の青年達の顔は緩やかであった。期末試験のそれは自分の得意科目で勝負する、自らの勉強と復習が運命を分つものであるのに対し、QCS試験はその試験傾向に慣れる以外には予習や準備のしようが無いものであったため、彼らにできることはただ眼前に配られる試験用紙を、その時のテンションとアイディアで埋める以外にないのだ。淡々と4択問題を終え、単文解答を終えた青年達に配られた最後の難関である作文のテーマは「Circleについて600字書け」であった。

 

Circleとは何か。丸。円形。輪。環。圏。取り巻くこと。過去の設問も曖昧なテーマが多かったが、やはり今年も非常に抽象的である。範囲としてはそこそこ広いのでショートショートや物語を書くテーマとしてはある程度やりようがありそうだが、英語C評価を安定して狙うことに全力を費やしてきた青年には英作文でそのような小技は使えない。こういう状況に置かれた時は得意分野に引き込んでしまうのが吉である。そう考えた青年は「円周率はなぜ無理数であるか」を数学的というよりは抽象的な文章説明として600字で語って提出した。あくまでも英作文のテストであるため詳細な証明や事実の確認は必要ない。であれば慣れ親しんだフォーマットである堅苦しい第三人称の証明を書き殴ることを選択するのは理数系にとって息をすることと同義ではなかろうか。

 

QCS試験の終了のチャイムは学徒全員の安堵とどよめきによってにわかにかき消された。人払いを済ませた校内に響き渡った声はおよそもう聴くことができないであろう集まりによって構成された、とても儚く大きな声であった。

 

Chapter 8.3 - Sparsed out

QCS試験も終わり高校の後期も後半に入る頃、そこには下級生たちの天下が広がっていた。青年達も通ってきた道であり、歴史は繰り返すものだ。12年生達にとっての後期後半は消化試合の体を成す。学校成績の90%近くは12年生の前期、後期前半とQCS試験によってほぼ決まっていると言ってよく、残された後期期末試験の重みはそこまでないことの安堵感と、期末試験までの間の授業が少なくなる科目が多くなり、そもそも学校への登校数自体が減るため、12年生達の姿はあまり見ないし気も緩んでいた。青年を含めた一部の生徒にとっては残りの10%であっても全力で拾いに行かなければいけない成績であるが、大部分の生徒にとってはすでに「安全圏」もしくは「諦める時期」に入っているのである。

 

青年の選択する科目の多くは授業が残っていたため、クラスの級友達とは顔を合わせていたが、文系を多く選択する生徒などとは顔を合わせる機会が極端に減った。12年生用のラウンジにも空きスペースが目立つ。そこには見慣れた喧騒もひしめく級友達の姿も無く、遠幕にラウンジの使用権を狙う11年生たちの視線を感じる世界になっていた。

 

最終成績に響く割合が少ない後期期末試験だが、成績上位で争う青年達にとっては12年生全体の空気感とは裏腹にまだ気が抜けなかった。授業には毎日しっかりと参加した。宿題をこなし、復習と自習を欠かさなかった。青年に隙はなかった。期末試験の準備はまず早々に物理から始め1週間をここに費やし、一旦物理に蹴りをつけると数Cをまとめ、試験2週間前からは他の科目の復習もそこそこに化学に重点をおいてしっかりと反復学習を行なった。11年生からの流れで、化学が一番伸ばせる科目であり一番守るべき科目であることは把握している。青年に隙はなかった。

 

否、青年は自らも気付かない程度に、周りの緩い空気感に影響されていたかもしれない。

 

化学の期末試験は作戦通りであったと言えるだろう。長文を含めた試験の問題は全てを埋められたし、多くの準備時間を費やし復習した内容は試験前までしっかりと定着しておりアウトプットされた。物理と数Cも問題はなかった。化学の勉強に集中する前におさえた公式は試験直前の最終復習で確実に記憶の表面に掘り起こされ、これを有意義に試験に使うことができた。英語の試験は安定のC評価を目指したものの、こちらのエッセイはどういうわけかB-評価という高水準を叩き出し、日本語の試験は言わずもがな100%が保証されていた。

 

転んだのは数Bであった。ここまで少年を、僕を、青年を守り押し上げ引き延ばしてきた数学の最終期末試験で、青年は単純な計算ミスを3つ犯していた。たかだか3つのミスであり、A評価は揺るぎないのだが、多くの生徒が必須として選択している数Bでの減点は想像以上に大きいかもしれない。青年は己の詰めの甘さに歯軋りした。どれも初歩的なミスであり、しっかりと見直しをすれば気づけたかもしれない些細なミスである。普段であればあり得ないと感じてしまうような、単純なミスばかりである。しかし青年は気づかなかった。他の全ての科目の試験が終わっている状態の、高校生活で最後の最後にあった試験で、あと10分で全ての戦いが終了すると感じたあの瞬間、青年は気を緩めて油断し、そして慢心した。得意な数学という驕りが、気持ちに魔を刺した。既に高校生活を終えたような空気感を醸し出していた周りの生徒達の表情に、青年はあてられた。それら全ては言い訳でしかない、結局のところ、最後まで集中力を維持できなかった青年自身の弱さであると認めざるを得ない。返ってきた答案用紙を見て青年は後悔の念に苛まれた。

 

Chapter 8.4 - Agonising

12年生の卒業は非常に呆気ない。日本のような格式張った卒業式のようなものはなく、8−12年生までの全生徒が一緒くたに集められ、各学年の各教科における成績トップの表彰が終わると、下級生達の拍手に送られ青年達12年生はあっさりと学舎を後にした。学年ごとの成績順位発表もこの日に行われるので、青年は慣れた手順で校内新聞を受け取り自分の順位を確認する。そこにはもはや当たり前のように青年の名前が載っており、青年は12年生後期においても、学年順位7位をしっかりと維持・死守していることを確認した。普段は上位15名の名前が記載される校内新聞であったが、今期のそれには16名の名前が並んでおり、注意書きには「同率順位を含む」と書いてあった。流石の最終学年、上位争いは熾烈を極めていたことが窺える。

 

11月、12年生たちは競争の起こる勉学から解放された。12年生の最終成績であるOPの結果は卒業時にはまだ発表されていないため、卒業生達はこの結果を待つだけの時間に突入する。勉強することもなく、大学進学への手続きもまだできないこの時期、オーストラリア全土の卒業生達は「Schoolies」と呼ばれる期間に突入した。この期間中、勉強も試験もやることがなく真の自由を手に入れた卒業生達は、通例として1週間ほどの旅行をして仲間内でホテルに泊まり酒を飲み遊び呆ける。観光地はこの時期になると今までの抑圧から解放を求めた若者達で溢れかえり、アルコール中毒、喧嘩、ホテルからホテルへの飛び移りなどの問題行動を取り締まるために警察やセキュリティーは厳戒態勢になる。だが、青年達はSchooliesの集合場所として有名な観光地近くに住んでいたため、わざわざこの騒がしい時期に街に出る必要性も感じられなかった。これは青年の周りが真面目で頭の良い連中で構成されていたことも理由の一つであろうが、とにかく青年達はトラブルの蔓延る街に出ることはなく、仲間内の家で集まってポーカーに興じたり釣りに行って時間を過ごした。

 

バイトにも復帰していた。勉強が終わり、進路も分からない今、できることといえば金を稼ぐことだった。年末も近く一時帰国者も多いこの時期、ホールもキッチンもほぼ全てのセクションを担当できる程度には使い勝手の良くなっていた青年は便利に使ってもらえた。バイトは良かった。バイト中は仕事に集中できる。お金がもらえる。人と話して、美味しい賄いが食える。何かをしていることはいいことだ。目の前の仕事をしている間は何も考えなくていい。青年は今までとは違った不安に駆られていた。

 

今年のOP1の輩出数は例年の傾向から考えれば6〜8人であろう。そして青年は学年7位であった。可能性は十分に残しているが、そこから外れる可能性もある。そして青年にはもう一つ、周りの人間には表面化していない不安要素が存在した。それは一番近しく接していた友人ジョッシュである。前の学校から同じように成績のために転校し、同じ理系科目を多く選択し、共に切磋琢磨してきた彼は良き友人であり良きライバルであったが、医学部を目指す彼もまた12年生の前後半からメキメキと頭角を表し始め、トップ15位に名前を連ねる面子の1人になっていた。そんな彼の名前は最後の校内新聞において青年の真下に存在していたが、その実、彼の最終成績は学年上位7位であることが教師側から彼に直接語られたことを、ジョッシュは青年に伝えていた。あの校内新聞にあった「同率順位の存在」は、奇しくも青年と青年の親友の2人だったのだ。

「今年のOP1の輩出が8人だったら、俺たち2人とも圏内だな」

「ああ、でも6人の年もあったから、2人ともダメな可能性だってある」

「できることはやったさ」

「あとは結果を待つだけだからなぁ」

青年とジョッシュはお互いにお互いの不安と期待を吐露し、励まし合った。

 

Chapter 8.5 - To the Summit

OPスコア発表の当日、青年はバイトをしていた。

 

OPスコアの発表は州政府が管轄する専用のウェブポータルに張り出され、学生それぞれに割り振られた個人のIDとパスワードを入力することで自身のスコアが確認できるシステムであった。まだスマートフォンがほとんど普及していない当時、青年には発表時間が過ぎてもこれを確認する術はなく、朝から夜までのシフトをただ悶々としながら過ごしていた。

 

仕事が終わって携帯を確認すると、ジョッシュからの怒涛の着信履歴が残っていた。話の内容はわかりきっている。果たしてそれが吉報なのか悲報なのか、テキストも留守電も残すことをしていなかったため分からない。職場を離れ車に乗り、そこで折り返しの電話をかけてみると、何か複雑な感情を感じ取れる声がスピーカーから返ってきた。

「よぉジョッシュ、結果の話かい?」

まるでついさっきまで面を向かって話していたかのように、当たり前のように会話を進める。

「ああ勿論、そっちはどうだった?」

「今日もバイトで、まだパソコンがないから確認できてない。そっちはどうだった?」

恐る恐る訊いた。最終学年順位同率7位の親友に、言わせていいものか分からない質問を問いかけた。

 

 

「やったぜ!OP1だ!!」

 

 

高らかにジョッシュは言い放った。その声には、彼もまた積み重ねてきた軌跡と努力とプレッシャーがもたらした結果を飾る煌びやかな彩りを感じ取れた。

「そうか!!おめでとう!!」

「そっちも早く確認してみろ!」

「ああ!今すぐ帰宅して確認する!」

手短に電話を切り、車のエンジンをかける。胸は高揚していた。同校の同率7位がOP1を取ったという事実が、青年の心を駆り立てた。目の前には光が差している。隣に立っていた学友はその光を手にしている。次は青年の番である。

 

青年は家に帰ると直ちにノートパソコンを開いて州政府のポータルにアクセスした。自分のIDを入力してから3回確認し、次に一字一句に気を配りながらパスワードを入力した。ノートパソコンの前で指を組み、額の前で祈りを捧げる。もう結果は確定している今、誰に何を願ったところで意味がないことは十分に承知しているが、それでもこのタイミングにおいて最後に縋るのは神という存在であるからして、青年はヒト属ヒト科のヒトであった。

 

カーソルを決定に合わせ、目を瞑った。深呼吸をして精神を統一する。同率7位でOP1を取った奴の興奮にも似た声が頭の中にこだましていた。まだだ、まだだ。青年は心拍数の上昇を必死に抑えようとしていた。この時、この歴史的な一瞬に、どのような言葉を発するべきか。青年の頭は演出を求めていた。

 

 

 

目を瞑ったままカーソルをクリックする。これで結果画面が出るはずだ。

 

 

 

 

額の前で拝み手の形に戻し、そっと、そぉっと目を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこにはOP2の表記があった。

 

 

 

息を止めていた青年から、小さく長いため息が弱々しく吐き出された。一度目を瞑り、もう一度目を開けるという一連の動作を繰り返してみるが、そこにはOP2の表記があった。強張った背中の筋肉を緩め、青年は椅子の背もたれに全身を託し、天井を向いて溢れる思考をリセットして再度画面を見てみると、そこにはOP2の表記があった。

 

光を目前に捉えた直後の闇は深くて暗かった。期待は絶望を増長させた。高嶺の花を求めて登り続けた崖は、上から垂れてきた蜘蛛の糸は、登れば登るほど落ちた時の衝撃は大きかった。OPスコアは5つのカテゴリの総数で決定する。並ぶ数字は1、2、2、1、2。総合評価としてのOP2。本当に、本当の僅差でOP1を逃したことを無機質に物語っていた。同率7位のOP1とOP2の差はほとんどなかったであろう、それはきっと小数点以下の数字が幾つも連なった結果生じるひどく小さな差であったのだろう。だが、それでも終わってみれば、その小数点の連なりはどこまでもどこまでも続く万里の長城のように青年をOP1の地位から遠ざけた。

 

失敗した。

 

失敗した。失敗した。失敗した。

 

慢心だった。最後の最後に詰めが甘かった。

 

あの時、あの数学の期末試験の、あの小さなミスを見逃さなかったら話は違っていたのであろうか。青年は無駄に悔やんだ。きっとそんな些細な点数を拾っていても変わらなかっただろうと、青年は気楽に考えられない。本当の本当に僅差であったことを知っているからこその、6年間の重みがのしかかっているからこそ、安易に解消できない疑念と後悔が渦巻いた。

 

Chapter 8.6 - Compromise

州政府がOPスコアを公布すると、各大学は一斉に新入生の確保に動き出す。

 

OP2という数字は凄い。OP1という上位互換が存在し、それに手がかかる位置にいながらも僅差でそれを逃した青年にとって、OP2という数字は悲観する数字に見えているが、その実、OP2という数字は凄い。医学部や獣医学部のような競争率の高い学部以外であれば、ほぼ文句なく入学できるほどの好成績である。青年の成績は青年の気持ちとは裏腹に「優秀」であり、各大学側がこれを求めるのがオーストラリアの入学システムだ。

 

OP2の絶望から数日経った頃、まず最初の大学から連絡のメールが入った。青年はまたしても拝み手で目を瞑ったままそのメールを開き、祝福のテンプレ序文を読み飛ばして本題に進んでいく。その大学が青年にオファーしてきたのは環境エネルギー関係の工学部であった。第二志望として、滑り止めとして書いていた学部へのオファーである。このオファーメールは同時に、同大学の獣医学部に落ちたという通知でもあった。

 

数日後、今度は2つの大学から動物学部のオファーが入った。やはりこちらも獣医学部に落選したという通知と同義である。動物学科は獣医学科に似て動物について学ぶ学部ではあるが、卒業後の就職先が検討つかない謎の学部というイメージでしかない。両大学とも動物学科から獣医学科への編入の道は残されるが、かなり狭き門であることは言うまでもなかった。

 

田舎にある2つの獣医大には滑り止めの設定をしていなかったため、オファーは一向に来なかった。しかし地域出身者優遇の傾向が強いこれらの大学で、他地域に住むOP1を取れていない青年にオファーが来る可能性はほぼ残されていないであろう。OP2という数字は凄い。凄いのだが、それでも獣医学科の壁を越えるには、経験の少なさも相まって難しいことを改めて痛感した。

 

時間は刻々と過ぎていった。大学進学にはどこを選んだとしても引越しが控えている。モタモタしている余裕はなかったが、しかし良い返事が貰えないまま一日、また一日と、時間だけが減っていき、代わりに不安は指数関数的に増え続けた。7つの獣医大のうち、2つは可能性が極めて低く、3つはすでに可能性が無くなっていた。

 

次の大学からのメールが届いたのは結構遅れてからであった。残っている獣医学科で、一番可能性が残っているのはこの大学だ。縋る思いで開いたメールには、第二志望の歯科医学科のオファーが綴られていた。歯科医になることもまた狭き門である。その歯科医学科に無条件オファーが来たのだ。青年は素直に喜べない。このオファーの意味するところは、およそ一番可能性があると感じていた獣医学科に落ちたことを意味していた。

 

各オファーにはオファーを受けるかどうかの返事をする期限が設けられている。オファーを蹴って返事をしなければその空枠には次の希望者へのオファーが出されるため、期限はそこそこ短いものだった。ここまでの各大学のオファーの流れで、青年は自分が獣医学科に入れないことを察した。それを察して、それを認めた。

「動物が好きな歯科医なんてどうだろう」

漠然と自分の未来を想像してみた。歯科医の平均収入は良い。しっかりと勉強し、自信をキャリアの軌道に乗せれば安泰である。ある程度の余裕を持った生活を目指し、道楽として動物を愛でる暮らしもできるのではなかろうか。青年は自分自身に言い聞かせた。

 

翌日、青年は電車に揺られ留学を補佐してくれるエージェントへと赴いた。大学からのオファーを受け、学科の席を確保するためである。まだ2大学からの返事はないが、ここまで遅れているのに第一志望が通るとは思えない、これ以上結論を引き延ばしていては引っ越しにも支障をきたす。動物好きなエンジニア、動物好きな歯科医、そういう立ち位置で十分ではないか。英語が全く喋れない状態でこの国に渡ってきて、こんなところまで登りつめたのだから、それでも十二分な功績ではないか。青年は自分の気持ちを掌握していた。

 

エージェントで各種の手続きを行い、駅近くの日本食屋で唐揚げ定食を食べた。白米のおかわりが自由という気前の良い定食屋で、唐揚げ6個に対して米を茶碗に5杯食べた。普段から食欲は旺盛であったが、この日は暴食だったかもしれない。

 

帰りの電車の中、青年は考えた。本当にこれで良いのだろうか。歯科医学科の席は確保したが、自分はこれに本当に納得できるだろうか。閑散とした電車の中で、本もなければスマホもない電車の中で青年は熟考した。うーん、良いのだろうか。これは本当にやりたいことだろうか。やりたいこととはなんだ。理系の道に進み、技術職で、給与も良いとされている歯科医学科に、理性はこれで良いのだと言い続けていた。だが、それでも未だ、青年は熟考を重ねている。これで良いのだろうか。これが正解の道であろうか。何かが引っかかっていた。

 

一度は掌握していた心は再度ざわついていた。そのざわめきはやがて全身に広がり、青年は一つの結論を出した。

「やっぱり簡単には諦められないかもしれない」

帰宅した青年は、すぐに母に電話をかけていた。当時の母は日本に一時帰国していたためだ。

「歯科医学でも動物学でも良い。まずは大学に行って単位を取りつつ上を目指す。その上で、もし可能であれば獣医学科の編入を狙うかもしれない」

心に身体を掌握された青年の口から、諦めていない旨を伝えた。もしかすると遠回りになるかもしれないし、数年長く大学に行く可能性だってあるかもしれない。だが、やれるところまでやってみたいと意思表示をした。

 

口に出したことで意識はハッキリした。心に掌握されていた理性もまた、それが正しい選択であると考えを改めた。見上げる先には今よりも更に高い崖がそびえ立っている。だがどうということはない、崖登りには慣れている。今度はより集中し、一時の慢心も許さず挑むだけだ。そうとなれば勉強をしなければならない。編入のルートはどうなっているのか。どういう学部が有利で、どのような単位が必要なのか。前を見据えた青年はノートパソコンを開いて検索を始めた。

 

 

ピコンッ!と軽快なメールの受信音が鳴った。今朝の手続きに関するものであった。

 

 

そのメールのすぐ下には数通の未開封のメールがあった。この頃は様々な大学からある種でスパムのように勧誘のメールが来るので受信箱がすぐに埋まる。淡々と未読メールをチェックしては次の未読メールに移る。そのうちの一つは、ある大学からのオファーのメールであり、こには似通った大学の学部オファーを謳う序文と、理学部へのオファーが綴られていた。流し読みを終えて次の未読メールを確認する。留学エージェントから、歯科医学科への入学に向けた必要書類の要求が事細かに書かれている。

 

エージェントからのメールを半分読んだところで、ふと青年の脳の片隅が違和感を訴えた。

 

理学部?

Bachelor of Science...?

 

どこの大学の希望にも、単純な理学部に応募した覚えはない。滑り止めの多くは工学科であったり医科系統であった。心は再びざわついた。先程読み流したメールを再度確認する。

 

 

 

 

そこにはやはり理学部へのオファーが記されていた。

 

 

 

 

 

 

Bachelor of Science (veterinary bioscience)。

その理学部は、獣医学科DVMへと繋がる理学部である。

 

 

 

交感神経の興奮が全身に広がる感覚と同時に青年は言葉にならない声をあげ、立ち上がっていた。その声は誰もいない家の中で少しばかり反響するとどこまでも広く抜ける青空に消えてゆき、高い高い木の上に腰かけるツチスドリだけがその喜びに応えるような嬌声をあげた。