とある獣医の豪州生活Ⅱ

豪州に暮らす獣医師のちょっと非日常を超不定期に綴るブログ

とある獣医の豪州生活Ⅱ

僕と英語と、移住と学校。②

 

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Chapter 2.1 - Dual Thoughts

少年は、ついに英語脳と呼ばれる特殊な思考回路を手にした。

ブレイクスルーを体験したその日は刺激的な一日だった。今までは何が起きているのかが解らなかった学校生活の大半が、突然理解できるようになったからだ。

無論、英語が聞き取れるからといって少年の会話力がネイティブと同じ域に達したわけではない。知らない単語が出てくれば聞き取れても意味が解らないし、まだ舌の回り方もつたない状態だった。だが、日常的な会話の多い生徒間や、教科書をベースとした授業内容を理解するのには然程苦労しない。

画期的だった。

つい1時間前までは普段の憂鬱な学校生活だったのがまるで嘘のように、周りの状況が理解できた。何故今までは理解できなかったのだろうと、少年はついさっきまで感じていた疎外感にも似た感触をすでに思い出せないでいた。

 

気づけば学校の終業のチャイムが校内に響き渡る。

学校の時間が今までで一番短いように感じられた。時間が10倍の速度で流れているような雰囲気だ。同時に、少年の脳も10倍の勢いで活動していた。単語、発音、文法などの初歩的な英語から、今まで理解していなかった授業や宿題の内容。今では多くが聞き取れる。

まるで13ヶ月の冬眠から覚めたように、春の訪れに喜んだ脳内をシナプスが火花を散らしながら駆け巡っていた。


スクールバスに揺られての帰路の道中でも、周りの人間の話している内容が聞き取れる。バスのエンジン音に阻害されようが、何十人が一斉に言葉を発そうが、聞き取れる。誰かがジョークを言えばみんなと同じタイミングで笑える。もう愛想笑いは作らない。バスの中の空気は昨日よりも何倍も明るく感じられた。

 

家に着くと、少年は真っ先にその日の不思議な体験談を少年の母に嬉々として話した。

やっと「その時」が訪れたこと。

本当に一瞬で英語が理解できるようになったこと。

もう日本に帰国をせずともやっていけそうな、そんな明るい気持ちでいること。

言葉では到底表すことのできない喜びを、それでも言葉を選んで伝えた。


ここで、少年は今日二度目の不思議な体験をする。

何故だろうか、あれだけ頼りきっていた日本語がしっかりと出てこないのだ。無論、ごく普通の会話は成立する。「ただいま」とか「ねぇ聞いてよ」といった、簡単な日本語は出てきた。

だが、「今日学校ですごいExperienceをしたんだよ」と口が先に言いそうになる。

「体験」という日本語が出てこなかったのだ。

数秒考えるとようやく単語が出てくる、そんな現象が何度も起きた。

 

 

なんだこれは。

 

 

英語が理解できるようになったかと思えば、今度は日本語が使えなくなり始めたのか。

 

 

現象は帰宅してから2時間程度続いた。出てこないのは決まって、文中に出てくる一つの名詞や一つの動詞といった、小さな単語だった。

しかし、この不思議な現象は帰宅から2時間も経てばいきなり消える。

普段通り、ペラペラと流暢な日本語を少年はまた話せるようになったのだ。一瞬、日本語を話すことが不自由に感じたあれは一体なんだったのであろうか。疑問を抱きつつも少年は初めて、本当に初めて乾いた枕で眠ることができた。

 

 

翌日。

朝の目覚めは普段よりもいくばか爽快だった。

さぁ、学校に行こう。

英語の解る学校に行こう。

 

普段通り、迎えのスクールバスに乗り込む。果たして今日は誰が面白い話を道中で繰り広げてくれるのか。ワクワクしながら騒がしいバスに乗り込んだ少年の顔は、英語を克服した自信で満ち溢れていた。

バスはゆっくりと発進する。今日もエンジン音がうるさくて周りの会話がよく聞こえない。

 

いや、待て。

 

何故昨日の帰り道ではバス内での会話が聞き取れたのに、また聞こえなくなっている?

 

 

集中して聞き耳を立てても、何十人が一斉に話しているバス内は騒音にしか聞こえない。まるで、ブレイクスルーを体験する前の自分に戻ってしまっているかのような。

 

にわかに信じられなかった。

確かに昨日、少年は英語を聞き取れるようになったのだ。

確かに昨日、少年は13ヶ月に及ぶ戦いを生き延びて、新しい活路を見出したのだ。

あれは幻想だったのか?

一時の夢に過ぎなかったのか?

またあの地獄のような世界に叩き戻されるのか?天の光を一瞬見せた後に闇に突き落とすのか?

 

少年の顔にはすでに自信の色など残っていなかった。

あるのは焦り、焦り、焦り。

 

頭が半分パニック状態になっている間も、学校は普段通りにその工程を一つずつ終わらせていく。

1時間目が終わり、2時間目も中盤に差し掛かった頃。

 

「―――nd here you need to consider about...」

 

授業を進める先生の言葉が、耳から思考停止していた少年の脳へと流れ込んだ。聞き取れない騒音ではなく、先生の言葉が入っていたのだ。

 

昨日のような一瞬の停止時間はなかった。気づけば英語を聞き取るのがデフォルトに変わっていた。そこからは全く問題のない、昨日の午後と同じような時間が流れる。友達の言っている言葉も、先生の話す内容も、ちゃんと聞き取れた。

 

(Well、やっぱり英語脳はできているじゃないか!)

(昨日の夜はちょっとExcitedだったから、きっと寝不足だったんだな。)

 

取り戻した英語脳の感触に安堵した少年は、簡単な理由付けをして朝の不安を取り払った。

 

気づけば学校の終業のチャイムが校内に響き渡る。

学校の時間が短いように感じられた。時間が10倍の速度で流れているような雰囲気だ。スクールバスに揺られての帰路の道中でも、周りの人間の話している内容が聞き取れる。バスのエンジン音に阻害されようが、何十人が一斉に言葉を発そうが、聞き取れる。

 

(なんだ、やっぱりみんなの話がUnderstandできるじゃないか!)

 

家に着くと、いつもどおりに少年は今日の体験談を母に話した。朝に日本語しか出てこなくて焦ったこと。でも2時間も経てば自然と英語が聞き取れるようになってきたこと。

 

ここで少年は不思議な体験をする。

何故だろうか、朝には英語の邪魔をしていた日本語が、逆に今は出てこないのだ。

無論、ごく普通の会話は成立する。「ただいま」とか「ねぇ聞いてよ」といった、簡単な日本語は出てきた。

 


既視感。

 

否、これは全く昨日の夕方と同じだ。

 

家から学校に行く時は英語が不自由になり、学校から家に帰ると日本語が不自由になっている・・・?

 


少年が気づいてからも、この現象は続いた。朝、学校についてからしばらくは英語が聞き取り難いし、自分から英語を発するのが大変だった。夕方、帰宅してからしばらくは日本語を話す際に一瞬、単語をド忘れしてスラスラと喋れなくなった。

学校についてから2時間もすると、英語をすんなりと話せるようになった。

帰宅してから2時間もすると、日本語でつっかえることもなくなった。

 

これが英語脳というものか。

少年はようやく、英語脳の本質を理解し始めた。

 

英語脳とはつまり、英語世界でもペラペラとスムーズに脳活動が進行できるような回路だ。英語脳が活動を始めると、脳内で次に何を喋ろうかと考えるその瞬間を、すでに英語で文章構築をしている。

普通の日本人が「今日はいい天気」から「It's a nice day today」に英訳する部分を、端から「It's a nice day today」という文章を頭の中で直接考えられるような、そんな脳。逆に、「It's a nice day today」という英語を聴いた瞬間は、日本語に訳す必要もなく意味を理解できる。

少年は学校にいる間、聞いた英語をすぐに理解し、すぐに話す必要があるため、この英語脳を使用していた。

 

反対に家にいる間、少年は母親と日本語で話していた。

この場合、少年は日本語脳を使用していたのだ。日本語で聞いたことを日本語で理解し、言葉は日本語で直接思い浮かんだものを発する。

 

つい数日前に英語脳を獲得した少年は、この二つの脳の使い分け方が下手だった。家から学校に向かった際、家で使っていた日本語脳から英語脳に切り替えるまでに2時間かかっていたのだ。その間、日本語脳で聞き取る英語は雑音に聞こえるし、英語を話すのにも日本語から英語に翻訳する分だけもたついていた。

そして学校から帰宅してしばらく、少年の脳は英語脳のままだったのだ。第一言語が日本語なので普通の会話はスムーズに出来ていたが、特定の単語を脳から引き出す際に、機能停止状態の日本語脳よりも先に英語脳から単語を見つけてきてしまう。結果、文中で単語の一部が英語のまま出てきてしまっていた。この英語脳もまた、2時間ほど日本語の世界に浸かっていると日本語脳に切り替わったのだ。

 

少年は長い間、とても理解できなかったセンパイとユリとの会話を思い出した。

彼女達は学校で日本語を話す際に、日本語と英語の混合で話していたのだ。当時英語脳が無かった少年は、何故日本人同士なのに日本語で話さないのかが疑問で仕方なかった。それどころか、わざわざ英語と日本語の両方を混ぜて話す必要性が理解できなかったのだ。後にセンパイに問うと、日本語と英語を混ぜて話したほうがお互いに解り易いと答えてくれた。

その謎が解けた。

実際、第一言語が日本語である少年の英語脳が活発な時間は、自身でも混合言語で話すようになったからだ。

驚きと共に、嬉しい気持ちでいっぱいになった。センパイ達のあの会話は、少年が尊敬と羨望の眼差しで見ていた世界だった。それと同じ土俵に、ようやく立つことが出来たのだ。

もう理解できない世界ではなくなった。

数日前に英語の世界に進出した少年は、ほぼ同時期に『バイリンガルの世界』にも足を踏み入れた。

 

 

Chapter 2.2 - Rivals

8年生も2学期に突入すると少年の周りの環境が激変し、二人の新たな生徒と出会う。

 

まず最初に出会ったのは、6月に日本から新たに留学してきた女の子、シホだった。偶然にも少年の家のすぐ近くに引っ越してきたこの母子とは、スクールバスを待つ際に初めて出会った。

留学してきて以来初めての「コウハイ」に少年は内心とても喜び、つい最近英語を得たばかりの少年は、それでも胸高々に学校のいろはを教えた。1年前にはセンパイに頼りきっていた少年が、今度は先輩の立場だ。

 

この新しいコウハイが、色々な意味で少年の生活リズムを変化させた。

 

まず、今までずっと先生に攻撃され続けてきたESLの空気が、新たに新入生が入ってきたことで変化する。すでにブレイクスルーを体験して劇的に英語力が伸びてきた少年に代わって、新たに留学1日目のコウハイが入ってきたのだ。

ブレイクスルーを体験したことを見抜いていたであろうESLの先生は、授業中に少年に重点を置くことを止め、新しく入ってきた「英語が一番苦手な子」に手を差し伸べるようになり始めた。

最初、シホが少年の身代わりになってしまうのではないかと危惧したが、ESLの先生は1学期に少年に向けたような高圧的な態度をシホには向けない。留学してきてすぐの子だから割り切っていたのであろうか。

どちらにしろ、少年にとってESLの空気が明るくなったことは学校に通う意欲を増大させた。

 

次に、シホの存在は良い意味で少年の競争心を煽ることとなる。

それまで、少年は数学では学年トップクラスの実力を維持してきた。これは日本の小学校で習っていた『算数』の力が大きく影響していたわけなのだが、そこに新たに日本で中学1年生の『数学』を経験してきたシホが入ってきたのだ。

日本の小学6年生までしか知識を持っていない少年は、シホの操るXやYといった方程式に危機感を覚えた。

それを見越してか、少年の母親がシホの母親に数学の家庭教師を雇わないかと提案をする。知人に日本で数学の塾講師をしていた経験のある日本人がいたため、彼を家庭教師として雇い、費用を二分割しようという提案だ。結果、少年とシホの二人で週2回、計4時間の『数学』の勉強を放課後にお互いの家で行うことになった。

 

日本人講師に教わる数学ということで、教材は日本から取り寄せた参考書であった。始めは日本の中学で教わる数学。方程式や図形といった中学一年生の問題を、シホは少年の目の前でスラスラと解いて見せた。

得意としてた数学で、歴然とした勉強力の差を見せ付けられた。少年の心に火が灯る。

最初こそ取っ付きの悪かった方程式も、意味を理解すればすぐに慣れてしまう。図形問題は元から得意だったのか、憶える法則も少なかったのでこちらも理解するのに時間はかからなかった。

少年が中学1年生の問題を勉強している間、シホは中学2年生の問題を解いていた。二人の間に空いた勉強の溝は、2ヶ月で中学1年生の数学を理解した少年が、そこからさらに1ヶ月も経たないうちに連立方程式で躓いていたシホに追いつく形となる。

この時期、ようやくオーストラリアの数学の授業でも方程式を解き始めるようになった。猛チャージで日本の中学1年生の参考書を突破した少年には、もうシホに劣る部分は数学という分野において存在しない。

2学期前半の数学のテストではシホが文章問題で引っかかり97点を取る中、少年はクラストップはおろか学年トップの100点満点を堂々と取り、数学での威厳を取り戻した。この経験が少年の数学的好奇心を動かし、後の勉強にも大きく貢献することとなる。

 

シホとは別にもう一人、少年は同じく転入してきた韓国人の男子アンディに出会った。他の英語圏から引っ越してきたというこのアンディは英語に不自由しない、よく勉強の出来る奴だった。

2学期が始まってすぐのある日、少年がチェスを指していた際に対戦者となって初めて顔を合わせた。転校してきたばかりだった彼にはまだ友達がおらず、結果的に少年は彼と共に休み時間を過ごすようになった。二学期にしてようやく、少年に友達らしい奴ができたのだ。

英語に不自由せず、またアジア人特有の計算能力を持っていたアンディは頭が良かった。数学でも少年に並んでトップレベルの成績を残し、他の全教科でも良い点数を取る。同じく勉学に闘志を燃やしつつあった少年には格好の友達だった。時には勉強を見せ合う仲として、時にはテストの点数を競うライバルとして。少年はアンディと小競り合うことで成長していく。

 

社会や英語の授業ではとても点数で太刀打ちできなかった少年だが、理科だけは別格だった。理系の話が好きな母親の元で育ったからか、生物の飼育が好きだったからか、少年は理科に関しては英語になってもそこそこ得意だったのだ。

二学期が始まってすぐに、理科のクラスから一つの課題が出された。

エネルギー資源と発電所についてのレポートを、各々がインターネットなどでリサーチしてまとめる内容の課題だった。数学の次に理科の成績が良かった少年は、この課題でも良い点数を取ろうと懸命に取り組んだ。

母親に理論の構築やアイディアも相談し、親子で毎晩パソコンとにらみ合いながらリサーチをした。ブレイクスルーによって英会話のレベルが上がったとはいえ、少年の英文を書く能力はまだまだ乏しかった。その結果、ちょっとした課題を書き上げるのにも膨大な時間を有したし、この時点でもやはり部分的には翻訳機を頼った。

二ヵ月後、提出したレポートが先生から返却されて驚いた。そこには表紙に赤い「A」の字が燦然と輝いているではないか。

追い討ちをかけるように、先生がクラスに向かってレポートの出来を語った。

「皆もっと頑張らないと駄目でしょう。今回A評価を取ったのはクラスで2人しかいないわよ」

ふとアンディのほうを見てみれば、彼の持っているレポートにも大きく「A」の文字が刻まれているではないか。クラスで二人しかいないA評価で、一人はアンディである。もう一人は必然的に少年だ。

 

達成感で満たされる。

 

この日少年は初めて、数学以外でもネイティブの生徒達を抜いてトップに躍り出た。数字に頼らない、英文だけのレポートで、それでもネイティブを出し抜いたのだ。

 

進め。進め。進め。

この1年間の抑圧に耐えてきた少年の脳は復讐心に燃えていた。

 

Chapter 2.3 - Dream

少年には将来の夢があった。

小学校にいた頃、周りがまだ野球選手やお花屋さんになりたいなどと言っていた時期、アオウミガメの研究者になりたいと語るようなガキだった少年の目指す世界は、6歳からずっとぶれない。

厳密に言えば、アオウミガメの学者だったり昆虫学者だったり動物学者だったり、時と場合によって言うことは変わった。しかし少年の心の芯にある、「動物に携わった仕事」といった漠然とした気持ちは一度も変わったことがない。

そんな少年にとって動物大国であるオーストラリアへの移住は夢へと近づく最初の一歩であった。ディスカバリーチャンネルで観続けてきた夢の世界が広がっているはずだった。

 

夢に近づいた気分でいた少年はそれでも、最初の一年は夢などを考えている余裕はなかった。英語がわからない。勉強がわからない。一寸先は闇。目の前すらも見えてない少年に将来の夢を見ることはできなかった。

 

そんな少年に最初の転機が訪れたのが8年生の中盤。

まず英語が理解できるようになり、次に理数での勉強で上位に上り詰め始めた。成績が上がりだす。英語を吸収し始める。ようやく差し込んできた細い光を頼りに、少年は夢の国で自分の進路について再度考える余裕を与えられた。

 

「獣医さんとかはどうだろう」

 

漠然と動物の仕事に就きたいと考えていた少年に、一つのアイディアが生まれる。

動物に携わる仕事といっても多種多様だ。動物園の飼育員、ペットショップ店員、農家、ドッグトレーナーからトリマーまで。そういった職業にもそれぞれの魅力があったが、少年の中で獣医というポジションは特別だった。

動物の命と直接向き合い、常に動物と人間との前線で戦う、動物業界の頂点。そんな偏ったイメージが少年の頭の中にはあった。ディスカバリーチャンネルに出てきて野生動物たちを救ったり、本に出てきてペット達の最後の希望となる、そんな獣医に魅せられていた。

子供の思考回路はいつだって単純だ。

 

しかし獣医について調べるうちに、現実の厳しさを思い知ることになる。

とにかく大学の獣医学部に入ることがとても無理としか思えないような関門なのだ。
豪州全ての大学で学年成績トップレベルしか受け入れていない。これは、ようやく英語を理解してきた少年がいくら数学で100点を取っても到底たどり着けるような成績ではない。少年の通っている学校で総合成績トップを取ったとしても、奇跡が数回起きないと入れないような難関だった。

 

そんな少年に母親が薦めたのが海洋生物学だった。

海の動物全般の勉強をするこの学部で、ウミガメやイルカの研究をしてみてはどうか。少年が小学校の頃にウミガメに凝っていたのを誰よりも知っていたからこその提案。この学部なら、獣医学部に比べたら何十倍もハードルの低い数値だ。

これならば少しは現実的になるであろう、そんな判断でもあった。

 

現実的とは言え、今の学校では総合成績で上位に躍り出なければならない。

英語に圧倒的なハンデを抱え、未だに理科と数学以外の科目の成績はボロボロであった少年には、それでも戦い抜く意志があった。

まだ4年以上の猶予はあるんだ。この調子でアンディと競り合いつつ、どんどん上を目指せばきっと辿り着けるんだ。

 

そのアンディが転校したのは2学期が中盤に差し掛かった時期だった。


ようやく失った友人関係を取り戻せたと少年が安堵した直後の出来事だった。残された少年は再び孤立した。

 

アンディが転校した理由も少年の心に響いた。

成績優秀で医学関係に進みたがっていた彼は、少年の通う学校のレベルの低さに危機感を覚え、8年生の終了を待たず他校に早々と転校したんだ、そんな話を風の噂で耳にした。

アンディの選択は間違っていなかった。QLD州の大学進学の際に必要な成績は複雑で、一つの要素として学校の平均学力が影響してくる。進学校では学校平均学力も高いので、OPと呼ばれる高校卒業時に個人に与えられる点数も高い数値が割り振られる。

一方で、少年の通っている学校はお世辞にもこの数字が高いとは言えなかったのだ。学校の方針としておちこぼれを出さないことに力を入れていたので、どうしても全体の学力が落ちてしまう。

結果、進学校では最高点であるOP1が毎年数人、OP2やOP3も十数人程度出るのに対し、少年の学校では最高でもOP4しか出せないような年も多かった。オーストラリアで医学部を狙うのであればOP1が必須だ。この学校にいては、端から話にならない。

 

この事実は少年にも重く圧し掛かる。海洋生物学の採用ラインはおよそOP4かそれ以上だ。しかし、調べてみれば少年の学校ではOP4を取るのですら、学校の上位2~3人が限界のように見受けられる。

勿論、この数値は毎年変化するので奇跡的に達するのかもしれなかったが、留学生というただでさえ不安定な身分のまま、幼少時代から暖めてきた夢を賭けての博打に出れる余裕は少年にはなかった。

 

アンディの転校を知った夜、少年はまたしても涙声で母親に泣きついた。英語を理解し、成績も上がってきていた少年の涙腺が久しぶりに決壊した。

また友達を失ったこと。

また学校が楽しくなくなってしまうであろうこと。

友達どころか、このままでは夢すらをも失いかねないこと。

 

 

少年の母親はいつだって味方だった。

打開策として、すぐに少年の転校先について調べ始めたのだ。

少年の学校の近くには2つの進学校が存在した。そのうちの一つ、少年の学校から2kmと離れていないところに位置する学校に目をつけたのだ。周囲では名高い学校であり、成績の高さは地域でも一番であった。卒業生の30%以上がOP1~4を取得している、少年の学校とは比べ物にもならないような圧倒的な進学校

 

この学校に入って上位30%を目指す。

転入生として心機一転し、新しい環境で新しい友達を作る。

明るい未来予想図がそこにはあった。

 

だが、現実はそこまで簡単ではない。

成績の高さ故、人気の高さからこの学校は転校希望者のリストには常時100人近い名前が並んでいるのだ。誰だって子供を進学校に入れていい成績を取らせたい気持ちは同じ。転入するにはこのリストの最後尾に1年生の頃から名前と連ね、数年待って運が良ければ空きの席が手に入る、そんなレベルの学校であった。

 

母はこの事実に怯まず、最初の一手を打つ。

まずはなんであれ、願書を提出した。100人が並んでいようが1000人が並んでいようが、動かないと始まらない。当たって砕けろ、海外で生きていくために一番必要とされる心構えで望んだ。9月~10月という一番中途半端な時期にも関わらず、願書は無視されず幸運にも面接を受けられる話がついた。

 

第一次面接は子供は呼ばれず、親と学校側との面接だった。

少年の母親の英語力は日本人の平均よりも高かったであろうが、それでも海外にいては雀の涙。大事な面接を言葉の壁のせいで落とすわけにはいかないと、母親は次の行動に出る。信頼できる翻訳家に仕事として、面接時に母親が学校側に伝えたい話などを細かく英文化してもらった。これを手紙の形にしてもらい、まずは大部分の言葉の壁を事前に払拭しておいた。

 

また、面接前に下準備として役に立ったのは、意外にも少年の通うチェス教室だった。

このチェス教室の先生は進学校の幹部達の友人であり、また息子達をこの学校に通わせてもいた。そんな先生に少年の母親は面接の話を伝え、彼からも少年の転校を推薦する手紙を書いてもらったのだ。

当時、少年のチェスの腕は早々と中級者・上級者レベルを超えて超上級者グループに入っていた。教室に通う150人近い生徒の中でも20人程度しか入れないこの上級者グループで、それでも少年は総当たり戦で優勝してしまい、結果的に州代表クラスの集う、教室内でも上位10人しか入ることのできない超上級者グループの一員にまで出世していた。

 

チェスの先生が書いた手紙にはそうした少年の事情がとても友好的な文面で記されていた。


「この子は教室でも10人しかいない超上級者の一員だよ、君たちもチェスの上手な子が勉強でどんな成績を収めてきたかは知っているだろう?」


面接当日、二つの手紙を懐に少年の母親は進学校に赴いた。

第一次面接を突破した次には第二次面接で、今度は少年本人の面接が控えている。この第一面接を落とすわけにはいかなかった。

面接でのやり取りで、母親は少年の特異性を全面的に売り込んだ。日本であれば、いかに常識的であるか、いかに勉学に優れているか、そういった至極平凡な部分を浅く広く売り込むことが多いかもしれない。しかしそれでも少年の母親は違った。オーストラリアの教育方針を見抜いているかのような、不思議な売り込み方で勝負に出た。

母親は少年が自宅で、ザリガニの体色を白くする実験についての話を学校に聞かせた。当時、少年は飼育していたザリガニに体色素の素となるカロテノイドを食物から摂取させないことで、体色を白く抑える実験を自主的に行っていたのだ。そういった、普通の子供とは違う一部分をつたない英語で、それでもハッキリと話して聞かせた。

 

この変な話に学校側の担当者が食いつく。

生物学に興味があるのか、ならばウチの学校は良い教師と設備を備えているぞ、そんな積極的な返答を貰った。そう、オーストラリアの教育方針は日本の平凡平均の学生を育てるのとはまるで逆。生物なら生物に特化しているような、偏った知識を持ち一分野においては誰にも負けない、そんな子供を好む。

だから母親は売り込んだ。

少年の、ある意味では変態とも言えるような趣味や知識を。

 

 

10月。

少年は9年生からの進学校での席を確保した。

二次面接は無かった。一時面接で母親が売り込んだインパクト、それを後押しするかのようなチェスの先生直筆の手紙、この二つがすでに勝敗を決していたのだ。

 

100人が待機リストに名前を連ねている中で、異例の待遇での転校決定だった。

 

 

Chapter 2.4 - Soak in English

10月になるとすでに全国一斉試験も終え学校の期末も早々と終了した12年生達が校舎から姿を消していた。転校で友達を失った少年は、この頃になるとあの12年生の日本人グループという居場所も失う。

しかし少年はそんな事はどうでも良かった。

来年は別の学校に転校する身が確定していた少年にとって、残り数日の学校生活に危機感を覚える必要性はすでにない。ただただ平凡な日常生活を生き、数回行なわれた終業式のリハーサルも難なくこなす。

ハイスクール全体で行われる終業式は7年生の時に体験したものとはだいぶ異なっており、少年は何が行われているのかがいまいち把握できなかったが、把握する必要性を感じられない。クラスメイトの一人に、俺の後ろに並んでいろと言われたので言うとおりに並び、先生に名前を呼ばれたらステージに上がり先生と握手をした。きっと何かを受賞する生徒の役を演じさせられているのだろう、考えているうちにリハーサルは終わる。

 

そして訪れる終業式本番。

実質この日が少年にとってこの学校は最後の日になるわけだが、地域から引っ越すわけでもなく別れを惜しむ友達関係も持たない少年にとってはただただつまらない儀式にすぎない。全く危機感を持たずに終業式の会場に赴くと、そこには普段は着けないネクタイをしっかりと締めた生徒達がたくさん座っていた。

もはやネクタイが制服の一部だという事実すら忘れていた少年は、しかしそれでも焦らない。どうせ今日いっぱいでこの学校ともおさらばだ、今更ネクタイを忘れて怒られたってなんでもないだろう。何百人という生徒で埋まった席の一部分に埋もれるのだからたいした問題ではないはずだ。

 

少年がネクタイを締めていないのを、たまたま通りかかったセンパイのお兄さんが見つけて声をかけてくれた。少年より2年上級生であるセンパイの兄は終業式のリハーサル中に、少年がステージに上がる様子を目撃していたらしい。

リハーサル時、少年はてっきり自分ではなく当日には誰か別の生徒が何かを受賞する予行練習にたまたま自分が使われた、まるでADの仕事のような物だと思っていたが、そうではなかったらしい。センパイのお兄さんの話からするとこの日、本当に少年がステージに呼ばれ何かを受賞するようだった。

 

少年の供述から確信を得たセンパイ兄はすぐに自分の着けていたネクタイを外し、少年に手渡した。

「俺はステージに上がる必要が無いからお前がこれを着けておけ」

そう言い残してセンパイ兄は自分のクラスの集団の中へと戻っていき、ネクタイを着けていないことを担任に注意されていた。一瞬で己を犠牲にしつつ少年を助けてくれたセンパイ兄は、ひたすらに格好が良かった。センパイ兄は少年の中で「兄貴」と呼ばれるようになる。

 

兄貴から受け取ったネクタイを締め、今度こそ少年はリハーサルどおりの席に着く。式は予定通りに進行し、8年生の授賞式に入った。複数の生徒が様々な賞を貰う。ボランティアに貢献した生徒は奉仕賞のようなものを貰い、音楽で活躍した生徒は音楽賞を貰っていた。

少年は何の賞を取ったのであろうか。

数学の成績が優秀だったから数学賞だろうと思っていたが、数学賞は少年の一つ前の生徒の名が呼ばれた。次は少年の番だが、数学賞はすでに無い。

発表された賞は『Student who has shown the most improvement in the academic results』。呼ばれた名前は間違いなく少年のもの。少年は何故か、8年生の中で一番成績が伸びた生徒として入賞していたのだ。

 

少年の呆けも表彰状の文字を読んだ瞬間に吹き飛んだ。

まさか一番成績が伸びていたとは予想だにしていなかった。確かに少年は数学や科学では良い成績を残したが、それでも英語や社会といった授業の成績は誉められた数字ではなかった。

それでも最終的に、他のどんな生徒よりも成績が伸びたらしい。

7年生の頃の成績がいかに底辺だったのかを思い知ることにはなったが、それでも喜びは一入だった。ブレイクスルーのときに胸に刻んだ下剋上の言葉は伊達ではなくなった。

 

思わぬ形で8年生の最後を日を飾った少年はそれでも気が抜けない。来年からは進学校として名高い学校へ転校だ、きっと今以上に厳しい環境になるだろう。

そう感じていた少年は、2ヶ月に及ぶ夏休みを全て返上して英語の猛特訓に出た。

 

まずは基礎的な文法を固める為、日本からわざわざ公文式の英語の教材を取り寄せた。筆記の問題集からリスニング用のCDとプレーヤーまで、全てを揃えて中学生の英語の問題に取り組む。

小学生までしか日本の学校を経験していなかった少年にとって、英文法という世界は未知数だった。幼少の頃から英会話には通っていたが、どれも英語に触れる機会を与える場であっただけで、勉学のための英語を教える場ではなかったのだ。

 

公文式の問題を解く上でまず少年が感動したことは、「副詞」や「形容詞」の意味を理解したことだった。少年は今まで辞書を引いた際に出てくる【形】や【副】の意味するところを理解していなかった。そういった文法の基礎を少年は学校で生き延びるために吸収こそしていたものの、吸収した膨大な量の情報は脳内で整理がなされておらず使い物にならなかったのだ。

公文式はこうした基本的な文法の法則性を説いた。数学のようにある程度の法則性を見出した少年は一気に脳の整理整頓を行い、これを理解した。

公文式の問題は毎日10ページと目標を定め、毎朝しっかりとノルマを消化していった。1年生や2年生の序盤で習う単純な英文法は少年が学校生活ですでに自然と吸収していた事柄がほとんどだったので、時には一日20ページ以上のペースで簡単に解ける場合もあった。

解き終えた問題はまず回答を持っている少年の母親が採点し、後に航空便で日本に送り返し公文式の先生に再度採点もしてもらった。素晴らしいペースで中学1年生の英語が終わり、やがて中学2年生も終わらせる。

 

中学3年生の文法に突入する頃には、日本語による英文法の説明には限界が来ていた。この頃になると過去分詞や現在完了形などといった、動詞の変化パターンが多くなってきていた。教材の語る意味こそはおおよそ解るものの、実際にこのような変則的な動詞を少年は使い切れない。

現在完了の継続、などと言われても少年にはしっくりと来なかったのだ。なぜ完了なのに継続なのか。終わっているのか続いているのかが矛盾しているような言葉である。

これを少年は割り切った。

とにかくまずは公文式の3年生までを終わらせ、論理的な英文法を理解しよう。そして論理的に理解できなかった部分は、その後の学校生活で活きた英語を経験することにより補おう。

 

結果、少年は事務的に公文式の中学1~3年生までの英文法を、2週間とちょっとで走破した。日本にいたら未だ中学2年生の2学期であろう少年にとって、中学3年生の教材まで一気に終わらせることができたのは一つの勇気になった。

確実に英語力は上がっているんだ、そう少年が実感するのに相応しい教材であった。

 

少年の特訓はこれに終わらない。

次に、同じく日本からの留学生である友達と共にオーストラリア人による英語の家庭教師に身を投じた。教師となるマーガレット先生は日本人の旦那と結婚しており、大学で日本語を教えている講師だった。

彼女は日本語も英語も言語としてしっかりと理解している。日本語と英語にある言葉の狭間が見えている彼女の英語教育は素晴らしいものがあった。

マーガレットに教わったのもほとんどが英語の基礎文法だ。

こちらは教材としてアメリカで使用されている英文法解説書を使った。公文式とは違い、英語による英文法の説明は別の視点から文法という闇を照らし出す。

もはや日本の中学2年生レベルを教わるのは時間の無駄であったので、中学3年~高校文法にあたる範囲を勉強する。

同時に小学生向けの本を声に出して読むリーディング能力や、マーガレットとしっかりとした言葉で話すフォーマル・スピーキング/リスニング能力、そして日記を書く事による実践的なライティング能力を育てる。

まさに英語漬けと言えるマーガレットの英語教室は、8時から12時半まで、途中30分の休憩をはさんだ計4時間の授業を週5日で受け、これを1ヶ月ほど続けることになった。

 

地獄の英語漬けで少年の14歳の夏は過ぎていく。

休暇中にここまで勉強に集中したのは少年の人生で初めての経験だった。

小学校の頃、塾に通う子供を尻目に虫アミを片手に野を駆け巡っていた少年が、今度は机の前に縛られる。

 

怒涛の英語漬けが終了すると、もう始業式は目前に迫っていた。

さぁ、来週からは新しい学校での新生活だ。

 

 

 

 

 

Chapter 3に続く>>

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