とある獣医の豪州生活Ⅱ

豪州に暮らす獣医師のちょっと非日常を超不定期に綴るブログ

とある獣医の豪州生活Ⅱ

僕と英語と、移住と学校。③

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Chapter 3.1 - The Starting Line

最初に感じていた感情は「混乱」だった。

 

夏休みの2ヶ月を全て英語力の強化に費やした僕が気づく頃には、始業式が一週間後に迫っていた。こんなに机に向かい続けた夏休みは初めてだ。去年は長すぎるとも感じられた2ヶ月も、今年は一朝一夕に感じられる。

あと一週間で学校が始まる。

一週間後はただの始業式ではない。

転校生として、新しい学校に通い始める日でもあるのだ。

 

それなのに僕は面白い程に、全くもって不安を感じていなかった。


新しい校舎、新しい土地。

知ってる顔も、仲の良い友達もいない学校への転校。

前に転校したときの気持ちはハッキリと胸に残っている。

転校の一週間前から考え、考え、思い詰め、思い詰め、そして自分自身を追い込んだ。「転校」記憶から抹消したいような、辛い思い出しか僕にはない。


でも今回の「転校」はなぜだろう、辛くもなければ怖くもないのだ。別に転校が待ち遠しいわけではないけれど、逃げ出したくなる事態でもない。

なんだ、なんなんだこの心情の変化は。


―――

だって、もう怖くないじゃないか。
7年生の時は英語も喋れなかった。知らない国に越して来たばかりだった。知人は一人もいなかったし、勉強も常識も理解していない状態での転校だった。

それでも生き残れたじゃないか。

何事もなく初日を終えられたし、すぐに学校にも慣れたじゃないか。あの日に比べれば、来週の転校なんて可愛いもんさ。

―――


ああ、そういうことか。

僕は、もっと大きな「転校」の壁を乗り越えた経験があるんだ。来週の転校があの日の壁よりも高いなんてありえないから、別に不安を感じないのか。

 

 

9年生、初日。

新しい学校とは言っても、通学ルートは去年とほとんど変わらない。すでに2年間近く走ってきたその通学路の景色には、不安どころか安心感すら覚える。

学校には8時20分頃に到着した。始業式まであと10分はあるだろうか。さぁ、まずは事務室に顔を出せば教師達が指示を出してくれるだろう。大きな校章が掲げられた学校のメインオフィスはすぐに分かった。

名前を名乗るとすぐに転校生の管理者が現れ、時間割と記帳を僕に手渡してくれた。先生に連れられて、その足でまずは始業式が行なわれる講堂へと向かう。この講堂には来たことがあった。8年生のときに、チェスの大会でメダルを2つ受賞したのがこの講堂だったっけ。

 

講堂は5つのエリアに分かれていた。

この学校では全校生徒を5つのグループに分けていて、運動会や水泳大会はこのグループ対抗で行なわれる。僕が配属されたのは青色を基調としたグループで、グループ担当の先生は若い男性教師だった。笑顔の耐えないこの先生は、生物学の教師らしい。

先生に軽く自己紹介して、勧められた席に座る。周りには数人の生徒が興味の目で僕を見ていた。なんてことはない、この視線も経験してきたし対処法も知っている。

いや、対処法ではないな。

ここが友達作りの第一歩、僕にとってはこの先の学校生活がかかった大事な一線、と言えるかも知れない。それでも僕には不安や緊張がなかった。

 

「やぁ。今年から9年生に転入してきた。よろしくな」

軽く明るく、それでもしっかりとした英語で僕が挨拶をした相手は、二人の金髪の白人男子生徒だった。

「初めまして、僕はハーリー」

「俺はカラム、俺たちも9年生だぜ!よろしく」

二人から返ってきたその言葉に、内心とても嬉しかった。そうだ、今の僕ならちゃんと自己紹介ができるんだ。今の僕なら相手の返事も理解できるんだ。


これまでの2年間は、この理想的なスタートを切るためだったのだろうかね。

 

始業式の後は、面倒見の良いハーリーに色々と世話をしてもらった。

時間割を解読してもらい、誰について行けばいいかを教えてくれた。同じく9年生の生徒達に、僕を紹介してまわってくれた。ロッカーまで案内してくれて、ダイアル式の鍵の使い方も教わった。複数ある教室棟を全て一緒に回り、時間割と照合して何所に向かえばいいのかを教えてくれた。

学校を一周し終わった頃にはもう授業も開始寸前で周りに生徒が見当たらなくなっていた。20分ぐらいだろうか、ハーリーは友達と遊ぶことも呆けることもなく、献身的に僕を助けてくれる。誰に命じられたわけでもないのに、教室に遅れて咎められるリスクを背負い、丁寧すぎるほどに助けてくれる。

これがオージーの内面から出る、真の優しさだ。

 

感謝の言葉を述べ、クラスの違うハーリーと別れた。

教室の前に立つ。やはり不安はない。

英語を強化し、前の学校の総合成績で表彰もされたんだ。もう僕に死角はない。

 

目の前のドアをくぐれば初日の最初の授業、理科のクラスが待ち構えている。

 

 

Chapter 3.2 - Back to the Bottom

教室にはおよそ20人程度の生徒がすでに座っていて、皆が理科の教科書を広げていた。

知っている教室の雰囲気とは違った、別世界のように感じられる。誰一人として席を立っていなければ、大声で喚いてもいない。皆が背筋を伸ばして、教科書を広げて小声で話していた。

前の学校ではこうは行かなかった。これが進学校ってやつなのか。

初っ端から学校の空気の違いが、ジャブ、ジャブと牽制を仕掛けてきた。

しかし僕にとっては好都合だ。

馬鹿みたいに騒ぐオージーは愉快だから好きだが、場所と状況をわきまえてくれないアホはさすがに迷惑。成績を取って海洋生物学に進むには、少し張り詰めた空気こそ心地良い。そんな気持ちが軽く右フックで応戦し、まずは教室に足を踏み入れることに成功する。

知らない奴らばかりの教室だが、もう怖気づくことはない。

適当に空いている席に座り、隣りに座っていた生徒と軽く自己紹介を交わす。

ロシア人の血が入っているセルゲイ、双子の兄であるトム、ラグビーが大好きなショーン。理科室の4人掛けのテーブルにすんなりと溶け込むことが出来たのは7、8年生の頃に学んだ教訓の成果か。

 

帳簿を忘れて教室を離れていた理科教師はすぐに戻ってきた。初日なのでクラス全員を点呼したあと、すぐに授業が開始された。

理科は前の学校で表彰されるまで成績を押し上げてくれた、いわば得意科目だ。進学校の奴らがどれほどの実力か見極めてやろう、そんな強気で臨んだ初日の一時限目。

 


3分もしないうちにノックアウトされた。

 


先生の口から飛び出す単語の一つ一つが重たいストレートやアッパーのように僕の脳を揺さぶった。

必死に先生の話している内容を把握しようと教科書をめくるが、そやはり知らない理論のオンパレードだ。どうやらこの理科の授業、この学校では8年生から10年生まで内容が繋がっているらしい。つまり、クラスメイト達は去年に理科の基礎を学んでいるから、今話している理論も理解できるのだろう。

その基礎知識が僕にはなかった。前の学校ではこんな内容は習っていないし、第一あの学校では数学の授業以外で教科書を使っていない。


進学校、という響きから覚悟はしていたが、初っ端の、それも得意科目である理科の授業、ここから躓くのは想定の範囲を大幅に超えていた。

夏休みに英語を強化したところで、伏兵はどこにでも潜んでいたようだ。

先が思いやられたが、それでももう心は折れない。これよりも数億倍ほど強く打たれた経験から得たその支えは、生半可なショックでは潰せない。


同じクラスの面子で、次に社会の授業に出た。社会科の授業といっても選択科目がまだ無い9年生では、歴史や地理が混ざっている授業だ。

元々こういった科目が苦手な僕である。得意な理科でもあの不意打ちを食らった身として、戦う前から結果は見えていたようなものだった。案の定、こちらも内容を全く把握できない。

 

しかし、初日から力んでも始まらない。9年生から転入してきた僕が授業についていけないのは自然の摂理だ、ある程度は仕方が無いだろう。そう割り切って、まずはとにかく友人関係を固めることと新環境に慣れることに専念した。

 

朝休みが終わると、次の4~5時限目は選択科目1、そう時間割には記載されていた。

選択科目1は日本語の授業である。

そう、オーストラリアの学校では外国語の選択科目として日本語を教えている場所も多い。日本で英語を教えるように、豪州では日本語を第二言語として学校で学ぶことができるのだ。日本人である僕が日本語の授業を選択するのは勿論勉強のためではない。平仮名の書き方を教えているようなクラスだ、学ぶためではなく成績のためであるのは一目瞭然だろう。

 

日本語のクラスには僕のほかに、同級生の日本人が3人いた。オーストラリア生まれで英語のほうが得意なカイト、学校でもトップクラスの成績を取るユーイチ、活発なアリサ。全員が英語に関して何一つ不自由がない、完全なバイリンガルだった。

 

ここでも前の学校との差が見受けられた。

 

同じ日本人の学生でも、立っている土俵が違うのだ。

センパイやシホは、一緒にESLに入っていたし数学の教室でトップを争う程度に収まっていた。しかし、このクラスにいる日本人達は一線を越えている。進学校でトップの成績を収めるユーイチ、早口で流暢な英語を操るアリサ、ラグビーでオージーを跳ね飛ばすカイト。

それに比べて僕はどうだろうか。

英語も不自由、スポーツも体力馬鹿のオージー相手には敵わず、成績もこの学校では通用しないだろう。

理科、社会と続いて、日本語の授業でさえも僕は小さい存在に感じられた。

 

選択科目2はITの授業をとっていた。

当時PCをいじり始めていた僕としてはもっとITの知識をつけるのも良いのではないか、そんな軽い気持ちでの選択だったが、この授業でも初日はやはり苦労することになる。

当時の日本人の子供にしてはパワーポイントやワード、エクセルなどは扱えるほうだっただろう。が、やはりここでも「日本人」という考え方や「IT=ワード、エクセル、パワーポイント」などの考え方が仇となる。

授業の内容はコンピューターセキュリティについてだった。フィッシング、ファイアウォールスタンドアローン、知らない単語のオンパレードである。また、授業は一人が一台のコンピューターを使い、スクリーン上に映る教師のPC画面と説明を聞きながら進行するが、これが難しい。

ただでさえコンピューターの知識がクラス内では圧倒的に乏しい上、聞きなれない単語が多く混ざる英語は理解し難いのに加え、板書が無くスクリーンに映し出される教師のPC操作は早過ぎてついていけない。どの授業よりも、ITの授業は一番難しく感じられた。

 

選択科目3、これは僕の英語力からしESLを強制的に選択させられる。

ESLのクラスには僕を含めて3人の生徒がいた。タイからの留学生であるロックと、台湾からの留学生であるチェン。二人とも、何故ESLにいるのかが解らないほどに流暢な英語を話し、そして書いた。彼等の英語力を十段階中の九とするならば、僕の英語力は一に達するのがやっとだろう。

 

留学が始まって3年目だった。

夏休みを全て返上して英語の勉強に努めた後だった。

ESLの授業に顔を出して、ようやく一つの事実に気づいた。

 

 

前の学校で表彰された僕もこの学校では、現在最下位を独走中なのか。

 

 

打って変わって英語の授業は、またしても理科や社会と同じクラスの面子と一緒に受けたが、英語力に関しては圧倒的最下位である僕を、それでも英語の先生は全く手を抜かずに接してきた。クラスで習う授業は同時進行だし、小テストも皆と混ざって同じものを受ける。

 

この学校の空気は前の学校とは根本的に違う。

 

生徒を気遣わないわけではないが、生徒一人のために授業を動かすわけでもない。

留学生だから、英語が不自由だから、日本人だから。そんな「甘え」は通用しない。生徒が頑張って自分の力を出し切るか、途中で諦めて堕落していくか。

学校側は生徒が頑張る機会を与えてくれるが、勝手に落ちていく生徒のために命綱は用意してくれない。

 

そんな空気に包まれた新しい学校は、初日はほぼ全ての授業で散々な結果に終わった。

想像以上にレベルの高かったこの学校でも、ただ一つだけ「散々な結果」に終わらなかった科目がある。

 

そう、数学である。

 

僕の最後の砦にして、絶対の守り。

数学だけは負けない。負けてはならない。

この科目だけは、いつでもどこでも僕を支え続けてきてくれたのだ。

 

数学のクラスは4つの普通教室と、1つの上級クラスに別れていた。

成績優秀者は上級教室に集められ、残りの生徒は授業においていかれないように普通教室で少し授業ペースの遅くして数学を学ぶ。僕は成績の解らない転校生ということで普通教室に入れられたが、進学校というだけあって普通教室の数学の平均レベルも前の学校に比べると相当に高いものだった。

しかし、これだけは負けない。

数字は裏切らなかった。

大丈夫、この程度なら余裕でクラストップが取れるだろう。

 

初日の学校は数学の安定感と、残りの科目での劣等感を見出して終了した。

奇しくも、7年生の頃に感じていた授業に対する見解と同様の初日を終えたのだ。

 

 

Chapter 3.3 - Focus on your Strength

初日に圧倒的な学力差を見せ付けられた僕は、正直、少し怯んでいた。

果たしてこの学校で置いて行かれないであろうか。英語力だけでも最下位なのに、総合的な勉強でも遅れているであろう自分に道はあるのだろうか。

しかし悩んでばかりいても時間を無駄にするだけなのは、マイナス思考であった僕自身がよく知っている。

まずは行動だ。

とにかくやってみて、その後に活路を見出せばいいだろう。

 

真っ先に始めたのは教科書の翻訳だった。クラスの皆が8年生の時点で終わらせたであろう理科や社会、その基礎部分が記されているページを、電子辞書を片手に母と読み明かした。辞書で引いた単語は日本語訳を教科書に書き込み、読み返す際に苦労しないよう工夫した。

移住から2年が経過したとは言え、それはたった2年に過ぎない。

小学校時代の理科や社会の知識をフルに動員して教科書を読み進めるには、日本語の知識を使うために翻訳が欠かせなかった。専門的な単語が多く飛び出す理科と社会の教科書は、瞬く間に書き込んだ日本語で黒く塗りつぶされた。書き込みで埋め尽くされた教科書は恥ずかしいが、背に腹は変えられない。

 

教科書を読み明かし、遅れを取り戻そうと必死にもがいている間も学校の授業は早いペースで進んでいく。気づけば3月も終盤、秋休みも目前となったそんな時期には様々な科目でテストが行なわれる。英語やITは課題が出るのでテストはなかったが、それでも数学、理科、社会、日本語の4科目が続々と僕の疲れ果てた脳に追い討ちをかけてきた。

1週間後、それらのテストが採点され生徒達に返ってくる。

 

真っ先に返ってきたのは理科のテストだった。

前の学校であればそこには赤字で大きくA評価が輝いていたであろうその科目も、教科書の翻訳で付け焼刃の如く固めた基礎知識だけでは点数も芳しくない。

B評価。

理数系が得意と言うにはパッとしないこの点数だが、それでも僕に焦りはなかった。英語が学年一苦手というその身分が、テストの点数の低さをストレスと感じさせなかったのだ。英語ができない身分でテストの点数が芳しくないのは至極当然であろう。そんな『甘え』にも似た考え方をしていた。

 

『甘え』はすぐに払拭される。

 

日本語の授業でもテストの結果が返ってきた。

小学1年生レベルの日本語を教えているクラスだ、このテストは間違いようがない。余裕の表情で返されたテストを見れば、やはりそこにはA+が輝いていた。

そこで気づく。

返ってきたテスト用紙に並ぶ正解のマークの中、一箇所だけ赤ペンで訂正されている場所があったのだ。読み上げられる短文を聞き取り、内容を答える問題だった。

「日本の 天気は どうですか?」

そんな簡単な日本語が読まれ、これを英文で記入する。訂正の赤字が、この英文に記されていた。『天気』のスペルを、Whetherと書いてしまっていたのだ。

 

たった一つの不正解なので、総合的な点数ではA+であった。

だが、だがしかし、絶対に答えられるべき日本語のテストで、100%を取れなかったのは事実だ。たとえ日本語のテストであっても、問題を英文で読み、回答を英文で答えるのが学校である。英語ができない学生は、例えその科目で超越した能力を持っていようとも学力は認められない。

 

英語ができない身分でテストの点数が芳しくないのは至極当然であろう―――

 

この「甘え」が許されるのは短期留学生までだと気づかされた。そう、現地校で現地人相手に成績争いをする身分である長期留学生にとって、「英語ができないから」と開き直ることは尻尾を巻いて逃げ出すことと同じことなのである。

 

一方で、数学のテストは思い通りの結果が出せた。

前の学校と同様、クラス内でトップの成績を収めたA+。

週2日で日本の高校数学の参考書で勉強を続けている僕にとって、9年生の数学は進学校であっても簡単なことに変わりはない。

しかし、このテストでも1点だけ落として満点を逃してしまっていた。文章問題のニュアンスを正しく理解しなかったがために答えが少しずれ、半分点しか得られなかったのだ。やはりここでも英語でつまずく。

しかし、あと1点で満点という圧倒的な成績を見込まれ、数学はその日のうちに特進クラスへと編入させられた。特進クラスには今回のテストで満点を取った生徒が十数人いたらしい。

クラスが違えば数学でもその成績は霞むのか。

 

 

社会科のテストは昼休みの前に返された。

元々苦手科目である社会科のテストだ、悪い点数は覚悟していた。が、返された紙切れは想定以上のショックをもたらす。赤ペンで記載されたその評価は、思いもしなかったD+。

人生で初めての落第点。

 

さすがに落胆した。

これでも教科書を翻訳し、宿題は一度もサボらず、授業もしっかりと聞いて勉強してきたつもりだった。

それでも、落第点だった。


テスト結果と答案の説明が済むとすぐに昼休みだった。社会科の担任は昼休みを待ち望む生徒達を、成績の順番に教室から解放する。まず、A評価を取った生徒達を送り出し、次にB評価の生徒達を激励し送り出す。C評価の生徒達にはもっと頑張って勉強するようにと話し、そして教室から出る許可を出した。

昼休みが始まってすでに5分が経過している中。

教室には担任の先生と、クラスで唯一、C評価でも解放されなかった僕が残った。

担任にしてみれば、成績優秀者には優越感を、他の生徒には向上意欲を持たせようとしたのだろう。

それは解る。

解っていたが、惨めだった。

教室に一人だけ残ってしまったそんな僕に、もう70歳近い先生は語りかける。

 

「いいかい、社会科の勉強が苦手だから、社会科の成績が取れないから、だからどうした?君はちゃんと勉強しているし宿題だってやっているのを私はちゃんと知っている。
それに、君は数学の成績はトップレベルだったそうじゃないか。理科の勉強も好きだろう?

ならばそれでいいんだ。

人間、全てが得意な人なんていないんだ。

誰にだって得意なものがあれば、不得意なものだってある。それが当たり前だし、その得意なことをどれだけ活かせるのか、これが大事なんだ。数学や理科の勉強が得意で、かわりに社会科の勉強が苦手ならそれでいいんだ。

むしろ、私はどんな勉強でも同じような成績を取れる生徒より、そっちのほうが素晴らしいと思っている。得意な事のかわりに不得意な事を伸ばそうとするのは、今は考えなくていいんだ。

全てにおいて平均になる必要なんかないからね、それでは面白みのないただの人形みたいだ。まだ子供なのだから、得意なこと、興味のあること、やりたいことだけに集中すればいい。」

 

先生の長い話を聞いていたら、昼休みは開始から15分が経過してしまっていた。

だが、昼休みを全て返上しても構わないと思えるような言葉を聞いた、そんな気がしてた。これがオーストラリアの教育方針なのだろうか、日本のそれとは真逆だった。

 

先生の語ったその言葉には、45年間子供達を教えてきた先生の信念が詰まっていた。

 

 

Chapter 3.4 - Don't be a sook

浮き彫りとなった自分自身を正当化しようとする「甘え」。
―――英語が学年で一番できない、そんな立ち位置なのだから点数が取れないのは仕方がない。

人生で初めて経験した社会科での落第点。
―――誰にだって得意なものがあれば、不得意なものだってある。それが当たり前だし、その得意なことをどれだけ活かせるのか、これが大事なんだ。

 

テスト期間に僕が気づかされたこの2つは、一見すると似ているが大きな違いがあった。前者は個人単位の言い訳に過ぎないが、後者は種類こそあれ、誰にだって当てはまる法則。

ならば直さなければならない。

英語ができなくて点数が取れないなら、もっと必死に英語を学ぶほかに解決の道はないだろう。言い訳をしていても一文の得にもならない。迷ったら、悩んだら、とりあえず行動を起こしてみないとどうしようもないのだ。

 

だから英語を強化した。

とにかく英語ができなければ、勉強が出来ても成績が取れない。

英語ができないと、問題に答えられるのに答えられなくなる。

 

ESLの教室に通い続ける日々が始まった。

ESLの授業自体は低学年向けの教材を使った文法や単語などの基礎的な勉強をするが、
僕はESLの授業が無い日でも、朝休みや昼休み、放課後を使って通い詰めた。通い詰めて教わったのは文章の構成や表現。つまり、エッセイやレポートの書き方をとにかく重点的に教わる。

テスト期間が過ぎれば、そこには束の間の休息の後に課題提出の嵐が訪れる。少年がESLに通い詰めて強化したのは、こうした課題で提出する文の内容だった。

 

英語の課題の場合、内容が選択性だった場合には一番無難な第一選択肢を選ぶようにESLは助言した。無難な選択肢は他の問いに比べて答え易いかわりに、A評価が取り難い場合も多い。

だが僕にとって英語の授業で狙うのはC評価である。

C評価とはつまり平均値。ネイティブ達の、平均値。英語の課題でC評価を取ること、これはつまりネイティブと同等の英語力を発揮することになる。

 

だからC評価を目指した。

とにかくまず、英語に関しては真ん中を目指さなければならない。

その上を目指すにしても、真ん中は通らなければならない道なのだから。

 

ESLの先生は休み時間を潰して押しかける僕を、それでもしっかり補助してくれた。

まずは文章の構成、骨組みを組み立てる練習。序文から終結までの一連の流れ、この文章の流れを徹底的に叩き込まれた。意見を四方に飛ばさず、スタートからゴールまでを順番に完走する、そんな文章の構成法を教わる。

骨組みができたら、そこに文章を書いていく。一節一節の中に存在する話の展開方法も一から教わった。エッセイ全体の骨組みのように、一節の中でも序文や補助、終結などの法則性があることを掴んでいく。その法則性に則って、とにかく「基本的な文章」で構築されたエッセイを書くように心がけた。

C評価が妥当であろう、基本形を求めた。

書いてみた課題は印刷してESLの教室に持っていく。ここで、先生に赤ペンで文法や表現方法を添削してもらう。先生が理解できなかった表現は口で説明し、どのような表現方法が適切なのかを聞き出した。

英語の表現方法に関しては教科書に全てが載っているわけではない。感覚的に、先生と僕自身との表現の差を見出して体で学んでいった。

また、ESLの先生は僕に接続詞を重点的に勉強させた。

文章の流れを乱さないためには、それぞれの文が前後と繋がっている必要がある。これができないと小学生のような拙い文章に見える。逆に言えば、スムーズに話が繋がるだけで英文は飛躍して綺麗になる。内容ではなく「英文」を強化する必要があった僕にとって、接続詞は欠かせない存在になった。

色んな表現方法を種類別にまとめ、英語のノートの後ろに貼り付けておいた。

 

最初は添削してもらうたびに黒字より赤字のほうが多い日々が続いた。週末の2日を全部費やして書いてきたエッセイが丸々書き直しと言われ、涙目で教室を出ることもあった。

だが、自分の中では確かな進歩を感じられる。

今までの僕だったらここまで書けていたであろうか。

否、8年生の頃はまず日本語でエッセイを書いてから、それを翻訳する形で課題を書き上げていた。しかし今は違う。英語で構成し、英語で書いて、英語で添削をしている。夏休みでは文法しか強化ができなかったが、今はその一つ先の英語を学んでいるのだ。
実践的に使える英語を。

 

この英文作成強化は思惑通りの結果となる。

返されてきた課題には、ことごとく光るC評価の文字。

ある課題はC+であったり、またあるときはC-であったりしたが、平均的に見ればどこまでもC評価。理科や数学の成績ならば納得いかないであろうこの評価も、英語の授業では輝く評価だ。

 

そんな英文強化作戦も、一つだけ通用しない課題が2学期にあった。どんなに英文をしっかり書いても、それをもう一段階「表現」できないと評価の取れない課題。

スピーチだ。

どんなにスクリプトを上手く書いたところで、それを上手に話せなければ仕方がなかった。ただでさえ英語を「話す」ことがまだ苦手な上、人前に立って一人で4分間も話す必要がある。

 

しかし、もう僕は甘えない。

英語を話すことが苦手なら、たくさん練習すればいい。

スピーチには原稿があるのだから、臨機応変に対応する必要はない。何度も原稿を反すうして、頭の中に叩き込んでおけばスラスラと読めるようになるのだ。

 

だから必死に練習した。

自室で原稿を読み、トイレで原稿を読み、ESLでも読み、他の生徒のスピーチ中も読んだ。本音は、クラスメイトの前に立って恥をかきたくはない、そんな気持ちからきた焦りだっただろう。動機は何であれ、ゴールは一ヵ所なのだ。

英語の長文を喋り続けると思考が追いつかなくなり舌が回らなくなり発音もおかしくなる。だから何度も読んで原稿の内容を記憶してしまえるように努力した。英文を読むよりも、思い出して喋るほうが舌は回りやすい。

ジェスチャーやアイコンタクトにも気を使っての練習だ。英語が苦手ならば、英語以外の部分で点数を稼ぐのも一つの戦略だと思った。

 

僕のスピーチの順番はクラスの一番最後だった。くじ引きで決められたこの順番も、留学生ということで先生が特別に最後にしてくれたのだ。

しかしこれはかえってプレッシャーを増やした。周りの生徒は皆が自分のスピーチを終えて余裕を持っている。つまり、みんなが僕のスピーチに意識を向けて聴いていることになる。

心臓の高鳴る音が周りに聞こえてしまうのではないかと思った。

順番だ。

教室の前に立ち、周りを見回す。

突き刺さる20人余りの視線、40を越える目玉。

本能的恐怖を覚えつつも、僕は何十回と練習してきた最初の一行を発し始める。

 

4分間のスピーチは、体感では1分に感じられた。

もの凄い早口で喋ってしまったかと思ったがそれは違う、時計の針はちゃんと4分経過を示していた。途中で何度かつっかえることもあったが、乗り切れた。しっかりと、原稿どおりの内容をしゃべることができたのだ。

あとはC評価が貰えれば一安心だ。

 

言い渡された評価はCではなかった。

 

自分でも驚いた。

返された評価表にはBの文字が赤ペンで記されていた。

英語の授業で初めてのB評価だ。

先生の汚い筆記体を必死に解読して、コメントを読む。

 

ジェスチャーやアイコンタクトがしっかりと行なわれていた。発声や息継ぎ、声の強弱のつけ方も上手」

 

スピーチの内容に関しての評価は狙い通りのC評価だったが、スピーチテクニックに関してはB評価や、ところどころにはA評価までもが混ざっていた。


そうか。

 

まだ僕が英語を喋れなかったとき、相手とのコミュニケーションには手の動きを多用していた。
まだ僕が英語を聞き取れなかったとき、とにかく相手の顔を見て状況を判断しようとしていた。
まだ僕の英語の語彙が少なかったとき、声の強弱などで言葉に色をつけて誤魔化していた。

 

こんな経験が、スピーチの表現方法として活きたのかもしれない。僕の、英語自体ではないけれど英語の周りにある物、それを操る能力が活きたのかもしれない。

 

11月。

新しい学校生活に期待を膨らませた9年生が、自分の立ち位置や甘えに気づかされた9年生が、英文の作成方法に重点を置いた9年生が終わった。

 

英語の最終的な成績は、目標通りのC評価。一度は落第点すら経験した社会科は、その後は安定した合格点を取り続けてC評価。

数学は特進クラスでも周りに負けない成績を残してA+。

勉強が少し遅れていた理科はその遅れを取り戻した上でのB+。

セキュリティ系の授業で躓いたITのクラスも、その後の動画編集で盛り返してB。

日本語では当たり前ながらA+を取ったが、クラストップは学年上位のユーイチに持っていかれた。

 

進学校が故に、この学校では学年の成績はちゃんと順位付けがなされる。

上位15人の名前は校内新聞に張り出されていた。

並んでいる名前は全員見覚えがある。

数学の特進クラスでも特に成績争いの激しい奴らの名前ばかりが並んでいた。

一体、僕の成績は今で何位ぐらいなのであろうか。

気になったので、順位の訊ね方をハーリーに教わり、受け取ってくる。

 

渡された紙には、総合順位78位の数字。

学年120人のうちの、78位だ。半数にも届いていなかった。

 

―――英語が学年で一番できない、そんな立ち位置なのだから点数が取れないのは仕方がない。

 

そんな甘えた考えを、僕はもう振り払っていた。

仕方がないわけがない。無理なのではない。

もっともっと、気合いを入れれば上に進めるはずなのだ。

実際に、7年生の頃からここまで登ってきているではないか。

 

目指す未来は海洋生物学。

最低合格ラインはOP4。

この学校で、上位30位以内には入らなければ厳しいかもしれない数字。

 


もっと上へ。

もっともっと上へと進むんだ。

 

 

Chapter 3.5 - Realisation

9年生が終わり、夏休みに入った。

この年の夏休みは『兄貴』ことセンパイのお兄さんと共に、去年同様英語の強化を毎日行なうことになった。兄貴は来年が12年生である。理学療法(Physiotherapy)を目指している兄貴にとって、取らなければならない成績はOP3~4。僕の目指している海洋生物学に近いハードルの高さ。強化は必須だった。

 

家庭教師も昨年と同じマーガレット先生。

今度は僕と兄貴の二人組で、毎日4時間の授業をめっきり1ヶ月受ける。

去年の授業で使用した教材はアメリカで使用されている英文法解説書で、基礎文法を学んだ。それに対して、今年使う教材は昨年の教材から一つレベルが上になったもの。つまり、去年の勉強が基礎英文法だったのに対して、今年のそれは上級英文法となる。

僕にとっては、ネイティブの中学生が教わるような英語を学ぶことになるわけで、この教材は本来であれば僕の年齢に見合うレベルなのだ。

去年の勉強では文法に集中して勉強していたため、それらの文法を実際に組み立て「文章」にするスキルが身についておらずESLで大部分を補強していた。この弱点を今年の上級解説書で補っていく。

基本的な「文法のルール」は理解していることが前提であるこの教材が説く内容は「文章のルール」だ。英語の勉強の内容が、マクロの世界からミクロの世界へとシフトチェンジしている。


意外にも一緒に授業を受けていた兄貴がここで苦戦する。

中学1年生の途中で渡豪し、しっかりとした文法の勉強を固めずに学校で「生き延びて」英語を吸収してきた兄貴は、基礎文法のルールを細かく理解していなかったのだ。僕が去年の夏休みを消費して学んだ基礎文法を、兄貴はぼんやりとしか理解していない。今まで何気なく、英語を感覚で捉え感覚で使ってきていた彼は、英語をルールとして置き換えることが難しい。

意外であった。

学校に長く通っており、学校でも上級生の授業を受けている兄貴がまさか文法で苦戦するとは思わなかった。

英語を学ぶ上で、留学期間の長さや勉強量の多さは大きく影響する。しかしそれ以前に、英語を「勉強」しているかしていないかでの伸びの違いは桁外れに大きい。

感覚で学ぶ英語には確かに、実践的英語力を学ぶための大事な要素が沢山あるのだろう。だが、ときに英語とは文学的、学問的にならなければならない。

今まで『活きた英語を身につけよう』という構えだった僕は。

活きた英語『だけ』を身につけた場合の違いを知ることになった。

学生にとっての『活きた英語』とは会話能力だけでは済まされない。学生にとって、ちゃんとした文章を書けるかどうかは、時に会話よりも重要になってくる。

 

参考書以外の勉強でも、授業は徹底して「理解力」や「構成力」を追求してきた。

新聞記事を切り取り内容を一文に要約する練習。解らない単語は周りの話の内容から補い、全体の概要を掴み取り理解しなければならない。

社会問題に対する賛否のスピーチを書く練習。自分の話す立場を表現しながら書く文章は、軸のぶれない論理展開をしなければならない。

論文を読んだ後に問題を読み、その問題の答えが含まれているであろう項を一瞬で探し出す練習。項毎の主要な内容を速読で読み取り、質問文と照らし合わせなければならない。

 

英語の文法を理解しているだけでは、本当の使える英語ができない。

英語の雰囲気を理解しているだけでは、本当の正式な英語ができない。

そんな「できない」要素をとにかく練習し、身体に英文の読み方や書き方を習慣として染み付けていく。9年生で気づかされた自身の死角を埋めていく夏休みが続いた。

実践的な英語はこれからも何年という生活のうえで吸収していける。だが、勉強で必要とされる総体的な英語は自ら意図的に時間を費やして勉強をしていかなければならない。

ある程度の「活きた英語」と「基礎英語」を理解していた僕は、この二つを支えに次の一歩を模索した。

この二つを配合して考える、『総合英語』を模索した。

 

勉強の合間にはバイトにも励んだ。

この時期、趣味の熱帯魚に広く手を伸ばし始めていた僕は、自由に使える金が欲しかったのだ。

家に小遣い制度はない。小学生の頃には一日10円の小遣いが月払いで300円支払われていたが、移住と共に廃止された。家では「お手伝い」をしてお金を稼いでいたが、もはや足りなくなってきたのだ。

15歳がバイトをしたいと言い出したとき、母は大賛成をした。

親以外の大人に使われる上下関係、金と時間の価値、人間関係、多様な技術。そういった、学校では教わることのない勉強をバイトを通して理解することの大切さを母は心得ていた。

しかし未だにネイティブ視点で物を言えば、僕はまだまだ英語が喋れない。接客などの経験もなく、15歳という年齢の若さや体力の低さから、雇用先はそう見つからない。

そこで売り込んだのが、知人がやっていた庭仕事。

移住してきた日本人である彼は、リタイアしてきて豪邸に住んでいる日本人を相手に大きな庭の管理や掃除を副業として行なっていた。ここであれば、英語ができないことはハンデにならない。接客の経験も庭仕事には関係のない話であり、体力面でも中学生のスタミナで十分にこなせる。

ここに時給8ドルで、不定期的に週末などに雇ってもらうことになった。


仕事の内容は主に芝刈りと落ち葉などのゴミ拾い。最初は単純な作業だと思っていたが、その先入観は仕事を開始して数分で消し払われる。

無駄に大きい豪邸はいくら芝を刈っても終わる気がしない。夏場の炎天下で15kgの芝刈り機を押す。汗を掻いても湿度5%を切る乾いた空気がすぐに蒸気に変えて風にさらわれる。刈った芝が重い。塵が目や鼻に入って痛い。仕事というのはこれほどまでに大変なのか。

 

必死に自分のノルマを終わらせて車に荷物を積み込み、時計を確認してみた。あの数時間にも思えた作業が、実は1時間で終わっていた。あれだけ苦労して汗を掻き、やっと僕は8ドルを手にしたことになるのか。

 

帰り道、ガソリンスタンドによった雇い主の意向により、ジュースを一本奢ってもらった。トロピカルジュースは一本2ドル。

 

昔だったら30秒で飲み干していたであろうそれを、僕は15分かけて大事に味わった。

 

 

Chapter 3.6 - Award

英語漬けの夏休みが終わり、既視感を感じつつ10年生の始業式を迎える。

日本であれば高校生活が開始する学年であるが、オーストラリアの10年生は中学生。まだ勉強にあまり追われることのない、子供が自由に動ける最後の年ともいえるのだろうか。そんな「最後の何をしてもいい学年」を、僕は英語の更なる強化に繋げなければならない。

来年からは英語の強化をする余裕はない。勉強から英語を吸収する以外に時間が割けない。今年までにどこまで英語を延ばし、どこまで勉強を試すことができるか。海洋生物学のハードルであるOP4を目指す僕にとって、この年は迫る高校生にむけての最終模試。

 

周りの緩い空気の中、一人で異様な執念を密かに燃やしていると、一人の生徒に話しかけられた。見慣れない制服・・・いや、この制服は確かに僕の学校のものだ。

 

見慣れないのは制服ではなく、僕の学校の制服を着ている人物。

否、その人物自体もよく知っている。

前の学校で、7年生の2学期に僕のクラスに転校してきた奴だ。名をジョッシュという、幼少期にニュージーランドに移住して市民権も獲得している韓国の男の子。見慣れなかったのは制服でも人物でもない、制服と人物のワンセットだった。

 

久しく再会したジョッシュは、色々と経緯を話してくれた。

要約すると、医学部を目指している彼はやはり僕と同じく、前の学校のレベルに危機感を覚えたらしい。すると、同じクラスだった僕が学業レベル向上の目的で転校してしまい、慌てて彼も僕の後を追いかけたそうだ。

同じ新天地に、同じ理由をつけての転校、完全に真似をされている。驚いたことに、偶然にも10年生のクラスも選択科目を含めてほぼ同様という徹底さだ。理科、社会、英語。選択科目も日本語とITのクラスが被っていた。

 

そんなジョッシュが僕の一番の友達になるのに時間はかからなかった。二人で共に、前の学校からの脱出を喜び称え合う。同時に、転校までしたのだからと、お互いに夢に向かって突き進む約束を交わした。

 

僕の学校では毎年、1年生~10年生が1学期の中盤に自由研究を発表し、出来を競うコンテストがある。理科の授業の一部であり、この研究はしっかりと採点されて成績に影響する立派な課題だ。また、これらの作品は学年ごとに貼り出され、理科教師や近隣の大学教授達を招き入れて採点もされる。その内容や着眼点が素晴らしいとされる作品には、1~3位、それぞれ賞が与えられるのだ。

 

9年生の頃は、転校したばかりでこのコンテストのことを僕はまだよく知らなかった。日本の自由研究よろしく、適当な子供だましの発表会だと思っていた。だから時間もかけず、家の前に行列を作っているアリの食性観察と称し、違う餌に対する食いつきの違いを探る簡潔な統計実験を行い、それをA4文書にまとめて提出した。

しかし、この「自由研究」は当時の僕の想像をはるかに超えたスケールだった。

提出日、作成したレポートをカバンに入れて登校した僕は生徒達が大きな展示版を抱えているのを目撃した。光り輝くモデル標本、色とりどりの薬品写真、実験で作ったのであろうか自家発電機を展示版に貼り付けている生徒や実際の車のエンジンを断面している生徒までいる。

皆がところ狭しと展示版を机の上に並べている中、僕は空しくA4紙を束ねたレポートをそっと机端に置いた。内容は安定していたため学校の採点結果は90%であったが、コンテストでは気づかれもしなかっただろう。

 

だから10年生である今年はこの自由研究コンテストに闘志を燃やしていた。

リベンジである。このコンテストは10年生までしか参加しない。今年が最後のチャンスなのだ。


去年、僕と共にこのコンテストの展示品を見に来ていた母も、まるで自分のことのように気合いが入っていた。僕の闘志の源が「周りに負けないような格好いい展示」であったのに対して、母のそれはちょっと違う。

このコンテスト、学校が定めて大学教授なども呼び込む立派な大会であるがため、もしも入賞できればそれは僕の履歴の一部になる。海洋生物学に応募する際、「理科実験大会 入賞」の文字があればどれだけ効果的か。

目前の気合いを入れる僕、未来への期待を膨らませる母。二人が目指すは大会で入賞できるほどのインパクトのある実験研究。

 

前回の大会を視察してきた二人の意見は同じだった。

これは日本のいう「自由研究」などといった甘いものではない。完全に、親が子供の研究を手伝ってあげることが前提にされているかのような大会である。そうでもしないと、9年生のガキが自家発電機を作ったりエンジンを切断、溶接はできない。

 

そこでまずは実験内容を二人で考える。

ここで決める発想力が、この大会で一番重要視される大事な要素。何かを組み立てる程度ではただの工学、説明書と設計図を読めば誰にでもできてしまう。ボールや水を使った物理実験はインパクトに欠けるほか、法則に従っている以上あまり発想がない。化学的な実験は薬品や爆発を使用すればインパクトは出るが、素人が手を出せる範囲には限界がある。

悩む必要はあまりなかった。結局は僕と母が考えることである。

自由研究は生物学の観察実験で行くのが、小学4年生からの家でのセオリーだ。観察実験といっても、統計的な実験ではただのデータになってしまい面白みがない。インパクトがあり、誰の実験とも被らないような面白い実験。

 

導き出した答えが「ザリガニの白色化」だった。

そもそも、この進学校に転校する際の面接で、母が学校側に僕を売り込んだ一番の要素。その謎の趣味と知識に、この学校は飛びついてきて異例の転校になったのだ。

ザリガニの体色はカロテノイドという赤色色素で多くが構成されている。エビやロブスターを茹でると真っ赤な色に変わるのも、この色素のせいだ。そしてこれらの色素を、ザリガニは餌から摂取することで体内に溜め込む。植物性の餌や動物性の餌、色々なものに含まれるカロテノイドを蓄積していく。

そのカロテノイドを含まない、例えば白味魚だけを与えザリガニを育てるとどうなるのか。色素を摂取することができずに身体が大きくなっていくと、だんだんとザリガニは色を失うのである。最終的にはアルビノとは違う、白色化したザリガニが完成する。

 

すぐに実験にとりかかった。

まだ自由研究が始まる前だったが、実験期間が指定されていない大会なのでフライングスタートで問題ない。実は白色化したザリガニはすでに僕の部屋にいるのだが、これでは実験にならない。「数」ではなく「質」を視る観察実験は、「比べる」ことで初めて実験の体を成す。

母の投資により水槽が4つ用意された。一つの水槽には白味魚を与える。一つには色素を多く含んだサーモンを与え、一つにはカロテノイドの種類が違う昆布と白味、そして最後の一つには市販のザリガニの餌を与えた、対照動物も用意した。

 

3ヶ月以上の実験の途中、脱皮不全などに見舞われつつもなんとかこの実験をやり遂げる。この長期実験は「内容」の面で大きく評価されるはずだ。他の生徒たちは長くても一週間で終わる実験をしているからこそ、生物学の観察実験は輝く。

 

また、インパクトの面も重視した。

この大会は全生徒が大きな机にそれぞれの研究を並べ、それを閲覧する形で行なわれる。インパクトを与えるための第一条件は大きいこと、次に「異質」なこと。大きさに関して、母はわざわざ特注の展示版を知り合いの大工に頼んで作ってもらった。横1m、高さも60cmは越えるであろうか、そんな大きな3次元展示版に実験結果を張り出す。

実験の主体はやはりレポートだった。

深夜遅くまでレポートを書くこと3週間、それを家庭教師にしっかりと添削してもらった。プリントアウトしたレポートをファイルに入れ、そのファイルを展示版に接着する。また、おおまかな概要やグラフ、写真などは別に、ファイルを開かずとも見れるように展示版に張り出した。特に一番重要である白色のザリガニの写真は、写真屋でしっかりとA4サイズでプリントしてもらった。

最後に肝心な「異質さ」を加える。

どれだけ展示や写真が大きくても、それは周りに数百もの写真があれば埋もれてしまう。だからこそ、この実験展示には「ザリガニの脱皮した殻」を標本にして加えた。

自由研究の決まりごとの一つとして、動物の扱いに関する決まりごとがある。動物を絶対に殺めてはならない、解剖してはならない、などだ。動物愛護の観点から、命自体を題材にさせない決まりごとである。

つまり、生物関連の実験や研究をした生徒に「生物標本」はご法度なのだ。

そこを僕は掻い潜る。標本にしたのはあくまでも「脱皮した殻」であり、ザリガニ自身は健康に水槽の中を泳いでいる。しかしこの標本には時間経過とともに殻が赤味を失っていく様子が鮮明に写っていた。

これで全校生徒の中で唯一、生物標本を展示することができるのだ。

 

提出日、大きすぎて一人では運べないこの展示物を友人に手伝ってもらいつつ教室に運び入れる。その圧倒的な大きさと訳のわからない実験内容に、教室中の視線が集まった。恥ずかしい気もするが、それは去年の恥ずかしさとは正反対だ。

あとはこの視線が、大会でも集まることを祈るばかり。

 

結論から言うと、入賞した。

3位だった。

正直な話、あそこまで大きな展示品を作り、3ヶ月を費やして標本まで加えたので1位も取れると思っていた。しかし実際はそんなに甘くはない。

一位を取ったのは学年の総合成績1位を維持し続ける天才女子。実験内容は「X線による犬の体長と心臓の大きさの比較」という、知り合いに獣医師がいないと絶対に成立しないような本格的すぎるものだった。

二位を取ったのは実験系ではなく、双子の兄妹の研究発表。宇宙におけるエネルギー確保と、そのエネルギーをビームの形で地球に送る研究。当時の物理の最先端を、論文を読み漁ってまとめた研究だった。

周りのレベルが高い。

ここまで気合いを入れて、やっと3位に食い込めたのか・・・。

だがそんな細かいことはどうでもいい。順位なんて、終わってみれば些細なことでしかないのだ。とにかく入賞できた、その事実が僕を満たしていく。

 

思えば、学校のイベントで「入賞」するのはこの学校では初めてだ。

翌日、学校新聞に自分の名前を発見した僕は、懐かしい感覚を得る。

何かをやり遂げた達成感、成功して満ちる気持ち。

進学校のレベルに塗りつぶされかけていた感覚が戻ってくる。

 

 

Chapter 3.7 - Be Smart

10年生になるとESLに新しく2人の生徒が入ってきた。

一人は韓国はソウルからきた女の子、もう一人は中国は北京からきた女の子。二人とも本国で相当勉強をしていたであろう、そんな『ガリ勉』のオーラが漂っていた。

メガネに黒髪、手には教科書。化粧気もなければ運動系の俊敏さもない、机と図書館が定位置であろう、そんな雰囲気。典型的な「Asian Nerd」と呼ばれるであろう、そんな空気を醸し出している。

 

初めて彼女達と顔を合わせたとき、感じた第一印象は違和感と疎外感。

オーストラリアでは見たことのない、アジアのにおいが染み付いていた。一日の勉強時間が14時間を越えていたであろう、そんなにおい。日本にいた頃、僕が釣竿を肩に自転車を走らせている中すれ違う、弁当を片手に塾へと向かう学生達。夕日を背に釣りをしながら敬遠していた、そんな奴ら。

彼等に似たにおいだ、そんな記憶がよみがえる。

 

正直、ああいう風にはなりたくない。

ガリ勉』と呼ばれる人には、なりたくない。

ただでさえアジア人の留学生はAsian Nerdというステレオタイプが貼り付いて来る。自分が敬遠していたイメージを振り払いたい。だから僕は遊び心を忘れずに勉強をこなす、そんなオージーの心を目指そう。

 

8~9年生の頃、学校の授業科目は必須の英語と数学のほか、理科や社会、それに音楽や外国語などの選択科目が3つで構成されていた。生徒達は各々、どの教科もその界隈の「基礎」を教え込まれる。

9年生までに様々な分野の基礎を習った僕達の授業は、10年生になると少し変化した。全教科選択科目制である11年生、そしてそのまま影響が続く大学進学。その大事な一歩を前にした10年生の教科は、後の選択をより簡単に行なうために少し細分化されたのだ。

 

社会科の授業は、一学期が地理の授業になり、二学期は世界史の授業になった。

去年の社会科のテストでは人生で初めての落第点を取ってしまったこの科目。それが地理の授業に変わった途端、急に得意科目になってしまう。地理とはその名の通り地の理を説くわけで、これは理科に通じるところが多々ある。川の流れや地殻変動、天候など、授業で習う内容が全て非常に論理的なのだ。

ああなればこうなる。法則を憶え、それを応用して答えを導き出す科目には強かったため、一学期の地理ではA評価もよく取れた。

 

これが二学期になり、世界史の授業に変わってしまうと反動が大きい。

落第点を経験した社会科の、特に苦手な部分を凝縮した科目である。歴史の授業に法則はない。ひたすらに名前と年号、出来事を暗記していく科目である。ただでさえ英語で苦労している僕にとって、暗記物はスペル一つから難しい。

しかし、そんな苦手科目にも需要内容に活路はあるように思えた。授業内容は第二次世界大戦と、その後の冷戦だったからである。第二次世界大戦については日本人であることが有利に働くかもしれない。

予想は軽く覆された。

なんと、第二次世界大戦の授業にも関わらず、太平洋戦争に全く触れなかったのだ。
オセアニアも太平洋戦争の戦場の一部だったにも関わらず、だ。豪州北部は日本によって爆撃を受けているにも関わらず、全く触れない。

理由は単純だった。第二次世界大戦中、オーストラリア軍はイギリス軍の援軍として働いていたからである。オーストラリアの目線から第二次世界大戦を見たとき、映るのは欧州連合軍対ドイツの戦いになってしまう。

また、豪州軍の話が出てきても、スケールが小さい。イギリス近くの島への上陸作戦でドイツ軍の待ち伏せを食らい200人の死者が出た、そんな一戦が最も苦戦した戦いとして教科書を飾っていたのだ。結果、第二次世界大戦についての授業は自国よりもドイツやイギリスの事柄を多く学んだ。

予想外の授業体勢に一度は赤点も覚悟した。暗記は苦手であり、全く事情を知らないマイナーな島の侵攻などを話されても困ってしまう。

しかし、後に学んだドイツのナチズムに関しては興味を引かれた。

日本の授業ではナチスの行なった「出来事」ばかりを語るであろうこの分野で、オーストラリアの授業ではナチスの背景、民衆の動向やヒトラーの内面を深く追求していったのだ。

出来事だけを語られていたのであれば、それは僕の苦手とする完全暗記の世界である。だが、ナチスヒトラーの背景、動向、心境などは、物事の「繋がり」を重視した勉強。繋がりは理論を構築していくので、理解しやすく興味が持てた。ヒトラーを美しく脆い思想と表現したこの授業は、僕の歴史に対する価値観を大きく変えた。

 

理科の授業も細分化される。

去年までは一人の教師が教えていたこの授業も、時期に応じて生物、物理、化学の3つの授業に分けられ、それぞれに専門の教師がつくようになった。理系を目指す僕にとって、この変化がもたらす影響が一番大きい。

 

化学の授業。

化学は将来的に理系に進む人間にとっては必須の勉強なので、11年生でも絶対に選択する科目だ。この授業は得意な、論理と法則で固められた勉強。

周期表別の元素の特徴を把握し、陽子と電子の動きを把握してしまえば怖くない。
そしてこの「把握」に言葉は必要がないのだ。元素の「反応」や陽電子の「動き」など、視覚的に理解してしまうことで英語の壁を乗り越える。

 

物理の授業も陽気な教師が就き、楽しかった。

数学が一番得意な僕にとって、物理の授業は数学同様にトップの成績を取れる、天国のような授業。物の動き、力やエネルギーの動き、原子の動き。ここにも言葉の壁はほとんど存在せず、ましてや実際に行なえる実験で視覚的に理解できる。

法則の意味を理解して、応用問題を解く。細部に至るまで得意と思える要素で成り立っている分野だった。

 

生物の教師は僕の「自由研究」を一番評価してくれた先生が担当する授業。

海洋生物学を目指す僕にとって、生物学の授業は一番楽しく、また成績の取れる科目でなくてはならない。

理想と現実は違う。

歴史、英語の授業に続いて苦戦させられたのが、なんとこの生物学だった。得意である理系の科目であるのにも関わらず、あまり良い成績が取れないでいたのだ。他の苦手科目に通じる部分が、この生物学にもあったからだ。

つまり、単語の暗記量である。

理系科目の中で、生物学は群を抜いて専門用語が多いのである。理論、発見、解剖、症状。習う全てに新しく小難しい専門用語がつきまとってくる。数学的要素はほとんどなく、視覚的に理解できる事柄も少ない。理系科目なのにも関わらずC評価を数回出してしまったこの科目は、僕に大きな不安と疑念を生む。

 

果たして生物学の方向に進んでいって大丈夫なのだろうか。

苦手な方向に進んでいって、途中で折れてしまわないだろうか。

 

考えるまでもない、生物学に進むのはもはや決定事項。

生物学の方向に将来の夢を見るのは、物心がついて以来ずっとぶれていないのだから。
それよりも今、一番大事なのは目の前の問題。成績を取れるだけ取り、OP4を得て海洋生物学に入ること、それだけに集中するしかない。

 

 

 

Chapter 4に続く>>

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