とある獣医の豪州生活Ⅱ

豪州に暮らす獣医師のちょっと非日常を超不定期に綴るブログ

とある獣医の豪州生活Ⅱ

セキセイを 追いし内陸 三千里 ~2日目~

 

2日目の行程、参考マップ。

 7月16日 (2日目)

朝の気温は13℃であった。暖かい。

Georgetownの朝は13℃、余裕の朝を迎えた。前回の旅でCorfieldに怯えていた我々は打ち合わせなしで「ダブル寝袋」という共通の解決策に辿り着いていたものの、この日の朝は想像していたよりも格段と暖かかったため、最終的には2枚の寝袋のうちの1枚を剥いで寝る結果となった。

 

灰の中の残り火で朝の焚火。暖かい。

とはいっても流石に早朝は肌寒い。前日の焚火を掘り起こして新たな木をくべて復活させ、暖を取りながら軽い朝食を頂き、早々にテントを畳む。朝露が降りることもなく乾いたテントの撤収は幸先が良い。

 

Georgetownの朝焼け。

畔を一周してみても良いのだが、特にコレといった鳥の姿も無ければ声もしない。

 

畔も平和である。鳥はまばら。

「今年は雨が多かったからまだ水場に集中してないかなぁ」

「早々に進みますかぁ」

偵察もそこそこに、07:50には現地を出発することに。

 

周りがようやく起床し始めた中で早々に撤収。

キャンプ地点を出発し、車を更に西に向けてまずは給油地点となる近隣の町Croydonへ向かう。道中は普段よりもワラビーの轢死体が多いイメージが強かった。

「なんか轢死体多いなぁ」

「雨降ったからこいつらも増えてて、相対的に事故も多いのでは」

 

地平線に向けてひた走る。

Craydonへの道中。

「あと10kmくらい行ったところで畑があるんだけど、前にそこで大量のオカメインコが集まってたことあるんだよなぁ」

「何かいるといいですけどねぇ」

「もうすぐ見えてくる…おぉあそこだ、何か溜まってるぞ」

「いっぱいいる…モモちゃん達(モモイロインコ)ですなぁ」

「いやいや、奥にクロオウムもいっぱいいるぞ」

 

アカオクロオウム。200羽くらいで群れていた。

まるで東京のカラスが大量のゴミに群がっているかのように、畑にはクロオウムが200羽ほど群れていた。ぺーぺーと騒がしく喚きながら地面に降りてなにやら採食したり枝に止まって羽繕いをしている。普段からクロオウムはよく目にしているが、ここまで集まっている姿は中々に圧巻である。

 

クロオウムに別れを告げて、そのままCroydonの町へ。次の給油地は200km先になるので、ここで満タンまで初の給油。田舎町なのでガソリンの値段は跳ね上がっているが、背に腹は代えられない。

 

Croydonにて初の給油。228c/Lで74.06ドル。

旅に出る前の大雑把な作戦としては、Croydonを経由後はKarumbaまで横断して海に沈む夕日でも見るか?みたいなことを言っていた我々であったが、何しろGeorgetownの出発が想像以上に早かったこともあり随分と早々にCroydonに着いてしまったのである。そこで予定を変更して、「このまま今日の宿泊予定地(仮)であるFour Waysのロードハウスに向かってしまおう」という方針になった。はやくも我々の行き当たりばったりなノリが計画を変更へと導き始めたのだ。

 

轢死体にしゃぶりつくノネコ。豪州の生態系に猛威を振るう外来種

CroydonからNormanton方面へひたすら西進を続けている道中、明らかに様子のおかしい轢死体を避けたところで車を停止しUターンをする。死体は明らかに車に轢かれたワラビーのそれではあったのだが、その隣に見慣れぬ中型の生物が居たからである。確認してみると、それは猛スピードで突っ込んできた我々の車にも怯まずに死体に齧り付くノネコであった。顔面からぶつかったであろうワラビーの砕けた顎部分をゴリゴリと齧っているその眼からは鋭い野生の眼光が光っているのであるが、いやはや流石に本場のノネコはデカい、8kgほどは余裕でありそうなその巨体は全身が筋肉で覆われており、もはや軒下で昼寝をしている所謂『ノラ猫』のそれとはあからさまに逸している別の生物なのである。学術的な価値を感じたので写真を数枚撮っているうちに、ノネコは一瞬でトップスピードになるスプリントを見せつけて2秒後には道脇のブッシュの中に溶け込んで消えた。

 

12:50には第二目標であったロードハウスに着いてしまった。

83号線に合流してT字路を左折、本格的に南下を開始するも道路のコンディションはすこぶるよろしく、これといった休憩を必要としないまま突き進んでしまった結果、「今日の目標地点にしようか」などと言っていたBurke & Wills Roadhouseにも昼過ぎには到着してしまう事態に。とりあえずトイレを借りて、新たに作戦会議である。行き当たりばったりが過ぎる旅なのだ。

 

前回ここに泊まった時はワンコが枝を投げてくれとうるさ可愛かった。

「どうしよう、ここに泊まるか先に進むか」

「まだ時間・体力・燃料全てにおいて全然走れますねぇ」

「ここに泊っても特に何が見れるってわけでもないしなぁ」

「Cloncurryまで走っちゃいますか」

「宿泊場所を見つけないとなぁ」

プランCへと突き進む。

 

ロードハウスから更に南下した道中で第一セキセイを発見。

ロードハウスを後にしてCloncurryへと再び南下を開始して15分経った頃、まずは上空を飛ぶオカメインコを数羽確認。その後、道端で緑色の鳥の一団を発見する。追い求めていたオカメとセキセイの出現に、いよいよ内陸に突入してきた感が強まる。

 

道路脇に車を停めてセキセイを追いかける我々。

どこまでも抜けるような青空とそれを突き刺すように地平線まで続く道路の上を、セキセイインコ達がキュイキュイと嘲笑しながら飛び回り、遠くから順光になるようにそれらを追いかける怪しげな日本人2人がそこにはあった。

 

第一セキセイインコ

セキセイインコ達と戯れつつの休憩を満喫し、そのままCloncurryの町に到着。道中で助手席のJ氏が調べた結果、この町にはここ2週間のレビューで見事に☆1つを数回獲得した「Grumpy old man(怒りっぽいオッサン)」と評されたオッサンの経営するキャラバンパークがあることが判明。低姿勢、低予算、低カロリーの「3低」を旅のモットーにしている我々にしてみればこれはもうおそろしく興味をそそられる内容なので、肝試し感覚でここに宿泊を決定するのに要した考慮時間は2.71828秒にも満たなかった。

 

Wal's Caravan Park。レビューは決して高くない。

果たしてどんなGrumpy old manが出迎えてくれるのかと大いに期待していた我々は失望する結果となる。受付は無人式、入場料を置いて入ってみるとそこはほとんど人のいない静かで開放的なキャンプサイトであり、飲料ではないが至る所に水道が設置してあり、トイレも綺麗でシャワーからはお湯が出るという歓迎っぷりである。

 

ここをキャンプ地とする。

「ここすげぇ良い所ですよね」

「なんでレビューがあんなにボロクソ言ってたのか分からない」

「今にWalが現れてボロクソ言われるんでしょうかね」

「期待できるなぁ」

 

車椅子に乗って愛犬と共にWal登場。宿泊客のオバちゃんと談笑してる。

「お、あの車椅子に乗ってるのがきっとWalですよ!」

「オバちゃんと談笑してるぞ。全然Grumpyじゃない」

「こっちには会釈してオシマイでしたね」

「レビューに騙された。というか数日前の奴らは名にやらかしたんだ」

「ちゃんと『Friendly old pal』とかレビュー書いておいてください」

 

消沈する我々を尻目にモモイロインコ達は羽繕いに精を出す。

想像、というか期待していた癖の強いオッサンとのエンカウントが成らず、煮え切らないまま夕方になり寝床に集まってきたモモイロインコ達の観察をして、いそいそと夕飯を食べる我々。ここでは焚火はできないので、やることといったら食うことと写真の整理くらいしかないのである。

 

夕日が沈んでいく。明かりが無くなったら寝るしかないのだ。

「明日はどうしましょうかね、今日こんなところまで来ちゃってますけど」

「うーん、当初の予定ではWintonだったけど、すぐに着いちゃうよなぁ」

「前回オカメが営巣してたところでも目指します?」

「Bouliaまでもここからなら行けちゃうよなぁ」

「おー、Boulia。行ったことないんですよね。行っちゃいますか!」

「行くかー」

 

 

夜の帳が降りる少し前の約2分間でまたしても予定が狂ってしまい、気づけば我々は当初の目標であった2000kmの旅をなんだかんだで3000kmに伸ばそうとしていたのである。

 

 

 

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セキセイを 追いし内陸 三千里 ~1日目~

それは7月12日の火曜日、急患の対応に追われ溢れる手術に追われ、帳面上ではあることになっている30分の昼食休憩という概念が光の速さで虚空へと消えて行き、いつも通りの勢いに身を任せた仕事終わり、ようやくその日初めてちゃんとした固形食を食べたと思われる夕食後に携帯の着信音一つで始まったのである。

 

「スクールホリデーっていつ終わるの?」

 

唐突に友人氏から届いたそのメッセージは、前後の文脈が皆無の怪文書めいた内容であった。

 

「今週終わってません?」

「そうなのか。終わったなら内陸行けるかなー」

 

どうやら学校の冬休みが終わっているならキャンプに赴いても人でごった返していることはないから内陸にでも行くか、といったような内容であるらしい。この人はいつだって前触れもなく唐突に物事が始まるし、逆に唐突に物事に巻き込んでも乗ってくるのである。

 

「ワイ氏に唯一時間があるとすれば今週末なんですが」

「行くかー」

「行きましょうか!」

 

かくして内陸へのキャンプ旅は出発まで60時間というタイミングで予定が立ち始めた。

 

当初の予定。これだけ小さく円を描いても2200kmある。

7月のオーストラリアは冬である。この時期になると普段は内陸の奥で生活しているオカメインコセキセイインコが北上してくるため、ケアンズを出て内陸をグルッと一周しながらテントを張り、3泊4日ほどで旅をしながら鳥でも探そうじゃないか、そんな雑な立案が旅立ちおよそ59時間50分前に唐突に決まったのである。

 

尚、道中には前回その寒さに打ちのめされた悪夢の地Corfieldがその雄々しい姿で立ち塞がっており、我々は出発前から「寒さ対策だけは万全にしていこう」という、普段では余り見られない予備的動作・予備的思考が見られたのである。

 

 

7月15日(1日目)

CairnsからGeorgetownへ。400kmもない短い行程。

初日は金曜日だがCairns show dayと呼ばれるローカルの祭日につき祝日。この日はGeorgetownの偵察に行くだけなので朝の08:30からノンビリとスタート。Georgetownには何度も行っているので特筆することも無い「いつもの道中」と化している。

 

Ravenshoeのいつものガソリンスタンド

そして大体8‐9時辺りからゆるゆると出発すると、Ravenshoeに到着するのが11時頃になり、絶妙な具合に「車中の暇」と「空腹感」がミックスされた結果、ここでとりあえずチップスを食うというのが我々のいつもの流れとなっているわけです。

カウンターでポテトを買って奥のトイレ行って帰ってくる。

前まではWedgesがあったのだがコロナの影響なのか他の理由なのか、ここ最近は普通のフライドポテトしか売っていないのである。悲しい。ここのWedges美味しかったのに。それでも普段通りにカウンターでポテトをオーダーして、奥のトイレに行ってからそこらで売ってる雑貨に「どういう需要なんだ」「なんだこの謎商品は」などと鋭利なツッコミを入れていると、カウンターのオバちゃんが揚げたて熱々のチップスを手渡してくれるのだ。

Steak Burgerも頼んでみた。可もなく不可もない想像通りの味。

この旅の運転手は基本的に若手()である自分である。バーガーを片手に、隣に置かれたチップスをつまみつつ、車はひたすらに西へとひた走る。こうした道中で綺麗な景色とかは期待していないので、我々としてはひたすらに「なんか道端に飛び出してこないかな」という期待ばかりをしているのであるが、残念ながら今回の道中ではこれといった爬虫類や哺乳類が飛び出してくることはなく、幾何のワラビーの轢死体をスルーするだけに終わってしまった。

Georgetownの行きつけの肉屋。行列である。

Georgetownに到着。我々の宿泊地は町から更に数十キロほど西に向かったところにあるのだが、この町に着いたら必ずやらなくてはいけないことが肉屋にご挨拶することである。ここの肉屋は「肉フックに吊られたお肉が出てくる」「店主のヒゲが格好いい」という2点においてとても魅力的なのだ。

お値段は都会のスーパーと同じ。前はもっと安かった気がする。

「何が欲しいんだ」

「どうしよう。フィレとか行っちゃう?」

「うーん、ランプとかで良いんじゃないですかね」

「ランプか、どれくらいの厚さだ」

「どう説明すればいいんだ」

「ステーキサイズで2人分に分けてもらおう」

本日のお宿はいつもの水場。

無事にお肉を手に入れたらGeorgetownの町を過ぎて「いつもの水場」へ。トイレが常設されているここは色々な旅人達が無料でキャンプしている場所なのだが、なんということでしょう、現場に14:00頃には到着したにも関わらず辺りにはキャラバンカーが沢山止まっているじゃないですか…

ここをキャンプ地とする!

なんとか空いている土地の自治権を主張し、ピカピカのキャラバンカーに囲まれる形でちっさなテント村を設営するのである。

水場は普段以上に満ちていた。今年は水が多い。

まだ日も高い午後2時からピカピカのキャラバンカーに囲まれていると、お前ら本当に旅する気あるのかと問い詰めたい。我々は良いんですよ、水場にどんな鳥が来るのかを偵察するために目的をもってここに来てるんですから。君達はさ、これといった「設営」みたいな作業も無いのになぜ我々よりも遥かに早くから根を張って椅子出して本を読んでいるのかと。

 

ハゴロモインコの雌。

設営も終わって周囲を見回しているとやはりデカめのカメラを持った初老の男女が2人、草木をかき分けて歩いてきた。すると茂みからバサバサッ!とインコの飛び出す姿が。そちらに見向きもしないで先へ進むカメラ2人組。あそこまで野生動物の動きに気を取られず、それでいてカメラを所持している彼らは一体何を撮りにきたのであろうか…望遠装備だったしマクロレンズ持ってなかったから昆虫勢でもないよなぁ…

ホオアオサメクサインコ。ハゴロモインコの隣で採食してた。

2人が消えると再びハゴロモインコが茂みに降り立って採食。続いてホオアオサメクサインコが2羽で降りてきて採食。めっちゃもさもさ食いまくってた。大食漢。

火おこしの儀。8歳の頃からの特技。

我々もお食事にするために薪木を拾い集めてくる。近場の木は焼き尽くされているので涸沢の奥に入って行くと昔の増水で流されてきたのであろう枯木が沢山見つかるのでそちらを拝借し、ちょいちょいと組み上げて、焚き付けは道中で買ったチップスの紙箱を使用。

焚火で炙った肉塊を屋外で食う。

肉屋で買ってきた肉を網で焼けば、そこには平和と幸福が具現化されるのである。ユーカリの枯木で良い感じにスモークされつつ炙られたステーキは最強。『キャンプとは手段であって目的ではない』と常日頃から言っている我々ですが、もう最近ではこの肉を焼くという部分に関しては完全に目標と化してしまってきているので、果たして上記の言葉を信念強く言えるのかどうか、自分の中ではなかなか揺らいでいる。

太陽が沈むと内陸の寒い夜が来る。

飯を食い終わるころにはじわりじわりと赤色が紫色に浸食され、辺りは暗くなっていく。周りのキャラバンが天井の蛍光灯を煌々と照らし、冷蔵庫を開けてディナーの準備を始める傍らで、我々テント族はいそいそと歯を磨き厚着をして寝袋を広げ、やれ今夜はあまり冷えなさそうだだの、やれ朝露はいやだだのと言葉を漏らしつつ、消えゆく大空の灯りを頼りにいそいそと各々のテントに身を潜らせ、キャラバンの談笑の奥に聞こえるアオバネワライカセミのせせら笑いに耳を傾け夜の寒さに怯えながら20時には就寝する健康民族と半ば強制的に変貌するのである。

 

 

 

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僕と英語と、移住と学校。⑥

 

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Chapter 6.0 - Lost

―――

 

ありえない。

 

何かの間違いだ。

 

描いていた、潮の彼方にある未来は突然姿を消した。

それまで溺れながらも足掻き目指し、縋ろうとしていた小さな島が、一瞬にして視界から失われる。

高鳴る鼓動はまるで疾風の如く駆ける馬の足音のように骨の髄まで響き、奏でられるその音は心中に、同じ呟きを繰り返し囁いていた。

 

何かの、何かの間違いだ・・・。

 

―――

 

Chapter 6.1 - Lofty Dream

僕の高校の期末試験週間は、厳密には「期末」ではない。

試験週間は、学期末の2週間前に終わるようになっている。

 

つまり、「期末試験」から「冬休み・夏休み」までの間に、2週間ほど普通の学校生活がある。しかし既に期末試験で1学期の勉強の総復習は終わってしまっているので、この1週間で教える内容というのは次の学期、つまりは2学期の勉強だ。

 

しかし考えてみて欲しい。

 

期末試験という一つの大きな合戦を終え、肉体的にも精神的にもボロボロである生徒達が。2週間後から始まる数週間の休暇に胸を躍らせて止まない生徒達が。どうせその数週間のうちに今習ったことは忘れてしまうとたかをくくっている生徒達が。

 

真面目に授業を受けている姿を想像できるであろうか。

 

たとえ進学校といっても、こればかりは無理だった。

元々No worries精神で目先しかみない、ホリデーが命の次に大切だと考えるオージー達が、この中途半端な2週間で2学期分の勉強をしろと言われて黙って席に座るはずがないのだ。

 

試験期間終了後の最初の1週間は祭りである。

 

勉強という枷から一時的に解放された、筋肉隆々で精神は小学校高学年止まりの男子達、およそ人類で一番危険であろう彼らは学勉での合戦を終えた後、より物理的な合戦を求める。脳をフル活用して知恵を絞った結果、リバウンドで脳筋になってしまうのは仕方がないことだった。連日のように行なわれる荒々しいバスケ、フットボール、サッカー等で負傷者が続出する。

擦り傷と笑顔が同比率で増えてゆく男子をまるで動物園のサルを眺めるように見る女子達は、とにかく喋る、喋る、喋る。喋り倒す。もはや全員が常に独り言を呟いているように見える。

そして食う。散乱するチョコレート、スナック菓子、ジュースパック。

何故かそれに混ざって靴やネクタイや下着までもが転がっている。何があった。

喧騒や混沌という二字熟語がこれほどまでに合う空間は他にない。

 

祭り熱に燃え浸る生徒達を、教師陣は一定の危険度を凌駕しない限りは止めない。

止めないどころか、むしろ助長する動きを見せる教師も多かった。

数学Cの教室に行けば、
「今日は外がいい天気だから校庭で寝転がりつつ青空教室にしましょう。」

物理の教室に行けば、
「紙飛行機コンテストやるか!2階から投げて一番距離出せたヤツには賞品としてチョコ進呈」

英語の教室に行けば、
「バスケかクリケット、どっちやる?」

日本語の教室に行けば、
「英字幕つきでもののけ姫を観るぞー」・・・これは通常営業だった。

 

ありえない・・・何かの間違いだ・・・。

 

などと思うはずもなく。

 

一見すると制御不能になりつつある生徒に配慮しての自由時間の延長であったが、これは教師自身が受持ちの授業中に休息を求めているが故の行動だとすぐに気づいた。

そう、教師達は教師達で、期末試験というのは大変な重労働なのである。

つまりは採点。試験用紙を赤字で埋める作業に連日追われていたのだ。だからこそ、「祭り状態で勉強には集中できない生徒」を言い訳に、良い訳に、ちゃっかり教師自身が授業中に休息をとっていたのであった。

なんともWin-winが成立している。

 

そんなドンチャン騒ぎが1週間続いた後には、すぐに試験の答案用紙が返ってきた。

1学期が終了前に生徒達に結果を返却、確認させるために急ピッチで採点されたものだ。教師も人間、採点ミス等があるかもしれないので生徒自身に採点を確認させ、採点の間違いがあったり、納得のいかない答案があれば教師と意見を交わせるよう時間的余裕がある。

それまで席につくこともままならなかった皆もこれには大人しくなり、黙って答案用紙をめくる音だけが教室に響く。周りと同じように、僕も続々と返却されてくる答案用紙の点数を淡々と確認していった。

 

返って来る試験に対する不安はない。

 

今更不安になっても意味がないと分かっていたし、そこそこ自信があったからだ。

 

英語は安定のC評価。この科目は捨てているので狙い通り。

数Cは総合A‐評価。計算問題では二問以外満点、文章問題でも一問のみB評価で残りはA。

日本語は当たり前のようにA+評価。A+というか100点満点だ。逆に100点を取れないと困る。

物理、こちらもA-評価。A-だが、クラスで2番目という輝かしい好成績。

最後の数BもA+評価。計算問題の単純ミスで1点を失った以外、ほとんどミスは見られなかった。

化学は時間切れで最後の数問を白紙のまま提出するという大きな痛手があったものの、
それ以外の回答は安定した点数を取れていたため、なんとかB評価には収まっていた。

 

10年生の頃とは違って苦手科目が無くなった分、期末試験の結果は派手になったように思う。気合いを入れて望んだだけあって、結構な好成績を収められたのではないだろうか。内心そんなことを思いつつも、同時に疑念の気持ちも膨らんでいった。

 

なにも苦手科目が無くなったのは僕自身だけではないのだ。

 

見渡せば、それまで黙って自分の結果を確認していた奴らにも普段の喧騒が戻りつつある。笑顔で周りのみんなと回答を見せ合う彼等の答案用紙にも、正解を表す赤い合印が溢れていた。

 

うん、去年と比べて高評価の比率が上がっているのは僕だけではないはずだ。そう考えると、A-という評価は決していいものとは限らない。そして何よりも、B評価を取ってしまった化学は大きく響いてしまうのではないだろうか・・・。

 

疑念は日々を追うごとに膨らんでいき。

ふわふわした僕の気持ちとは裏腹に、11年生の1学期最終日は淡々と訪れた。

 

毎回のように、最終日は学年総成績順位が発表される大事な日だ。

1学期を終えた時点の成績で、自分は学年何位辺りにいるのかを知る日である。

同時に明日からホリデーという日でもあり、多くの生徒はその事実のほうでテンションが上がっているようだったが、僕としては10年生の終わりの時点で立っていた64位という順位からどこまで成績を伸ばせているのかを見るための大事な日でしかなくテンションはむしろ普段より若干低めに設定していた。

 

テンションは上げてはならない。過度な期待は禁物だ。

 

期待しすぎた後で期待にそぐわない結果だったときのダメージが大きくなってしまう。そう言い聞かせて自分を押さえつけてはいたが、どうしたって本心は期待してしまう。

60位以上である、学年の半数以上であるという期待は根強く自分のテンションを上げようとしてきた。

 

自分の順位を担当の教師に訊けるのは、朝休みになってからだ。

朝休み前の教室で校内新聞が配られ、その後になってから順位を聞きにいける。


いよいよ順位を聞きに行くんだ・・・。

果たして60位以上なのだろうか・・・12年生の終わりには30位までたどり着けるだろうか・・・。人生すら左右されるかもしれないその発表を20分後に控え、緊張し始めていた。

 

期待を膨らませすぎないよう必死に自分自身を押さえつけていると、校内新聞を配っていた先生が僕にも一部を差し出し、笑顔と共に意味不明な言葉を一方的に送ってきた。

 

 

「Good job!!!」

 

 

・・・特にこの先生に対して何かをした憶えはない。

 

意味の分からん称賛には適当に愛想笑いを返しておいた。

今は称賛の理由を聞き出す余裕もない。高まる緊張を抑えるのに必死だった。その緊張を紛らわすため何か作業に集中しようと思い、ふと手渡された校内新聞に目を落とす。

 

 

1学期最後の校内新聞には学年別の成績上位15名の名前が並び。

 

 

11年生の欄には、本来そこにあるべきではない名が一つ。

 

 


ありえない。

 


何かの間違いだ。

 

 

その名前が自分自身のものだという認識を持つのに3秒かかったが、認識したと同時に今度は自分自身の認識を疑った。

一度、目を離し再度読み直す。

やはりそこには自分と同姓同名の文字が、はっきりと記されていた。

 

 

ありえない。

 

何かの間違いだ。

 

 

何かの、何かの間違いだ・・・。

 


頭は真っ白になっていた。

それまで自分自身を押さえつけようとしていた精神は仕事を全うしようと必死になっていた。

現実逃避をすることで、これを受け入れないように。

想定外の事態を、無かったことにするために。

 

そんな僕の周りに、同級生の友達が集まってくる。

「おめでとう!」
「すげーなぁ」
「んだよー俺はお前より一つ下かよぉ・・・!」


彼等の言葉は強制的に現実をもたらし、認識させた。

最初は意味不明だった先生の言葉を思い出し、認識させた。

 

汗ばみ震える指で校内新聞をなぞり、上から順番に名前を数えてゆく。

 

1・・・2・・・3・・・4・・・5・・・6・・・7・・・8・・・9・・・10・・・11・・・

 


12番目。

 

12番目にあるのは、正真正銘、僕の、僕の名前だった。

 


学年順位を訊きに行く必要は、なくなってしまった。

120人中学年12位という事実は不意にもたらされた。

 

 

描いていた、潮の彼方にある未来は突然姿を消した。

それまで溺れながらも足掻き目指し、縋ろうとしていた小さな島が、一瞬にして視界から失われる。

高鳴る鼓動はまるで疾風の如く駆ける馬の足音のように骨の髄まで響き渡っている。

 


否。

 

 

海洋生物学というすがるべき陸地は、消えたのではない。

目の前から消えてしまったのではなかった。消えてなどいなかったのだ。

自分でも気づかないほど一瞬で、瞬き一つの間だけで、その舞台に立ってしまっていただけだった。その地に立っているからこそ、もうその地は見えない。遠くにあるものが一瞬で足元に移動してきたとき、それが目の前から消えたと錯覚する。

 

海洋生物学を目指し、OP4を目指して戦ってきた数年間に、唐突に終止符が打たれた。

この学校の学年12位は、文句なくOP3以上のスコアを意味する。

この成績さえ維持していれば、海洋生物学の夢はほぼ安定して叶うだろう。

 


人間は多くの生物の例外にもれず貪欲である。

時には一つの目標を達成してしまうと同時に、次の目標を追いたくなってしまう。

 

 

 

家に帰り、興奮のあまり母に校内新聞を叩き付けて、言った。

心の片隅に封印していた、夢のまた夢であるその単語を、言った。

 

 

 

「おい・・・獣医学部が見えてきたぞ・・・」

 

 


鼓動に馬の足音を聴いた青年は。

荒波の中から一転、海洋生物学という陸に立った青年は。

海から這い出た青年には、今度は陸の先にそびえ立つ崖を登ってみる余裕ができた。

 

 

高嶺の花を摘み取りに行く準備は、唐突に整った。

 

 

 

Chapter 7へ続く>>

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