とある獣医の豪州生活Ⅱ

豪州に暮らす獣医師のちょっと非日常を超不定期に綴るブログ

とある獣医の豪州生活Ⅱ

僕と英語と、移住と学校。①

 

Chapter 0 - Landing

空港のドアが開くと、へばり付くような残暑が身体を包み込んだ。湿度や蝉の喧騒のない暑さはにじみ出る汗を瞬く間に蒸発させ、不思議なほどに不快感は感じられない。


2004年、3月30日。


少年は桜散るアジアの極東から、夏の名残が照らす南半球の小大陸へ一歩踏み出す。その日、少年は日本という国を、故郷を、見知った井の中の世界に別れを告げた。


少年の顔に不安の色はなかった。

そう、少年は物心がついたときから様々な国を母に手を引かれて旅をしてきた。

時にはハワイであり、時にはフロリダであり、時にはタイのバンガローであり、時にはフィリピンの孤島であり、時にはアフリカのサバンナであり、そして時にはオーストラリアの海であった。

だから少年は、飛行機から異国の地に降り立つことに不安を覚えなかった。

隣りには母がいて、自分は荷物を持ち、英語の飛び交う空港を歩き、車に乗る。

散々経験してきた、異国への旅と同じ手順。

 

異国に足を踏み入れる、いつもの手順。

 

車が向かった先は一件の借家だった。

大きな河の前に立つ、大きな庭と広いリビングのある平屋。

その前の冬に旅行に来た際に、事前に母が借りていた借家だ。


ここに来て、少年は初めて違和感を覚える。少年はホテルに滞在するわけではないし、異国に旅行にきたわけでもないという事実がここまできて初めて現実味を帯びる。

 

異国に、永住するために来たのだ。

 

しかし、12歳の少年には実感がわかない。

もう日本の友達には会えないだとか、日本に家が存在しないだとか、そういった事実はただの情報として処理される。いままで日本国内での引越しすらしたことのない少年にはまだ取り巻く世界の変貌に気づく術もなく、ただただ目の前に広がる大きな河のせせらぎと、そこに浮かぶ黒鳥の夫婦に目を奪われていた。

少年の気持ちはまだ、不安や悲しみといった負の概念よりもこれからくる子犬や川釣りへの好奇心が勝っていた。

ここから学校が始まるまでは、あとおよそ1ヶ月もある。

少年はまだ、ただ異国へ遊びにきた感覚のままだった。

 


安心感は朝ベッドから起きて、まだ見慣れぬ白くて広い天井を見る度に薄れていく。

 


ある日は釣りをして、ある日は犬と散歩をして、ある日は水槽をいじった。

友達は勿論いなかった。だが、東京には存在し得なかった大自然に囲まれ、少年は一人遊びに不自由しなかった。毎日を自然と動物に囲まれて過ごした。日を追う毎に自らの趣味に没頭した。

頭の中は遊ぶことでいっぱいだった。まるで、不安を感じる暇を与えたくないかのごとく、一生懸命遊んだ。


そんな気持ちも4月の後半に差し掛かれば衰えてくる。

もう1週間で学校が始まるという時期になれば、根っからのネガティブ思考である少年の思考は不安が止まらない。


あと1週間で学校が始まってしまう。
あと1週間で日本語の通じない学校が始まってしまう。
あと1週間で友達がおらず日本語の通じない学校が始まってしまう。
あと1週間で。あと1週間で。あと1週間で。

果たして自分は英語が喋れるだろうか。
果たして自分はちゃんと自己紹介ができるのであろうか。
果たして自分は授業についていけるのであろうか。
果たして自分は友達ができるのであろうか。


考え、考え、考え、少年は自身を追い込んでいく。

追い込めば追い込むほどに怖くなった。旅行の気分などは微塵もなくなっていた。

学校が始まるまでの1週間、毎日枕を濡らした。

 

この時、少年の心にあった感情は「不安」であった。

転校や引越しの経験のなかった少年は、単純に「新しい学校」に不安を抱いていた。勿論、英語という壁に対する不安もあった。だが、少年は英語に若干の自信があった。

日本では6歳から12歳まで英会話をやっていた。

毎年、英会話学校で行われる劇の場では主役を演じていた。クラストップの英語力だった。小学生から文法についても英語学校の特別講習で学び始めていた。オーストラリアの発音に慣れるよう、ネイティブの先生と1対1での個人レッスンも積んだ。

 

小学6年生の頃には、合計で週8時間以上も英語学校に通っていたことになる。

また、小学校が休みの時期は毎年海外にも出ていた。

日本の小学生としては最高水準にまで英語教育ができていた、と少年は自負していた。

 

 


2004年4月27日、午前8時40分。

 

 

移住してからおよそ1ヶ月経ったその日。

少年の学校生活が始まった。

 

 


2004年4月27日、午前8時40分。

 

 

移住してからおよそ1ヶ月経ったその日。

少年は人生で初めて「絶望」を味わうことになる。

 

 

 

Prologue - The Light of Hope

―――

日本にいた頃、留学斡旋会社に紹介されたのはとあるカトリック系の私立で、小中高一貫校だった。

留学生を多く受け入れているこの学校なら英語のできない留学生への対応にも慣れている、そんな話をされた。

斡旋会社の計らいで、日本人生徒のいないクラスに入れてもらえるように頼んだ。日本語を全く使えない環境のほうが早く英語が上達する、そんな話を聞いたからだ。

学年は落とさずに、そのまま7年生に入ることに決めた。

もしも難しければもう一度7年生を繰り返せばいい、そんな軽い気構えでの選択。


斡旋会社を去る直前、こんなことを聞かされた。

 

「留学生は最初は皆英語が上達せず、辛い、帰りたいと言うんです。でも留学から1年が経つと急に、本当にいきなり英語が解るようになると皆が口を揃えて言ってます。だから1年間耐えれば大丈夫だよ。」

 

その言葉は心配性の少年の胸に、一本の大きな支えを築いた

―――

 

 

Chapter 1.1 - Reality

学校に車で通学するという新鮮な事実すら、何とも感じられない。感じる余裕が無い。

時間に余裕をもって学校には朝早くに到着したが、不安が最高潮に達した少年はなかなか車から降りようとはせず、母と共に20分近くを駐車場で過ごした。

だが時は無情にも流れ、時計の針は30分を示す。もう逃げ場はない。半ば追い込まれたかのように、少年は慣れない校舎に足を踏み入れる。

下駄箱はなく、青々とした芝生の茂る大きな校庭の向こうに教室のドアが並んでいた。

ついさっきまで車で涙目になっていた少年は、それでも12歳の男の子の意地か、母親に教室の前まで送られることを躊躇った。もう振り返ることは許されないそんな背水の陣、目尻を拭い、意を決して事前に聞いていた教室に入る。

 

春休み明けで一学期後半初日の教室内は元気を持て余した子供達で溢れかえっていた。

教室に一歩踏み入れると、いきなり降り注ぐ全員からの興味の視線。

壁には春休み前の授業で作ったのだろうか、生徒達のポスターが沢山飾られている。課題の内容は日本文化についてだったのだろうか、みんなのポスターには色とりどりの折り紙が貼られ異様な空気を醸し出していた。

 

本能的に怯える少年に最初に声を掛けてくれたのは、やさしそうな女性の先生だった。

「おはよう」「こっちの机よ」「私は○○先生です」

先生はゆっくり、そしてはっきりと解り易く挨拶をしてくれたが、先生の名前は聞き取れない。それでも素振りから席に案内されていることを汲み取った少年は、進められるがまま教室の右後ろの席につく。


隣りには一人の小柄なアジア人の女の子が座っていた。

「Hello」と、完璧なオージー発音で挨拶をしてきたその女の子に、少年はぎこちなく「ハロー」と返す。先生が女の子に説明をしていたが、先程とは明らかに違う英語のスピードに少年は話の内容がわからない。何が起きているのか全く理解できず混乱している少年が教室を見回していると、懐かしい音が聞こえた。


「―――日本j―――」


騒がしい教室の中で、確かに聞こえたその言葉は日本の意を成していた。

咄嗟に懐かしい響きのするほうを振り返ると、隣りに座っていた女の子が笑っていた。

「日本人なんやね!私はミカ!よろしくねっ!」

溌溂としたその光り輝く言葉は、少年が理解できる言語で錬成されていた。

 

斡旋会社には日本人のいない教室を頼んでおいたのだが、小さなミスで日本人のいる教室に入れられたらしい。依頼を間違われたのにも関わらず、少年はこの事実に心底喜んだ。

日本語が通じるという事実に喜んだのではない。コミュニケーションがとれる、理解ができる、そんな基本的なことに対しての安堵と歓喜である。


女の子に対して、自己紹介は日本語で行った。名前、小学校を卒業後東京から移住してきたこと、12歳だということ。

女の子も自身を紹介してくれた。小学6年生の中盤で大阪から留学してきたこと、13歳だということ。

「じゃぁ歳でも学校でも先輩だね」

少年が発すると、先輩という敬称に過敏なまでに喜んだ。

自分よりも頭一つ背の低かった女の子の呼び名はセンパイに決まった。

 

午前8時40分、授業が始まった。

教室の前に立たされ黒板に名前を書き自己紹介をする、そんなありきたりな転入生を想像していた少年は出鼻をくじかれる。

起立も礼もなし。先生のハーイの一言で始まる。

それまで積み上げてきた不安が一気に引いていくのを少年は感じた。

 

そうか、英語で自己紹介をしなくて済むのか。

そうか、いざとなれば日本語が通じるのか。

1ヶ月で考え付いた不安要素がどんどん取り除かれ、安心要素が増えた。

これなら大丈夫だ。少年の心がそう呟いた。

 


そして授業が本格的に始まった。

教台に立つ先生が生徒に指示を出し、勉強内容を読み上げる。

言われたとおりに教科書を出し、指定のページを開き、ノートを取り始める生徒達。

一人、少年だけが焦点の合わない目を泳がせて佇んでいた。

 

 

少年には周りの英語が言葉として聞き取れない、ただの雑音として認識されていた。

 

 

最初、少年には何が起きているのか理解できなかった。

教台の前に立つ先生が何かを発声したのは見て解ったが、発せられた音に意味はなかった。楽器の口真似に意味がないように、またはクシャミに意味がないように、発せられた音はただの音。

しかし、周りを見渡せば皆が何かしらの指示を受けている。

隣りにいるセンパイが心配したかのように小声で教えてくれる。

「数学の教科書の○○ページやって」

混乱していた少年は、この日本語で初めて状況を理解する。

 


先生は今、英語を喋っていたのか…。

 


その瞬間、教室に入る前とは比べ物にならない不安や恐怖に襲われる。

数分前に見つけた小さな安心感などは黒く塗りつぶされた。

少年が得意だった『英語』が聞き取れない。

少年が物心ついたときから習ってきた『英会話』が太刀打ちできない。

先生から発せられる奇々怪々な音を聴きながら、少年は人生で初めての絶望を堪能する。

授業はまだ始まって10秒だ。

 

気がつけば、地獄のような初日が終わっていた。

時間で言えば6時間にも満たない至極普通の小学校の一日だったが、少年には24時間以上に感じられる。しかし混乱と絶望の2色に染まった脳には、長い時間だったという感触は残っても記憶は残らなかった。唯一憶えているのは授業の終了を知らせる午後3時半のベルの音がまるで天使が奏でる祝福の演奏のように聞こえたことか。


地獄の一日目を耐えた。

授業内容はおろか、興味深々に話しかけてくるクラスメイトにすら上手く応対できなかったが、生き延びた。

 

「頑張る」だとか「挑戦する」だとか、そんな悠長なことは言ってられない世界。

 

「生き延びる」、「耐え忍ぶ」。少年にはこの二つを遂行するのが限界だった。

 

満身創痍で帰宅したその日、枕は以前にも増して濡れることになる。

 

 

Chapter 1.2 - Figuring Out

学校生活が始まった当初は周りで起きる出来事が理解できず、初日と同じ苦しみを毎日味わい続けた。

それも1ヶ月が経とうとするころには、学校生活の流れを見出し始め、当初ほど混乱することはなくなってきた。しかし依然、周りが話していることは全く解らない日々が続く。何かを訊かれても少年が発する言葉は「Yes」か「No」か「I don't know」の三種類ばかりになってしまう。


ESL(English as Secondary Language)の授業は好きだった。

英語が不自由な留学生のためにあるこの特別授業は別室で行われるため、わけの解らないクラスを抜け出せる。ESLのクラスには、自分と同等の英語力しか持ち合わせていない他の留学生数人で編成されていて、先生がゆっくり解り易く話してくれる。

小学校低学年レベルの英語の問題集を解き、正解すると先生が笑顔でお菓子をくれた。
この空間でのみ、少年はある程度のコミュニケーションを許され、若干の優越感を感じられた。


クラスでは相変わらず授業内容がわからない。

英語の授業では、毎週単語テストが行われていた。

クラスの皆は教科書に載っているような長くて難しい単語のスペルを書いていた中、
少年はクラスの先生の配慮で特別問題をテストとして解いていた。

先生がクラスのみんなに対して問題を出した後、決まって自分用の簡単な単語を出題する。全員の前で自分だけ特別扱いされ、簡単なテストを解いていることは屈辱的だった。


反面、数学の授業になると鼻が高い。日本の数学なら小学五年生で終わっているような内容を、7年生のクラスで教えていたからだ。また、数学の授業では英語ができなくても数字を扱えれば答えが出る。だから周りの生徒達が電卓を叩いている間に、少年は暗算で答えを導き出して一番で提出できた。

英語の理解力よりも数字の理解力を求められるこの授業で少年に適う生徒はいなかった。


スポーツの時間も好きだった。

身体を動かすだけで大した言葉を交わす必要のないこの時間は、少年の言葉の壁が低くなる時間だ。サッカーやバスケットボールなら日本にいたころとルールが変わらないので苦労しなかった。

クリケットラグビーのような慣れないスポーツの他、ローカルルールを含んだ鬼ごっこなどはルールを説明されても理解できず、最初は参加できなかった。

しかし、そういったスポーツの内容は人の動きを観察することですぐに理解できた。
誰かが反則行為をすれば笛が鳴るので、少し見ていれば何をしてはいけないのかが視覚的、聴覚的に解るのだ。犬のしつけと同じ要領で、少年は言葉では理解できない内容を五感で感じ取り補った。


意外にも躓きかけたのはコンピューター関連の授業だった。

日本との教育方針の違いや時代のせいだろうか、こちらの学校では小学3年生からパソコンを使った授業を行う。少年が日本で小学5年生をやっていた当時にようやくXPが発売されたような時代。無論、自身のパソコンなど持ち合わせていない。

母がパソコンをいじる姿を見ていたためキーボードでのローマ字入力は辛うじて出来る程度の技術しかなかった少年は、授業でいきなりエクセルで表を作り、パワーポイントを使ったプレゼンと作れと言われても途方に暮れるだけだった。

たいして理解も出来ぬまま、気づけばプレゼン提出日。

先生が生徒達のパワーポイントを一つずつスクリーンに映し出す。

皆BGMやアニメーションのついた面白い内容ばかりだったが、少年の名前がついたファイルだけは白紙だった。

 


そんな極端に特別な少年を、クラスの仲間達は絶対に虐めたりしない。

彼らはいつでもやさしく振舞ってくれ、少年が困っているときは自身の時間を犠牲にして尽くしてくれた。

ただ、昼休みになると少年はよく集られた。

日本から持ち込んだお菓子の類が他の生徒たちには物珍しく、また中国製のお菓子に比べて明らかに品質が良く美味しいと評判になってしまったからだ。休み時間の度に、周りの生徒達がお菓子を分けてもらおうと話しかけてきた。

断ろうにも英語で切り返せない少年は集りにうんざりしていたが、周りの生徒達の目を見て気づく。菓子をねだる子供達の目は純粋で、悪意が全く感じられない。彼等は菓子目当てに優しくしてくれたり虐めなかったりしているわけではなかった。

純粋無垢な、ただ気の向くままに行動しているような、そんな子供の目。

日本の陰湿な裏面の学校生活をある程度知っている少年は、この事実に衝撃を受けた。


友達と呼べる存在もできた。

ウィルという、同じクラスにいる韓国人留学生の男の子だ。

彼は6年生の頃に留学をしてきた、少年よりも1年ちょっとの下地があったため、ある程度の英語が話せた。ある程度、という表現が適切な英語力だったが、少年にして見れば彼は流暢な英語を喋る存在だった。

休み時間はいつもウィルと共に過ごした。弁当を多めに作ってお裾分けもよくした。

彼も、自分と一緒に行動することで様々な場面でコミュニケーションを助けてくれた。

ウィルも元々は全く英語の喋れない状態だった経験があるため、少年の理解できない部分をよく感じ取ってくれたり、少年のつたない英語も汲み取ってくれた。

センパイのようにいざというときに日本語が使えないのは若干不自由だったが、日本語に頼る甘い気持ちが出せない分だけ英語が伸びるだろうと考えるようにした。

 

留学斡旋会社で聴いた、「日本語を全く使えない環境のほうが早く英語が上達する」という言葉を信じて。


センパイといえば、この頃に少年は衝撃的な光景を目にした。

少年の学年には合計で3人の日本人がいた。少年自身と、センパイと、別のクラスにもう一人のユリだ。この別クラスの日本人も留学暦が数年を数えるような、もう英語に不自由してない子だった。

ある昼休み、ウィルと歩きながら昼飯を食べていたら、前から談笑しながら歩いてきたセンパイとユリの2人とすれ違った。

意識せずとも聞こえてしまう彼女達の会話は、英語と日本語が完全に入り混じっていたのである。同じ日本人なのに何故日本語で話さないのか、当時の少年は疑問に思い、後にセンパイに訊ねた。

センパイは軽く答える。

「そのほうが話すのが簡単やからねー」

少年は、彼女達の間には少年には理解できない何かがあることを悟った。その理論で説明できない『何か』は、不気味にオカルトチックだが魅力的に感じられた。

 

 

Chapter 1.3 - Away From Home

転入して4ヶ月が経ち、パターン化された学校生活にも慣れてきた頃、新たに試練が迫ってくる。

3週間の安息である冬休みが終わりを告げるこの時期、7年生には3泊4日の修学旅行があった。目的地はオーストラリアの首都キャンベラ。社会科の授業の一部として、国会議事堂などを訪問するものだ。実際には予定のうちの丸2日間を近くのスキー場で過ごす、遊び主体の旅行である。

スキー自体は日本で毎年やっていた少年としては、クラスで理解できない授業を受けるよりも気楽な時間を過ごせるだろう。

 


否、気楽なはずがない。

 


英語が理解できない少年にとって、唯一の心の支えは我家だった。

学校で英語に揉まれても、家に帰れば母と日本語で話し、日本食を食べ、ましてや日本のテレビ放送まで見れる環境だった。

六時間に及ぶ地獄の学校生活を終え満身創痍の心身を癒すその小さな日本は、少年にとっては地獄の中に存在する結界空間のように感じられる。

うっぷんを日本語で吐き出し、美味しい飯を食べ、涙を流せる空間だ。

 


修学旅行ではその結界が取り払われる。地獄の耐久100時間英語漬けの世界だ。

 


病欠しようとまで目論んだが、少年の母親は譲らない。

つい二ヶ月前、学校が本当に辛くて少年のストレスが最高潮に達した際に、少年の母はズル休みをしろと提案した。結果、その週の水曜日は学校をサボり、船釣りに行って一日を満喫した。

そんな母が泣きじゃくる少年の前で、今回は譲らない。

「今は怖くても頑張れ。今頑張れば次は怖くなくなる。」

そんなことを言われた。

母に断られればもう頼れる人間は周りにおらず、少年の涙の相手をするのは相変わらず萎びた枕になった。涙の数は増えても時間の流れは止まらない。

 

修学旅行初日の集合場所は学校から少し行った場所にある空港だった。

早朝六時半から親の車に乗せられ、修学旅行用に配られた白いパーカーを着た生徒達が続々と集まりだす。

オーストラリアは広い。小学生の修学旅行でも飛行機を一台貸し切っての移動になる。
そのスケールの大きさから、一週間前から涙を浮かべていた少年はそれでも当日になると少しワクワクしていた。

母が学校から配られた持ち物リストと格闘して揃えてくれた大きな荷物と弁当を持ち、見送ってくれた母にあっさりと別れを告げて生徒達の中にいる友人ウィルの元へと溶け込んだ。

 

飛行機は無事に離陸し、着実に少年と家との距離を離していく。

 

修学旅行初日は国会議事堂を訪れた。首都とは名ばかりで、キャンベラという土地はいよいよ田舎で周りには何もない環境だった。元々、6つの州をまとめて国家を作る際にシドニーメルボルンで揉めた結果、間の荒野に設置した首都。

国会議事堂の隣りにあるブッシュには野生のカンガルーが跳ねていた。

日本の首都東京からきた少年には理解し難い光景でしかないが、そんな場所で生徒達は昼食を取る。少年が弁当箱を開けると、中には母が朝早くから上げてくれたカツサンドが入っていた。

何故かこれを食べてしまったらもう母と会えなくなると錯覚してしまい、一瞬食べることを躊躇った。これで母の作る日本食は数日間食べ収めだ。

昼食のあとには旧国会議事堂の中に入っての見学だったが、ただでさえ政治に興味がなく、さらに英語が聞き取れない少年は説明を聞かずに思いっきり居眠りをして過ごす。

気づいたときにはバスに揺られ、近くのモーテルに移動していた。

部屋割りは公平を持して先生達がクジを使って勝手に6人一部屋に配分されるが、担任は少年のため、秘密裏に部屋割りをウィルと一緒にしておいてくれた。

勿論男女の部屋割りは別になるためセンパイは近くに居ない。もう日本語を話せる相手は一人もいない。

 

過剰なストレスを軽減する際に、睡眠と食事の担う役割は大きいとされている。戦場における兵士のストレス軽減のため、軍用携帯食料には様々なバリエーションを施し栄養だけではなく嗜好品としての味を重視するほどだ。

英語に囲まれた環境の中で、少年は満足に美味しい食事もとれずにいた。

周りのオージー達が美味しそうに食すその夕飯は、ガリガリに焼いたステーキと茹野菜だけ。普段から白米と醤油を食べなれている少年にはあまりにも量が少なく味気ない食事になった。

夜中は生徒全員で集まってレクリエーションが行われたが、食事後2時間ですでに空腹を覚える少年にはもはや楽しむどころか何が行われているのかを判断する気力も残っていない。疲労困憊の身体を割り当てられたベッドに埋めるも、慣れない空気と周りの寝息に気を取られ脳は一向に活動を休止しようとはしなかった。

二段ベッドの天井を眺めつつ、少年は頭の中でひたすら繰り返す。

 

25%は終わった。
もう旅行の25%は終わったんだ。
残りは四分の三だけだ。
これを入れて後3回寝るだけでいいんだ。

遅刻してきた睡魔に襲われたのはそんなことを1時間も考え続けたころだっただろうか。

夢の中では日本語が通じる。

 

大して眠れもしないまま、朝の6時半に起床。

朝食はまたしても食べなれぬコーンフレークと4L入りの牛乳が並ぶ食堂。二日目にしてすでに辟易としていた少年は、それでも昨日から引きずる空腹感からか大量の牛乳を流し込んだ。コーンフレークは腹持ちが悪く、1時間後には腹が減る。

 

二日目の予定も大したことはなかった。

前日が旧国会議事堂だったのに対して、この日は新国会議事堂の見学だ。なぜこんな田舎で国会議事堂を建て直す必要があったのか、と単純にして鋭い疑問を抱きつつも、少年は昨夜の寝不足を補うことに全力を注いだ。

議員の人なのかただの管理人なのか、色々と施設やオーストラリアの衆議院参議院について語っていた。この場で学んだことは後にレポートにまとめて提出しなければならないのだが、事前にあった課題の説明を理解できていなかった少年はレポートの存在をまだ知らない。


ひたすらつまらない話を聴き流す一日を過ごしていたら、いつの間にか少年の一日が終わった。相変わらず夕食は食えた物ではなかったが、この日の夜はいくらか気が楽になっていた。

もう半分が終わったんだ。

いままで耐えてきた分を耐え抜けば、それで終わりになるんだ。

昨晩よりも安心感が生まれたせいか、ある程度容易に眠りに落ちることができた。


三日目は一日中ゲレンデに出てスキーの日であった。

バスでスキー場に移動すると、一斉に生徒達が一面の雪景色の中に飛び出していく。皆がビーチの砂浜の如く素手で雪を触り、その冷たさにビックリしているのを見て、少年は疎遠感を覚える。

スキー自体は楽しかったが、上級者コースに出させてもらえないので物足りない。

 

ふと歩みを止めて近くの林を見ると、先生と生徒が集まって何やら雪合戦が始まっていた。生徒チームに呼ばれ、少年はスキーを脱ぎ戦争に参加する。

先生相手に雪球を投げることに最初は躊躇っていた少年は、開幕から一人の男性の先生から剛速球を顔面に受けた。野球のピッチャーのごとく振りかぶって放たれたその雪球は少年の顔に軽く痣を生み出さんばかりの威力があったが、少年はこの時、修学旅行に参加して初めて満面の笑顔を見せた。

それは子供のようにはしゃぎ、本気で雪合戦をしている先生達の馬鹿馬鹿しさに何かが吹っ切れた瞬間だった。

30分にも及んだ大戦争は最終的に生徒連合軍の数が男女総合70人を越え、数人の先生を雪に埋め捕虜に取ったところで少年達の勝利となった。生徒にも先生にも、背中には痛々しい痣が点々と残っていた。


その日の夜は遊び疲れたこともあり、少年は横になった瞬間に眠りに落ちることができた。

今夜が過ぎれば帰宅できる。

もう24時間もしないで家に帰れる。

そんな気持ちの中、あの無邪気に雪球を投げつける皆との時間が終わってしまうのが少しだけ名残惜しかった。


四日目。昨晩早く寝れた少年は早朝起床ももう辛くない。

最終日も午前中はスキー場に出て遊んだ後、午後に飛行機に乗って帰宅する。

少年は最早初級者ゲレンデしかないスキーなどどうでもよくなっていた。アドレナリンが四六時中出ているような子供達は、到着と共に雪合戦を開始する。

途中でまたしても参加してきた先生達は大人気なく作戦会議を行ってきたらしい。統率が取れており、雪球精製係と前線係の役割分担が成されている相手に生徒達はボコボコにされた。みんなのスキー板は地面に突き刺され、ただの盾と化す。


倒れるまで遊び倒した少年が帰路の飛行機でも爆睡していると、いつの間にか学校付近の空港に到着していた。両手にお土産用の2つのマグカップを抱え空港の前で待っていると、すぐに少年の母親が見慣れた車で迎えにきてくれた。

出発時に暗い表情をしていた少年は嬉々として、楽しかった雪合戦を土産話に家に帰る。

 

食卓には光り輝く白米と焼魚が並んでいた。

 

 

Chapter 1.4 - Absorbing Knowledge

7年生、2学期も終盤に差し掛かってくる。

少年の学校生活が始まってすでに半年が過ぎようとしているこの時期になっても、少年の英語力は離陸時と変わらずいつ墜落してもおかしくない様な危なっかしい低空飛行を続けていた。


この時点での少年の英語力は決して褒められるものではなかった。

とにかく生き延びることに必死だった少年は毎日に精一杯だったため、ろくに英語の勉強が出来ない。

否、実際にやろうと思えば勉強をする猶予はたくさんあった。

だが、小学校時代に周りの子供達が皆一様に塾に通いつめている間、のうのうと虫網や釣竿を片手に自転車を漕いでいたような少年には長時間の校外勉強は苦以外の何物でもなく、はち切れんばかりのストレスを暴発させるファクターにしか成り得ない状況だった。

小学校にいた頃、宿題さえやっていれば全科目で90点以上が取れていた少年は、まだ勉強のやり方を理解していなかったのだ。

 

家庭教師はつけていた。火曜日と木曜日の週二回、どちらも二時間ずつだ。

講師はサーフィンが大好きな典型的オーストラリア人の若い男性だった。彼は近所の公立小学校の教師であり、学校が終わると帰宅前に少年の自宅に訪れ、英語の勉強をする。教材は主にこの家庭教師が自身の小学校から持ち出してきた英語の問題集だ。

小学校低学年レベルの問題集でも、中学英語を学んだ経験のない少年は単語や文法で四苦八苦する。まず動詞の現在進行形、過去形、未来形から学ばないといけない、そんなレベルであった。

また、この時の少年は「現在進行形」という言葉の意味は解っていない。英文法は数学と違い例外が発生しすぎるので、理論として覚えていなかったからだ。

この時点での少年の英語力は、文法で言えば日本の中学1年生と大差ない状態だったであろう。単語量はさすがに中学1年生よりかは多かったかもしれないが、日本の暗記式勉強法と比べると中学二年生よりも語彙すら少なかったかもしれない。

 

家庭教師は彼の持ち込んできた英語の問題集よりも、実際には少年の学校から出た宿題の手伝いをさせていた割合のほうが多かった。毎日出される宿題を家庭教師に読ませ、意味を細かく砕いてもらい説明を受ける。

少年がある程度理解したら自分の考える「答えの断片」を説明し、その断片を元に家庭教師に答えを書かせていた。少年自身が英語を書くと筆速が遅すぎて時給がもったいない。

少年の宿題は金で雇った他人に丸投げ状態の日々が続いた。


家庭教師からも宿題を出された。三行日記だ。

毎日の出来事を英文で3行、ノートに書き込むというもの。

これを次に家庭教師が来た際に見せ、文法や表現方法を添削してもらうという形の勉強方法だった。この宿題は少年が英語の「いろは」を理解するのに大きく貢献した。

「副詞は動詞の他にも形容詞や他の副詞を修飾し―――」などと説明をされるよりも、実際に文章内でどういう風に使われるのかを少年自身が書いてみて理解する。

実際に少年が体験した興味のある事柄についての英文を書き、英文法をどう間違って理解しているのかを添削の過程で知ったほうが効率よく英語という謎は解けていくのだ。少年は日本で学んできた「勉学用英語」から、「実践英語の勉強」へとシフトチェンジしていく。

 

 

大変なのは家庭教師が訪れない日や、時間が足りなくて終わらなかった分の宿題だ。ろくに英文も書けないし、そもそも宿題の問う内容が理解出来なかった少年には手も足も出ない。

そこで頼ったのがパソコンの翻訳機だった。

宿題の内容が書かれている英文を和訳機に打ち込み、おおよその宿題内容を日本語で把握する。そこから、ほとんど聞き取れていないその日の授業内容の断片と照らし合わせて、さらに宿題の解読をより正しい方向に導いた。

内容を理解したら、今度は答えを日本語で考え、日本語の文章を作成する。

この文章を英訳機に再度打ち込み英文を作成し、少年や母親でも気づけるような誤訳を直す。出来上がった英文は再度和訳してみて意味が離れていないかを確認し、間違っていれば元の日本文を修復して英訳の繰り返し。

こうして得た英文を宿題の答案として書き出して提出していた。

こうでもしないと、ゼロから英文を作成するのには無理がある英語力であったし、当時の少年にしてみれば膨大な量の宿題の英文を全て自身で考えるのには不可能だったのだ。

先生は少年が英語に不自由しているのを承認しているので、翻訳機で作ったでたらめな英文でも許容してくれた。

 

また、皮肉にも少年にとってこの翻訳機と格闘することは日本語の勉強も兼ねていた。

誤訳が出るたびに元の日本語の表現を変え、同じ意味でも違う日文法を使わなければならなかったからだ。元が出版関連の仕事だった母親はこうした日本語の編集については屈指の腕だったので、少年は何故か英文を作る過程でプロの編集者に指導を受けながら日本文の書き方を学んでいたのである。

 

同じ時期、少年の日本語力はさらに別の部分から上達していくことになる。

当時、英語を話せない少年はとにかく理解のできる言語を欲していた。日本にいた当初はつまらなかったNHK番組も、移住して唯一映る日本語番組となった途端に観るようになった。

これにより、ニュースで読み上げられる小難しい単語の数々を無意識のうちに吸収していくことになる。

また、母の仕事の関係上、少年の家には日本から持ち込んだ沢山の本がおいてあった。
英文を見るのもうんざりだった少年は母の書斎に潜り込み、日本語の活字を読み漁るようになっていく。

最初に12歳の少年を魅了したのは村上龍の小説であり、やがて椎名誠のセンスにのめり込んだ。気に入った小説は何十回も読み直し、英語が理解できず刺激を欲していた少年の海馬はこうした本の活字を勢いよく吸収していった。

 


書斎で見つけた本の一つに「チェス入門書」があった。

チェスは欧州で一番人気のあるボードゲームだから機会があればと、母が移住前に購入していたらしい。元々、父親に教わってある程度の将棋を指せた少年はこの入門書を興味本位で読み、駒の動き、価値、おおよその戦略等をごく短時間で理解した。

理解はしたものの、その知識は特に利用されることもなく暴走状態の海馬が勝手に保存した。


ある日、母親同士が出会うことでできた日本人留学生の友人の家に遊びに行く機会があった。その友人がチェスの学校に通っているという話を聞いた少年は、友人の家にあったチェス盤で実際に勝負をしてみることになる。

入門書を軽く読み流しただけの少年は、この人生初のチェス勝負で三戦三勝を達成し、勢いづく。薦められるがままに友人の通っていたチェス学校に少年も入ってみることになり、入学初日の戦いぶりから先生に初級クラスを飛ばして中級クラスに入れと言われた。

チェスは日本の将棋のようなイメージとはかなり異なるゲームだ。

とてもメジャーなボードゲームであり、欧州では知らない人はいない。

論理的思考で戦うこのゲームに強い人は、頭の良い人という認識があり尊敬もされる。また、チェスは非常に頭を使い疲れる「スポーツ」として認知されている。実際に学校の体育に行うスポーツの選択肢の一つはチェスなのだ。


そんなチェスに少年は嵌る。

学校での部活もチェス部、休み時間も図書室に赴いてはチェスを指す日々になるのに時間はかからなかった。

卓上で舞う駒達に英語の命令はいらない。

必要なのは思考力と己の戦略、相手の動きの把握能力だけだ。

チェスを指している少年に英語の壁は存在しない。

 

 

気づけば暦は2004年11月。

家庭教師と自動翻訳機に宿題を丸投げし、本を読み漁りながらチェスを指していた少年は、気づかぬうちに終業を迎えた。

少年には7年生に何をしたのか、記憶があまり残っていなかった。

未だに聞き取れない英語の世界で周りの出来事が理解できなかった少年は、まるで時間だけが少年を取り残して進んでしまったかのような、未来にタイムスリップした気分でもあった。

7年生はオーストラリアの小学校の最高学年であり、卒業式があった。

日本の卒業証書授与みたいな儀式を想像していた少年は、西洋風のパーティのような卒業式に驚いた。いつもクラスにいた皆が母親に施された化粧やドレス、スーツを纏って踊っているのは果たして卒業式なのか。少年が日本の卒業式で使ったスーツは、かなりきつかったが何とか着る事ができた。

 

卒業式の日、友人ウィルが本国に帰ると本人の口から聞かされた。ホームステイで留学していた彼は、留学生活に疲れたのか、本国から呼び戻されたのだろうか。少年は7年生の時のほぼ全てを支えてくれたウィルに、つたない言葉で命一杯感謝の気持ちを伝えた。

 

学校という荒波にもまれ続けた少年に、ようやく安らぎの3ヶ月、夏休みが到来する。

 

 

Chapter 1.5 - Loneliness

7年生終了後の夏休み、少年は思いっきり遊んで暮らした。数週間は日本に一時帰国もした。駅に溢れる、全体的に背の低い黒髪の群れが異様な光景に感じた少年は、これでも白人の世界に少しずつ慣れて来たのだなと感じることになる。

コンビニに入りおでんと肉まんを食べる。寿司屋に入りマグロを食す。初詣に赴き出店をまわる。やはり少年の足を真っ先に動かすのは食欲だったことは言うまでもないだろうか。

この黒髪の溢れる世界では、言葉を武器に少年は一人でどこまでも行けた。


オーストラリアに戻ってきても、勉強の類はほとんどせずに日々を過ごした。

一人のときは釣りに行き、山に赴き、虫を追いかけ野を駆けた。数少ない友人は皆一様に日本人留学生だ。プールに海に公園に。全員が少年より年下だったため、13歳の少年が保護者代わりによく使われた。

子供は遊ぶのが仕事だと言わんばかりに3ヶ月を遊び倒し、積み上げてきたストレスは全て吹き飛んだ。

 

2月、少年は中学生になった。

8年生が通うのはハイスクール。校舎が今までの場所から少し離れた場所に変わった。自分達よりも学年が上の生徒達に囲まれた、慣れない新生活が始まる。

学校が始まるのは憂鬱だった。やはり枕は濡れる日々が続く。少年はまだ英語が解らない。結局、学校嫌いは7年生時と同じだった。だが、新生活に対する不安はあまり感じられなかった。

この時、少年はすでに人生を振り返ることができるようになっている。

「7年生の転入時に比べれば8年生の新生活なんて大したことはない」

新しいクラスや校舎は不安でも、もっと大きくて酷似した壁を乗り越えてきた少年はもう怖気づかない。

 

新しい校舎やクラスよりも怖かったのはスクールバスだ。

8年生になった頃、今まで車通学だった少年はスクールバス通学に切り替えた。7年生時には精神面を重視して車での送迎だったが、8年生になって学校に慣れてくれば大丈夫であろう、そう判断した母親に言いくるめられた。毎日の自家用車による送迎は、燃費が馬鹿にならないし母親の生活リズムを大幅に制限していたからだ。母親の苦労面を聞かされた少年に断る術はなかった。

1学期初日の朝、少年は家の前に位置する道路でスクールバスを待つ。

一体バスの中はどんな状態なのだろうか、知ってる生徒はいるだろうか、席はどこに座ればいいのか。様々な不安要素が相変わらず涙目な少年の頭を駆け巡るが、答えてくれる人は誰もいない。

8時をちょっと過ぎた頃、大きく少年の学校の紋章が描かれたバスが道を曲がって近づいてきた。50人掛けくらいの、わりと大きなバスが道路に横付けにされる。

ドアが開き、下腹がこれでもかと太ったおっちゃんドライバーが手招きするバスの中に少年は一歩踏み出した。心配そうな母親を残して、急ぎ足でバスが発進する。

少年の地域は比較的早朝組だったらしく、席にはまだまだ空きが沢山あった。よかった、どうやら見知らぬ誰かの隣りの席を譲ってもらう必要は無いらしい、などと安心していた少年は、バスの最後部に座っていた生徒に声を掛けられる。

見れば7年生の時に一緒のクラスにいた気の良いオージーの男子が手招きしているではないか。知ってる人間もバスに乗り合わせていたことに更なる安堵の表情を浮かべ、少年は友人の隣りの席に移動した。

スクールバスは陽気な連中の集まりだった。皆がやりたい放題に朝の元気をぶちまける。ある奴は早弁し、ある奴は隣りを走るトラックの運ちゃんに手を振り、ある奴は喋り、ある奴は寝ていた。そこには性別も学年の壁もない。9年生が12年生相手に紙球をぶつけ合っている。文化の違いを少年は体感する。

 

ハイスクールの仲間入りである8年生からは、授業も科目別に教室を移動するようになる。7年生時には総合科目として一つのクラスで行っていた授業も、この年からはホームルームや科目別に教室やクラスメイトが変わってくる。

ホームルームに知ってる顔はなかった。センパイとも離れ、ウィルは去年本国に帰国してしまった。数学と理科のクラスにも知っている顔はほとんどない。体育も同様だった。何故か適当に振り分けられていた選択科目のクラスにも、7年生の頃から親しんでた奴は一人もいなかった。

 

大して不安を感じていなかった少年の顔から血の気が引いていく。

気づいたとき、少年は孤立していた。

 

7年生の頃、少年は言葉の壁が大きくて友達を作らなかった。

クラスメイト達とは仲良くやっていた。皆の輪に入ることは問題なかった。ただし、それはあくまでクラス全体の行事などの社交的場面に限られていた。実際に友達と呼べる仲にあったのは、毎日休み時間を一緒に過ごしていたウィルくらいだったのだ。

7年生の担任は少年の世話役も兼ねてよくウィルと少年を二人一組で行動させていた。結果、少年はウィル以外の人間に近づく機会が少なかったのだ。

そのウィルは今は韓国の空の下だろう。少年は、自分一人を残していったウィルを理不尽に呪った。


無駄に呪ったところで少年が一人だという事実は変わらない。

留学生と友達になるリスク、これを少年は痛感した。

 

孤立した少年は、昼休みの時間を潰すために自宅から本を持ち込むようになった。英文を読みたくなかったので教科書などは使えない。もっていくのは日本語の小説だった。

 

そんな孤立した少年を拾ったのはとあるグループだった。

昼休み、遊ぶ相手もいなかった少年が本を読んでいると誰かが声をかけてきた。まだ7年生の頃と同様、全く英語が聞き取れない状態の少年が聴き逃さなかったそれは、紛れもなく日本語であった。

見ると年上のアジア人の男子生徒が1人、少年の本を覗き込んでいたのだ。

「よう、お前その年で椎名誠読むんか!ええ趣味しとるの」

気の軽いおっさん口調でそういった男子生徒は、12年生用のブレザーをしっかりと着こなし、口調とは間逆のどこか育ちの良い雰囲気を醸し出していた。

元々人気のない花壇に座り込んで読書をしていた少年を、この青年は自身のグループに連れ込んだ。全員が12年生の、留学生中心のグループだった。青年を含めて日本人が2人、他にも韓国や中国からの留学生が数人。背が160cmしかないようなどこか変な空気を纏うオージーと、170cm以上あるであろう金髪の彼女。

不思議なグループはそれでも湧いて出た一人の8年生を歓迎してくれた。

 

少年はそれ以来、この不思議グループと共に昼休みを共にした。

周りにいる友達は皆一様に同年齢か年下だったので、兄貴分達が集まるこのグループが好きだった。また、二人いる日本人はどちらも男であり、少年はすぐに懐いた。

椎名誠の小説を貸し借りもした。日本語の本は両者にとって貴重な物だった。

先輩達は毎日くだらない昼休みを過ごしていた。誰かがジョークを言い、誰かが肩パンを喰らわせ、他がその滑稽な姿を笑う日々だった。

少年はちょっと「大人」な世界に浸るだけで満足だった。いや、本当は日本語が喋れる空間で満足していたのかもしれない。孤立しなくて済む空間に満足していたのかもしれない。

 

この時の少年はまだ気づかない。

いつまでもこのグループに居座っているのは、問題を先送りにしているに過ぎないということを。

日本語ばかりを喋る昼休みを過ごしては英語の勉強にならないことに気づかない。

もうすぐ卒業してしまう12年生達との関係だけを作ってはいけないことに気づかない。

 

気づかないのではなく、気づかないフリをしていただけだった。

この当時、少年は自分から壁にぶつかっていくことが怖かった。

それは、まだ英語の壁を破ることができていない少年の焦りと苦しみの表れだったのかもしれない。

8年生生活は始まったばかりだ。

自分に甘い少年は、初手から大きく躓いたことに気づこうとはしない。

 

 

Chapter 1.6 - Collapse

少年の通っていた地域の学校では毎年、計4回のチェス交流戦が行われる。その初戦が、学校が始まってすぐの時期にあった。友達もおらず校内をうろつく日々を送っていた少年に、ある日この試合の出場メンバーになってみないかと誘いが入った。

交流試合はウェブ上や地域新聞にも掲載され、生徒達のチェスにおけるレートも上下する立派な公式戦だ。また、チェスが上手い学校は頭の良い学校という印象を受け易いからか、出場する学校も本気になる。

出場者となった少年は大会当日の水曜日、早朝の学校からスクールバスに揺られて一つ隣りにある初戦の開催校へと赴いた。平日の水曜日なので、当然出場する選手達は通常授業は免除になる。正式に学校をサボれ、出席扱いになるこの日だけは学校に行くのが楽しみに感じられた。

チェスの大会は四人一組の団体戦だ。

四人のチームが相手の四人とチェスで勝負し、チーム内の勝者数で成績を競う。一人がゲームに勝てば1点入り、4人全員が勝てば4点入る。引き分けなら0.5点で、負けは0点だ。これを8試合行い、最終的に最も点数の高かったチームが優勝となる。また、8試合全体の個人戦績も表彰の対象になる仕組みだ。8試合のうち、個人で最も多くの点数を獲得したものが個人戦の優勝となる。

この大会の過酷な部分は連続で8試合を戦い抜く必要があることだ。持ち時間が10分の大会とはいえ、朝から夕方までチェスを指し続けるのに求められる集中力は計り知れない。

 

しかし少年は嬉々として善戦する。

そこは言葉の壁の存在しない世界だった。

単純なロジックで固められた世界。ならば少年にハンデはない。持ち前の、チェスの教室で学んできた論理的思考と集中力だけを武器に、相手校を蹴散らしていく。僅かな休憩時間にはチョコレートとジュースを流し込み、失われた糖分を取り戻す作業。そしてまた次戦へとなだれ込む。

少年の得意とする戦法は守備重視の泥沼長期戦で、駒一つの差でも圧倒的戦力差となり得る戦況を作り出す方式だった。チェスでは終盤戦になると必然的に駒数が減るので、1駒落ちは敗戦に直結するのだ。

自分の持ち時間を減らさず、また盤上の駒数で不利にならないように気を配りつつ、消耗戦へと相手を誘う。よって少年の打つチェスはあまり攻めない。防戦を重視することで、手数を稼ぎ時間を削る。長期戦になればなるほど相手の持ち時間に余裕はなくなる。すると相手は時間に追われ焦りを見せ、集中力が途切れた結果悪手を指す。そこを狙い打ち、駒数で優位に立つのを得意とする打ち方だった。

チェス教室に通っているので時間制限戦に慣れていた少年にとって、一番優位になり得る戦況を作り出す。チェスに必要な論理は盤上だけではなく、周りの空気も含まれることに少年は気づいていた。

 

気づけば午後3時。8試合全てが終了していた。

少年は7勝1引き分け。負けなしの十分すぎる成績で個人戦3位を獲得した。また、少年の成績とチーム全体の勝率の高さから、団体戦で少年のチームが一位を獲得する大勝利となった。チームメイト達と共に壇上に上がり、金メダルを貰った。チーム内で唯一、少年は個人戦でも壇上に上がり銅メダルも授与される。

学校の先生がカメラを片手に少年達のチームを呼んだ。

少年は、久しぶりの笑顔で二つのメダルを両手に持ち、写真におさまった。

 

後日、この写真は校内新聞の一面に掲載された。

学校側としてもチェスの交流戦で優勝という事実は、保護者に学校をアピールする良い材料だったのだろう。そこには勿論、二つのメダルを掲げた少年の誇らしげな笑顔と名前が載っていた。初めて、校内に認められたような気がした少年は心の中で狂喜乱舞していた。

 

 

喜びは何故、長続きしないものなのであろうか。

 


チェスの大会も終わってすぐ、ESLの授業が始まった。

学校側のミスで、少年は何故か8年生の初期は選択科目の一部であるESLのクラスに入っていなかったのだ。勿論、まだろくに英語を聞き取れないような少年はESLを免除できる英語力には達していない。何かがおかしいと思って学校側に訊ねたところ、急遽すでに授業を開始していたESLに入れられた。

 

7年生時、少年はESLの時間が好きだった。少数しかいない生徒は英語のレベル別に分かれていたので、少年のクラスには同等の英語しか喋れない生徒達2~3人だけで構成されていた。英語の壁を抱えていようとも、周りに同じ高さの壁が存在していれば自分一人が阻まれる世界ではない。同レベルの英語力同士、カタコトで会話するのが当たり前の空気だった。ESLの先生も優しかった。いつでも誉めてくれ、お菓子をくれた。

だからESLは好きだった。そこは拙い英語を許容してくれる空間だった。

 

8年生のESLに入ると、この空気が一変する。

 

まず、ESLにいるクラスメイト達が変わった。

7年生の頃、ESLは同じ英語力の生徒を、学年関係なく集めて授業を行っていた。しかし今回は違う。8年生の留学生が一つのクラスに集まって勉強をしていた。6人ほどの生徒数。

同じESLのクラスにはセンパイもいた。

少年には訳が解らなかった。少年にとってセンパイは物凄く流暢な英語を使う存在だったからだ。実際は違う。センパイだって留学歴2年ちょっとの、英語が「苦手」な留学生だ。

しかし少年は困惑する。センパイが「苦手」レベルなら自分はどうなってしまうのか。

 

ESLの先生もタイプが大きく異なっていた。

7年生の頃の先生は「アメ」を使った教育だったのに対して、8年生のESLの先生は「ムチ」を使ってきた。初めてESL編入してきてすぐ、「なぜもっと早く間違いに気づいて編入してこなかったんだ」と怒られた少年は、早々にこの先生が従来の教育方針と違う向きをむいていることに気づく。

学校側のミスなのにも関わらず理不尽に怒られた少年には、言い返せる英語力がなかった。

 

先生は少年の気にしていた部分を容赦なくえぐり返してくる。

ESLの授業とは思えないほど早口で話す先生に、少年は全くついていけない。

難しい単語が多く取り込まれた教材に、少年は全くついていけない。

とても数時間では終わらせられない量の宿題に、少年は全くついていけない。

 

先生の話が理解できない度に、大声で怒鳴られた。何度も何度も電子辞書を開き解らない単語を調べる度に、そんなのも解らないのかと馬鹿にされた。時間に追われ文法が厳かになった宿題を見せる度に、こんなものを提出するなとたたき返された。

 

終いに、少年は先生にこういい捨てられる。

 

「なんで貴方はもう11ヶ月も学校に通っているのにそんな英語しかできないの?」

 

少年が一番気にしている部分だった。

 

時期はもう3月に入っていた。1学期の前半も終わろうという時期だ。

少年が学校生活を始めたのは前年の4月。もう留学から11ヶ月が経とうとしていた。

なのに、一向に英語が聞き取れない。

授業についていけない。だから文法も進歩しなければ宿題にも時間がかかる。

 

ずっと気にしていた。ずっと焦っていた。

でも、こればかりは自分でどうにかできることではなかったのだ。

それを、まるで少年が悪いとばかりに嫌味をいう口調で、先生は言った。

 

11ヶ月目なのに、なんでこんな英語力なの?と。

 

教室で泣いたのは初めてだったかもしれない。

これでも一人の男子、人前で涙を見せるのには躊躇する。しかし、この一言に少年の涙腺は耐えられなかった。授業終了と共に教室を飛び出した。センパイが心配そうについてきてくれた。どこまでも一直線に優しかった。

 

少年はほぼ毎日行われるESLでの集中砲火に、それでも一つの希望の柱にすがって耐え続けた。

その希望は、今は遠く感じられる留学斡旋会社の人が言っていた言葉だった。

 

―――留学生は最初は皆英語が上達せず、辛い、帰りたいと言うんです。でも留学から1年が経つと急に、本当にいきなり英語が解るようになると皆が口を揃えて言ってます。だから1年間耐えれば大丈夫だよ―――

 

そうだ。きっとそうだ。

自分だっていつかきっと、いきなり英語が解るようになるんだ。

耐えるんだ、きっと「その時」はくるんだ。

絶対にくるんだ、だから今は耐えるしかないんだ。

 

少年は耐えた。耐え続けた。

耐えているうちに春休みが来た。やがて4月も中盤にさしかかった。

 

時の流れは空気を読まずに流れ続けた。

春休みが終わり、一学期の後半が始まった。

ESL授業も再開し、相変わらず先生の矛先は少年に向いていた。

それでも少年は待った。「その時」がくるのを待ち続け、耐え忍んだ。

 

 

 

2005年 4月27日 23時59分。

苦痛に耐え、少年は「その時」はまだかと待ち続ける。

 

ふと時計を見ると、長針短針両者が12を指した。

2005年 4月28日 午前0時0分。

 

 

 

それまで耐え続けてきた少年の心の中で、ポキリと何かの折れる音がした。

希望の柱が崩壊してゆく。

 

 

 

2005年 4月28日 午前0時0分。

留学が始まって、1年と1日が経った。

 

―――でも留学から1年が経つと急に、本当にいきなり英語が解るようになると皆が口を揃えて言ってます。だから1年間耐えれば大丈夫だよ―――

 

少年は一年耐え、ついに「その時」は訪れなかった。

魔法だって何だっていい。最後の一秒にまで望みを託したが、訪れなかった。

何も進歩しないまま、1年と1日は過ぎてしまった。

 

 

最後の支えを失った少年は母に縋り、そして泣き崩れた。

 

「1年耐えれば大丈夫だって言ってたんだ。だから1年間耐えたんだ。1年経てば、いきなり英語が解るようになるんだよ、皆そうだったんだよ、って言ってたんだ。だから待ってたんだ。魔法でも何でもいいから待ってたんだ。でも、1年が経ってしまったよ・・・もう1年が終わってしまったのに何も変わらないよ・・・」

 

嗚咽と共に口にした少年の言葉には、1年間積み重ねてきた不安とストレスが凝縮されていた。

 

少年の心には、もう支えも希望も残されていない。

 

 

Chapter 1.7 - And "It" Flames

「…もう1年が終わってしまったのに何も変わらないよ…」

少年は最初の1年間を凌げば急に英語力が伸びるという言葉を支えに、今までを耐えてきた。

その支えが、1年と1日が経った2005年4月28日、ついに崩落する。

 

この1年間、少年は何度も逃げようとした。

地獄のような日々を一年間耐え続ける精神力は、少年には残されていなかった。しかし、逃げようにも逃げられない環境だった。学校から逃げ出したとして、少年はどうすればいいのか。

根っからのネガティブ思考で未来の不安要素を出来る限り取り除こうとする性格だったからこそ、登校拒否や引き篭もりにはなれなかった。そうした選択肢で学校から逃げても、近未来ではもっと悲惨な状況が訪れるのは目に見えていたからだ。

日本にも帰れない。もう母国には学校の席はおろか、家すら残されていなかった。少年は逃げたかったが、母親が移住前に大きな博打を打ち、物理的に逃げ道をふさいでおいたのだ。

 

四面楚歌。そんな地獄に唯一垂れていた蜘蛛の糸。それが留学斡旋会社で聴いた言葉だったのだ。

―――でも留学から1年が経つと急に、本当にいきなり英語が解るようになると皆が口を揃えて言ってます。だから1年間耐えれば大丈夫だよ―――

地獄から脱出するための唯一の道であったこの蜘蛛の糸も、時間によって切られた。一瞬見えた希望の光が唐突に消えたそこは、依然よりも真っ暗な地獄に感じられる。

 

日本の全てを引き払い、決死の思いで留学を遂行した母親がここでついに折れた。独断で留学を決行し、その結果で息子を地獄に突き落としてしまったことを、母親は誰よりも悔い、責めた。

しかし、それでも母親は気持ちを外に出さない。少年にとって、最後の最後に縋っていられる母親自身が泣き言を言えば、今度こそ少年から全てを奪ってしまう。

 

だから少年の母親は静かに言った。

自分の判断や行動を全否定しても尚、少年に一つの支えを与えられるであろう言葉を発した。

 

「わかった、もう終わりにしよう。日本に帰ろう。」

 

日本で仕事を辞め、家を売り、異国で家と犬を買い、荷物を全て運び入れ、子供を現地の学校に通わせる。全ては後腐れなく前進するために、自ら背水の陣を作り出すための行動だった。これを全て撤回する。そんな無謀な決断を、それでも少年の母親は一言で言い切った。

 

ただし、と母親が付け加える。

最後の最後に、一世一代の大博打をうつ。

 

「あと半年だ。あと半年だけ頑張ってみろ。あと半年やってみて、それでも駄目ならば、その時点で即行日本に帰国しよう。今ならまだ間に合う。今帰ればお前はまだ中学二年だ。中学三年生の1年間があれば高校受験にも間に合う。だから安心しろ。安心して、あと半年だけやってみろ。」

 

迷いのない口調だった。理も適っていた。帰っても高校受験に間に合う、そう付け加えたのは少年の心配性を先読みしての言葉だった。

日本に帰るという選択肢は間に合うから、だからあと半年だけ挑戦しろ。

次の半年間、気を楽に持ち、安心しながら過ごせ。

 

少年の真っ暗な心に、新たな蜘蛛の糸が降りてきた。

母親の言葉の意味は、少年の中では変換されて響き渡っていた。

 

『あと半年で日本に帰れるんだ』

 

少年の中で何かが吹っ切れた。

学校に通うことは相変わらず嫌だったし、英語の授業は分からない。でも、あと数ヶ月通えば日本に帰る切符が手に入るんだ。

友達だっていないかった。でも、どうせすぐに日本に帰れるんだから関係ない。

ESLの先生には怒られ続けた。でも、日本の中学生と比べれば英語力だって上の上だから関係ない。

 

それでも少年は自暴自棄にはならなかった。授業内容が聞き取れずとも、教科書とにらみ合い勉強はちゃんとこなした。日本に帰国したら自分には1年しか受験に備える猶予がない。少年は帰国を視野に入れても勉強は破棄できない、そう考えて手を止めなかった。

一方で、少年の母親もこの急展開に新たに動き出していた。日本に帰国する際の手続きや学校、高校受験などの、今まで考えもしなかった事柄について勉強していた。二人は着実に、日本帰国への道のりを歩みだしていた。

もう5月も後半だ。日本帰国まであと5ヶ月を切ろうとしている。

 

 

 

「その時」は全くその予兆も示さずに、5月の終わりにいきなり訪れた。

 

 

少年はその日、数学の授業を受けていた。

相変わらず授業で先生の喋っていることはわからない。だが、数学とは言えど内容は日本の小学6年レベル、少年は問題を解くのに苦労しなかった。板書も取り終え、あとは個人で指定された教科書の問題を解いていく時間だった。ワイワイと、あまり騒ぎ過ぎて先生に怒られないよう、適度なお喋りをしながらクラス内は勉強をする。

 

周りからこぼれてくる会話は、雑音にしか聞こえない。

少年はこうしたノイズを聞き流し、勉強に集中する。

まるで道路を走る車の音や風に揺れる木の音と同じように、考える必要のない「音」として処理する。聞こえているが、その「音」に意味はないので意識を回さない。

 


一瞬、本当に一瞬、教室のざわめきが完全に止まったように感じる。

 

その一瞬は誰一人として声を上げていなかった。

 

まるで示し合わせたかのように、皆が一瞬黙ったように感じた。

 

別に驚くようなことでもない。単純な確率で、皆の呼吸ペースがシンクロしただけだ。少年は無意識のうちにそう考え、頭を上げず、問題を解く手を止めない。

 

すぐに周りのざわめきが戻ってくる。

 


「――'s not twenty four, you suppose to be multiplying this by...」
「――erly lunchtime tho, Jason said he's gonna be in the basket court...」
「――lly can't be bother working on another one...」

 

 

今度こそ頭を上げざるを得なかった。

 


頭だけではない、思わず少年は腰を半分浮かばせ、天地開闢を目の当たりにしたような視線で教室を見回す。

 


「――by two to get these two areas, then calculate for this part of...」
「――court so bring your lunch and ball mate...」
「――one, like seriously, how are we meant to finish eighteen questions in...」

 

 

なんだ、なんだ、なんだ?

 

 

何が起こっている?

 

 

何故雑音であるはずの「音」が全て、一つずつ分けて聞き取れる?

 

 

そもそも、何故周りのざわめきが意味を持っている?

 

 

見えてはいけないものが見えてしまっているかのような形相で、半腰のまま少年は立ち尽くした。変な格好と顔をしている少年に、数学の担任がやさしく声をかけてくれる。

「どうしたの?大丈夫?」

はっ、と我に返った少年は、慌てて笑顔で「だ、大丈夫です」と返事をした。

 

 

 


いや。

 

 


まて、まてまてまて。

 

 

 


何故先生のかけてくれた言葉が理解できる?

 

 

 

 

なぜ、会話のキャッチボールが成功する?

 

 

 

 

 

2005年、5月終盤。

少年が移住してから1年と2ヶ月が経ったその日。

少年が学校に通いだして1年と1ヶ月が経ったその日。

ずっと夢見て、そして挫折し、半ば諦めていたものを少年はついに手に入れる。

 

―――でも留学から1年が経つと急に、本当にいきなり英語が解るようになると皆が口を揃えて言ってます。だから1年間耐えれば大丈夫だよ―――

 

あの時聞いた言葉の意味を、ついに少年は理解できた。

 

本当に一瞬の出来事だった。

一瞬、脳の言語機能が止まったかと思えば、何かの新しい回線に繋がった。

ブレイクスルー。

言葉や文字では表すことのできない感覚、それでも少年の身体は確かに経験した。

 

言葉の壁に穴が開くのを感じた。

その穴から壁の向こうは確かに見える。

 

壁の向こうを見た少年の心の中では、もう日本帰国の考えなどは消し飛んでいた。

どす黒かった心が真っ白く一新された。

少年は、白一色に戻った心に赤い闘志の文字を刻む。

 

 


さぁ、

 

下 剋 上 の 始 ま り だ 。

 

 

 

 

Chapter 2に続く>>

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